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最初の一歩

そう「走りたいなら走れば」そうやって言われることはわかっている。最近ランニングしたいなと思っている。特にトレイルランニングで僕が暮らす街の裏山を走りたい。もちろん自転車でも楽しい。けれどトレイルランニングにはトレイルランニングでしか味わえない魅力があり、それはまた違った趣を持って山を森を満喫するひとつの手段だ。

「そう、そんなに走りたいなら走ればいいじゃない」そんなセリフが聞こえてきそうだ。「走りたい」と思っていも最初のひと踏みが出ない。それは走り出す一歩なのかもしれないし、テレビの前から立ち上がる一歩なのかはわからない。「走ることの楽しさ、喜び、開放感」そんなことを想像するのと同じくらいその「最初の一歩が出ないだよ」という言葉や気持ちは意外と重たい。今回は「走る」という行為でこんな話をしているが、実はその重たさは全ての事柄に当てはまるような気がする。別に疲れるから嫌なわけでもない、やれば簡単なことで、それは気持ちを開放してくれることも知っている。けれど、けれど、だ。

「最初の一歩が出ないんだよ」

その重たさはなんとかならないものか。

同じように「その一時間」を同じような切り取った好きな動画があるのでリンクしておく。

たかが1時間、されど1時間|カズカワ・ジュンコ:パタゴニア

そう「たかが一時間」「されど一時間」「たかが一歩」「されど一歩」その「一(いち)」は果てしなく遠い。


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