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1|小野颯太 Sohta Ono

みなさん初めまして!Sohtaです!
このNoteでは、ベトナムでの仕事や暮らしに興味をもつ人に向けて、以下のような人たちの「人生ストーリー」を配信していきます。
① ベトナムで働き始めたフレッシュな日本人
② ベトナムに腰を据えて暮らしている日本人
③ 日系企業で日本人と一緒に働くベトナム人
一人一人が様々な想いで一歩踏み出しています。そんな人たちとの毎週の出会いを楽しみにしてもらえたら嬉しいです。初号は、2024年4月からハノイで働いている筆者「Sohta」の人生ストーリーです!


各ポイントでの自己充実感をもとに
過去から未来への人生カレンダーを作ってみました

Ⅰ 学生時代 『闘病から農業にのめり込む』

2014年 ごく普通の高校生活|東京 

高校時代、都立校に通う部活も学業も楽しむごく普通の高校生でした。温厚な性格でクラスメイトにはよく可愛がってもらいました。吹奏楽部でテナーサックスを吹いていました。進路は、海外でのキャリアに憧れて、英語系の大学に進学しました。

定期演奏会
音楽センスが乏しくよく合奏では先生に指されていました^^;

2017年 闘病生活|東京

 高2頃から数年間、原因不明の黄痰に悩まされました。それが原因で、半年に一度は肺炎を起こし、時には入院していました。大学も入学早々肺炎で、1学期の単位は全て落とすという、、、体調面で海外留学など当時楽しみにしていたことは叶わず、長いことクヨクヨしていたよなぁと思います。

ここから「やりたいことはできる時やっておこう」と思うように

2020年 アジア学院 | 栃木

 大学生後半戦にしてようやく体調が落ち着き始め、農業をすることになります。理由は、農業体験で太陽の下で農作業に励んでみたら、かつてなく身体からエネルギーがみなぎっていたようななんと単純な理由。
 栃木県の那須塩原市に「アジア学院」という、1973年の創立以来、アジア・アフリカ・太平洋諸国の農村地域から、その土地の草の根の農村指導者を学生として招き、農業技術をはじめ実践的な学びを行っている学校があります。大学4年の時、コロナで大学がオンラインになったことから、ここで1年間、住み込みで長期ボランティアをしながら、学生生活を送りました。

10カ国から集まった人々と1年間の共同体生活を送る
(アメリカ・インド・ガーナ・ケニア・台湾・ドイツ・フィリピン・ベトナム・ルワンダ・日本)

 愛に満ちた30名ほどのメンバーと寝食をともにした時間は、大学の半分の期間、病でやりたいことができず落ちていた自分にとって、かけがえのないものでした。自分の過去をポジティブに捉えられるようになったように思います。もし身体を壊さなかったら彼らに出会えていなかったので。

Ⅱ 日本での社会人生活 『右往左往』

2021年 SHONAI(旧ヤマガタデザイン) | 山形

 新卒では山形県のまちづくり会社「SHONAI」に入社しました。元々は海外志向が強かったものの、自分の置かれた境遇をポジティブに捉えるようになり、なら「日本のローカル課題を解決しよう!」と思っていました。
 SHONAIは、山形の庄内地方を舞台に、地域課題を解決する事業をデザインすることをミッションとした会社です。様々な事業がある中、私は農業事業部で人材育成に携わっていました。具体的には、東京等から移住してきた就農希望者に対して、農業技術/経営の研修のほか、農地の確保や事業計画の策定など、総合的に就農支援を行なっていました。

勤務先の農場にて

 SHONAIでは人として打たれ強くなったなと思います。日々、新しい検討課題がどんどん出てくる会社、また未知なる挑戦を歓迎する社風で、自分自身も気づけば、どんな失敗も死ぬ訳じゃない、今では逆に挑戦なきには息が詰まる、そう思うようになったくらいです。当時お世話になった人に感謝。

2023年 インフィニティ国際学院 | 北海道・奄美大島

 農業人材育成事業を通じて“農業のリアル”に触れる中で、だんだんと自分のWILLが農業よりも、人材育成に近いことに気づいていきます。そこで、オルタナティブ・スクールと呼ばれる子どもの主体性や自主性を尊重する学校に転職しました。全寮制かつ旅をしながら学ぶことがコンセプトの学校で、例えば、奄美大島に2ヶ月間、生徒を引率し、寝食を共にしていました。

生徒を奄美の海に引率した際
この後、生徒に海に沈められます笑

 この学校では自分のやりたいことに耳を傾けることを思い出させてくれました。この学校では、生徒には自身のやりたいことを問いかけたり、コーチングしたりすることが日常でした。その中で、自分自身も胸の中にしまっていた海外志向を再び思い出し、海外転職を見据えるようになりました。

Ⅲ ベトナムでの社会人生活 『腰を据えて』

2024年 ICONIC | ハノイ

 在越日系企業の採用や組織人事課題に伴奏する「ICONIC」に転職しました。海外転職の国や会社は、自分のやりたいこと(採用と組織人事コンサルの両領域)ができる会社が他になかったので、自ずと絞られました。最後は、ベトナムは、アジア学院で出会った何人かの人柄も好きで、国民性も合うかもと思ったのも後押しになりました。

仕事終わりに皆でバロットを

 ベトナムに来て早3ヶ月。仕事もプライベートも充実しています。
 仕事では、毎日、2−3件ほどの日系企業に訪問営業しています。ベトナムで営業職で働く良いところの1つは、経営者との面談が主になることです。多くの現地法人では、日本人が1名や数名で人事は社長が管掌しています。日々経営層と情報交換をする中で、自分の経験がどんどん増えていきます。
 また、ベトナムの人たちは、公私の境界線なくフレンドリーです。ベトナムでは、どの会社も社員旅行があり、みんなはそれを楽しみに働いているくらいです(日本では社員旅行は昭和的的だと思いますが)。なので、日々の仕事でも、仕事終わりや休日にカフェやご飯に行くことがよくあります。

2025年〜 これから

 ベトナムで色々なことをしている日本人にたくさん会いにいきたいです。その一環、これからベトナムで働く色々な人の人生を発信していきます。新しい人に出会いその人の人生を知ることがそもそも好きなのと、それを通じて色々なキャリアのあり方に触れていきたいなと。
 また、これからの記事をもとに、ベトナムでの挑戦に一歩踏み出す人が1人でもいればそれほど嬉しいことはありません。
 あまりにベトナムが住みやすくて、こちらで永住してしまう予感がしています。ベトナムで働く仲間を増やしたいです!
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ここまでお読みいただきありがとうございました!来週からお楽しみに!


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