もう君の一番ではない #大人になったものだ
旧い友人の結婚式に参加するたびに全身をがばーっと覆う、ちょっと残酷な何とも言えない気持ちについて。
もちろん結婚式は幸せを象徴する時間であり、そこに集まった懐かしい友人たちとの近況報告もまた最高に楽しい。一方で同時に襲う、この寂しさは何であろう。
結婚式では、僕の知らない新郎新婦の人間関係を見る。ご親族がいて、上司がいて、先輩がいて、同僚がいて、後輩がいて、新しい友人がいる。学生だったあの頃は、他の約束を反故にしてでも遊んでいたのに、大人になるにつれ彼の中での僕の優先順位が下がっていく。それはまた僕も同様である。あらゆる場面において、優先順位をつけなければならない。当たり前だがそれが大人である。
例えば会社の同僚の結婚式は、生きている世界が似通っているので披露宴の間も気楽な時間を過ごせる。一方、学生時代からの仲間の場合は、当時の思い出、しかもこういうときに限ってバカをした思い出ばかりが蘇り、もうあの時代が戻ってこないということを寂しく思う。結婚式の最中に残酷な現実を再認識する。
過去、現在、未来。結婚式は現在という時間軸において、ある人間が最大限に輝ける時間のひとつである。そして輝かしい未来が想像できる。一方で、その未来の眩しさにうっすらと過去が存在を消していくような気がして、その寂しさを打ち消すように祝福の拍手が強くなる。
おめでとう。また旅行に行こう。そのときはまた、いつもの一番の俺たちに戻っている。
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