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年下の先生 | 大人は誰から学ぶか

2020年度から小学校で「プログラミング」が必修となる。

やっとかという思いと共に、羨ましい気持ちも芽生える。振り返ると、通っていた公立中学校での初めてのパソコンの授業、黒背景に緑文字で直接コマンドを叩く古い筐体であった。Windows 95が発売され、各家庭にPCが普及していたころなので、一体これは何なんだと非常にがっかりしたのを覚えている。

これからの子どもたちは、社会に出て大分時間が経つ大人とは異なる学習体験や知識を持つ。例えば英語。グローバルビジネスの現場で、10数年と海外に携わっていても英語がろくに話せない人がいる一方で、入社間もなく現場に出る若い人たちは揃って英語が流暢。たとえ下手でも学習意欲が高く、あっという間に英語で商談がまとめられる程に成長する。他の例では、日本の若手ミュージシャンの英語詞の発音。10~20年前とは全く違う。洋楽と聞き違えるほどに綺麗な英語で感動する。

2020以降の子どもたちは、語学に加えて、プログラミングを読み書きと同じように扱える状態で、いつか私たちの同僚となる。

ここでその子どもたちが大人になる頃の未来を予測してみよう。noteと連動したこの記事にもある通り、AIの進展は自明である。自動運転、無人店舗、自然翻訳、各種ロボット、人間の脳の拡張、パーソナルアシスタント等など。AI、つまりアルゴリズムによって結果を予測し社会を助ける技術の根幹もまたプログラミングである。不確実性溢れる予測不可能な時代にあって、AIがキードライバーであり続けることはほぼ確実と言える。

私たちはいつも年長者から学ぼうとする。本棚を見渡しても、セミナーの講師やビジネススクールの先生の顔を思い出しても、年長者が多い。過去のロジックが通用しづらくなってきているからこそ、VUCAの時代と言われる。改めて、私たちは誰から学ぶべきなのだろうか。

またおっさん同士で固まると勝手に妄想が膨らんで、若者の批判を始める。いつの間にか若者のステレオタイプが出来上がる。今に始まったことではなく、どんなに古い文献を遡っても、常におっさんが若者に嘆いている記述が残っている。批判される立場であった私たちも、時を経ていつの間にか批判する立場になっていないだろうか。

確かな語学力とプログラミングの腕を持った新世代が、社会に飛び出してくる。黒背景に緑文字で育った世代と、MacやWindowsで育った世代は明らかに違う。黒背景緑文字世代が、世界を変えるアルゴリズムを作れるのかと自分自身に問いたい。

私たちが新しい世代としっかり対話しないと、私たちの知恵・経験と、次世代のアイデア・技術力が結合しない。私たちは妄想を排除し、彼らが話す言語を理解する覚悟と姿勢はあるだろうか。

新しい世代と一緒に働いて、面白いものを生み出せるようにもっと勉強しないといけないなあと思う。その点、以下の記事は非常に参考になった。大人が改めて勉強する門戸が開かれつつある。大人が学校で学び、共通言語を理解し、次世代の若い人たちと共創できるようになったらきっとワクワクするようなものが生み出せると信じている。

今日の記事

若い人と働くのは本当に楽しい。刺激が多く、学びも多い。私たちが知らないことをいっぱい知っている。実はこちらが教えているようで、教えながら勉強させてもらっている。彼らの才能を伸ばせるように、私たちも腕を磨いていく必要がある。どんなに年を重ねても常に成長することに貪欲で、知ったかぶりをせず素直に学ぶ姿勢がなければ、楽しいと思っているのは自分だけで、きっと相手は白けている。ステレオタイプのおっさんが出来上がるのだ。

桜満開。間もなく入社式。彼らは未来を創る先生。

いつも読んでいただいて大変ありがとうございます。