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『不登校2.0〜不登校だった僕たちが、大人になった』に参加してきました。

先日あるシンポジウムに参加しました。

コロナ報道で開催が危ぶまれたものの柔軟にオンライン配信での開催に踏み切られたシンポジウムでした。

タイトルは『不登校2.0〜不登校だった僕たちが、大人になった

僕自身、経験不足の中、フリースクールに挑戦することもあり、少しでもお話を聞ければという気持ちで参加させていただきました。

自由な学校 ころころ」はまだ始まってすらいませんが、「NPO法人ここ」さんのフリースクールは10年以上の歳月の中で紡がれた物語の一端に触れたような時間でした。

特に、代表の三科さんとパネリストの上岡さんと今滝さんの出会いのエピソードは感慨深いものがありましたね。

オンラインの視聴が常時20名前後で、あっという間の2時間でしたが、大人になった彼らの輝きが今のリアルな姿なのだなと勝手に時の流れを感じていました。

不安の湖

シンポジウムは「不登校になっても就職できるのか?」というテーマを元当事者の視点から語るという趣旨のものでした。

シンポジウム序盤、不登校の時の心境が語られていた時のこと。

「不安がありすぎてどの不安を拾っても不安じゃないですか。不安の湖みたいな。」と語る今滝さん。

当時の彼が見ていた風景が見えるようでとてもリアルな感じを受けました。

その後も上岡さん、今滝さんと進行の馬場さんの間で展開されていく様々な語りの中で、僕自身が理解したのは「子どもの内側に『当たり前』が根付いていることが不安や恐れを生んでいるのではないか?」ということでした。

というのは、僕たち大人が、学校に行って、点数とって、就職して、家庭を作る人生が『当たり前』だと思い、その『当たり前』になるために努力している姿を見せていると、子どもたちはそれが『当たり前』だと認識するようになるのかなと。

そして、子どもたちは自分が『当たり前』でないことに気づいた時に自分自身は落伍者でどうしようもないやつなんだと考えるようになってしまうんではなかろうかと。

と、ここまで書いてみると気づくのは、それは必ずしも「不登校」になった子どもだけが感じるのではなく、他の様々な社会の課題でもあることだということです。

男性なのに女の人の格好がしたいとか、片麻痺があり杖なしでは動けない、精神障害に罹患して働けなくなったとか。

僕たちの周りにはあまりにたくさんの『当たり前』で溢れています。

そういう意味で子どもたちが抱えるこの問題は子どもたちだけの課題ではないし、もっと言えば大人でも苦しむような体験が子どもたちを襲っているのかもしれないですね。

さて、このこととどう向き合っていこうか?

外に出よう。なんとかなる。

ちょっと話を大きくしすぎてしまいましたね。僕自身は正直、そんなにたくさんの支援経験があるわけではありません。ただ、想いはあるし、理想もあります。

そんな僕が彼らの対話から勇気をもらったのは「そんなんありなんや!って思えた大人との出逢い」について彼らが語っていたところです。

「こんな人もいるんや」「そんな考えもあるんや」ということが肩の荷をおろし、前を向く力になるようです。

僕自身は上述した『当たり前』からは割と外れています。

今、NPOの職員として働き始めて4年が過ぎようとしています。そう言えば普通に働いているように見えますが、平たくいうと僕はフリーターです。

年収も弟の1/5というまさかのスコアを叩き出しています…。

それでもこの業界に残り、今日も面白おかしく活動しています。

僕には支援する力なんてほとんどないだろうけど、「ん?この人は当たり前じゃないぞ…」と思わせられるだけの変な生き方はしているんじゃないかなと。

だからこそ、僕自身、まだまだたくさんの経験をして、子どもたちが思わず目を見開いてしまうような大人になっていくことが大事じゃないかなと思います。

家の中にいた「彼らが」外に出た時に僕が出会えたら「なんか面白いことができそう」とワクワクしてもらえたらいいなと思いました。

お礼

今回、シンポジウムを開いてくださった「NPO法人ここ」さんとパネリストの上岡さん、今滝さん、進行の馬場さんにはたくさんの気づきをいただきました。

まだまだこれからですが、僕らも色々な出会いを紡いで行ける場所をつくっていけたらいいなと思いました。

伝えてくださって、ありがとうございました!

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