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金曜の夜、21時のコンビニで

ご飯が炊けて「さて、おかずはなんにしよう?」と考えてみたものの、頭に浮かんだのは「おでん」だった。今から作るわけにもいかず近所のコンビニへ向かうことにした。目の前に見えたその信号が赤だったのでその手前の角を曲がり、いつもとは違う一軒先のコンビニへ向かった。

店内に入ればいつものように迷わずビールを手にし、レトルトのおでん探し手にする、そして購入。それだけで良いはずなのに、なぜかワインが目にとまりメルローを選んだ。普段コンビニでワインを買うことなんてまずないのだけれど、良く見るとどのワインもびっくりするほどやけに安くて「どうしたらこんな価格で販売できるのだろう」とそこに並べらたワインをジロジロと品定めしながら不思議に思った。この値段で - 手に取ったワインはラベルにアルパカの絵がデザインされたチリ産だったのだけれど - 地球の裏側と呼べる場所からわざわざここ日本まで運ばれてきて、さらにそこからこんな片田舎のコンビニまで誰かによって届けられ、それを今、ないもない平凡な金曜の夜に僕が偶然手にとっていることを思うと、貨物船いっぱいに積み込まれた全てのコンテナにこのワインが並々と詰められて、海賊だか嵐だかに怯えながらなんとか運河を航行する船舶の風景を想像した。

「すいません」

と、突然声をかけられた。地球の裏側から届けられたその安いワインを買い物かごに入れ、通路の先、分かりににくいところに陳列されたおでんを僕は必死に探していた時だ。誰かに変哲もない金曜21時のコンビニでそんなふうに話かけられるなんて思ってもいないし、僕は店員さんでもなければ、商品の説明もできないし、そもそもコンビニ商品になんて全く詳しくない。何よりいま僕自身が自分で自分の欲しいものもすら満足に見つけられないのに、そんな僕に何を聞くことがあるのだろうと思った。むしろ「おでんはここですよ」と教えてくれるかとさえ思った。そんなこちらの小さい気持ちの動揺なんて知るよしもなく彼は

「山田さんですよね?」

とさらに声をかけてきた。こんな時勢もありマスク越しで最初は誰だか全くわからなかったが、良く見たらそれはもう2〜3年(たぶん)会っていないものの、共通した趣味を一緒に楽しむことのできる若い、まだ青年とも呼べる友人だった。ちょっと誇張してしえば僕とは親子と言っても差し支えない年齢差があったはずだ。

「間違ってたら、人違いだったらどうしようかと思ったんです」

と、彼はとても安心したように、恥ずかしそうに言った。

それから僕らは店内で久しぶりの再会を喜び少し長めの立ち話をした。彼は自分の今現在の充実している趣味や、それにまつわる自身の成長やら暮らしぶりやらを本当に楽しそうにたくさん話してくれた。話の途中、不思議と僕らの会話を邪魔するような、そんな他者の存在は店内にはなく、数名のユニフォームを着た店員さんが忙しなく働いていた。そして商品棚の前で彼の楽しそうな話に「うんうん」と頷きながら話しているうちに僕は目標のおでんを陳列棚の無数に置かれた商品の中から見つけることもできた。

久しぶりの再会、まだまだ彼の話を聞きたかったがいつまでもコンビニの通路で立ち話を続けるわけにもかず程なくして、僕はワインとおでんの会計を済まし彼に再会を約束し別れを告げ、まだ買い物を続ける彼を店内に残し先に店を出た。

そこから自宅までわずか数分の帰り道、音楽もない車内で僕は「すいません」と不安げに声をかけてくれた彼のその一歩、その勇気のことを思った。その小さくともとてつもなく大きな一歩を思えば思うほど彼に対する尊敬の念しか生まれてこなかった。もし僕が逆の立場で、彼が僕の存在に気づいてなく、僕が彼の存在に気づいていたら僕はそんなふうに声をかけられただろうか。「迷惑だろうな」と、きっと適当な理由をつけて僕は声をかけなかったに違いない。僕は誰かに対してそんな勇気の使い方をできるだろうか。

何か特別なこともない金曜の夜、21時の田舎のコンビの一場面。予告も予感もない彼との突然の再会は僕にこんな文章を書かせてくれた。この何かちょっとしたこの象徴みたいな出来事を何かの形で残したい、そう感じた時に僕は帰ると同時に買ったワインも飲まずこの文章を書き始めた。なんの躊躇もなく。それ自体が優れているかではなく、書きたいから書いている。そして僕は今とても清々しい。それは彼の行動がそんな気持ちにさせてくれたのか、それとも自分自身が「すっ」と自分の何かにある「なんとなくな何か」をこうして迷いなく文章という形で表現しようと試みているからなのか。まぁ、正直どちらでも良い。しかしこれが書けて良かった。今夜手にした海賊に襲われることもなく地球の裏側から届いたこのワインと、なんとなくな、そんなふうに過ぎてしまった今日という一日に、またこれもこうした気持ちの塊が「なんとなく」飲み込まれてしまい、消えてしまう前に。

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