
思い描いていた夏と障害。季節が変わる、そしてわたしと約束の色
血が出ちゃった。
わたしのこの肉体。
外から見てもわからない。
傷なんて見えないのに。
一滴、また一滴と溢れる。
去年の夏、わたしは会社を退職した。
確か7月の終わりだった。
一年経つ、あれから。
早かったなとか、長かったなとか。
そんなこと思わない。
ただ一年経っちゃったなと思う。
このnoteも始める前だったと思う。
わたしはずっと、ブログをやったりやらなかったりしていた。言葉を書くことは好きだったし、誰が読んでも面白くない日記を書く気概だけはあった。
"エッセイ"などという気取った言葉もまだ知らない頃だっただろう。
「退職。」
これを読んでいる人は経験したことがあるだろうか。
去年の夏と、三年ほど前の冬だったと思う。
わたしは人生で二度退職を経験した。
◇
届かない情景と流汗
仕事って面倒だよね。
仕事って疲れるよね。
そんな台詞をよく耳にする。
わたしにとって仕事はそういうことではなかった。
正確にいうと、そこまでの大人が当然上がっているはずの舞台にすら上がれていなかった。
わたしは仕事が"出来ない"のだ。
これの厄介なことは身体が不自由だとか、特別な重い障害があるからとかではない。人としての能力がとても低いのだと思う。
そんなの考えすぎだよとか、みんなそんなもんだよとか。もう何万回聞いただろうか。
わたしはただ人と10秒ほど会話しているだけで全身から汗が止まらなくなる時がある。緊張してしまい頭が真っ白になり、呼吸が出来なくなってしまう。そんなことが大人として働くようになってから頻繁に起こるようになった。
これの怖いのが、
何が切っ掛けで起きるかがわからない。
殆どの場合ストレスによるらしいが、普通の日常生活でも呼吸が出来なくなり、気絶してしまうことがあった。
わたしはさっき特別重い障害があるわけではないと言ったけれど、三年ほど前の冬に辞めた会社に勤めていた頃、パニック障害で出勤途中に気絶して初めて救急車で運ばれた。
医者には自律神経失調症だとか過換気症候群だとか。
複数の病院に行ったのでどれが正解でどれが不正解かはわからない。そもそも、病名なんて良いように付けられたものが殆どだと。精神病を鼻で笑われても仕方がないとも思っていた。そしてその時からわたしの人生は少しずつ崩れ落ち、狂い始めていた。正確にはもっと前から狂っていて、その日が切っ掛けになったにすぎないのかもしれない。
その症状が、わたしは会社員時代何度も起きた。
出勤途中の電車で、
全身がいきなり痺れてくる。
手足が破裂しそうになる。
息が出来なくなる。
涙が大粒となって落ち続ける。
吐き気が止まらない。
そう思った瞬間に、気づいたらいつも救急車の中にいた。
そんな人間を会社が褒めてくれるわけもない。
「今日も取り敢えず会社に来れたね。偉いね。」と、言葉をかけてもらえるはずもない。
わたしのこの小さな障害を知らない人からしたら、ただの"サボり"にしか見えないのだ。そしてこれは普通に生きている人からしたら理解が難しいと思う。ただこれは持論でしかない。
そんなわたしの見えない血と傷が人間関係をかき乱していた。わたしは会社で自分の席に座っているだけで辛かった。上司とも揉めに揉めた。わたしの努力が足りなかったのも勿論あると思う。それでもわたしのこの身体が許され、尊重される環境ではなかった。自分でも自分のような人間がいたら扱いに困惑してしまうだろうなと家で考え込んで一日中泣いたりもした。
けどそれでもわたしは会社に行き続けた。
毎日毎日必死で頑張った。
自分は人よりも何倍も何倍も何倍も努力して、やっと普通の人の何もしていないぐらいになれるのだと思った。
するとほんの一瞬だけ周りの目も変わってくる。
最近のアイツは頑張っているなと。
そんな空気に触れ、自分の世界を自分で変えることだって出来るんだ。と少し感じることは出来た。
けれどそれでも長くは続かず症状は悪化し、会社に数え切れないほどの迷惑をかけた。
上司にも
「お前のためを思って言っている。」
と言われ続けた。
それがどんな意味かはずっとわかっていた。"もうお前は会社を辞めろ"ということだ。
あんなに会社で働いていた時は、色んなことで騒いでいたのに辞める時は一瞬だ。なんの祝いの言葉もない。お礼の言葉もない。当然だった。わたし自身も誰かに何かを伝える力は残っていなかった。
ただ退職届を渡して会社を去った。
帰り道の電車、強過ぎる冷房の風を浴びながら。
昼間。空いている車内で、夏。
わたしは溶けて、羽化したことのない抜け殻となった。
◇
変色する季節が神妙に。
Twitterでもよく見る。
わたし自身もそんな言葉を発したこともあるだろう。
「生きてるだけで偉いと言って。」
そんな呟き。
我ながら思う。
生きているだけで偉いわけがない。
人より努力して、何かを成し遂げて。
やっと「偉いね。」と言われるのだ。
それでも言われないことが殆どだろう。
でもそれは自分以外の人間から言ってもらう場合だけの話だ。
自分で自分に「偉いね。」と言う分には構わないだろう。
あれから一年。
わたしはこうして言葉が好きな自分を出し、女の子になりたい自分を曝け出して生きている。会社員時代からしたら想像も出来なかった。
勿論今でも障害が治ったわけでもない。
会社員ではないとはいえ、今も生きるため働いている。
ただ少しずつ。
自分の生きる道を歩めている気はする。
まだ自分で自分に"偉いね"と言う勇気はないけれど。
人生まだ先は長い。
当たり前だ。
自分を殺して生きていくより、わたしらしく居られる場所で頑張ろう。そうわたしはあの夏から変わらず思っている。
冷蔵庫の中に乱雑に投げ込まれたハイボール。
新卒で入った会社に居た頃から変わらず飲み続けている。味は不思議と変わらない。それでも味を感じる。
血は出続けている。
それでもそれは赤くない。
薄く藍色と檸檬色。
まだ酌を交わす相手は見つかっていない。
それでもいつかの乾杯と約束の準備をしている。
また同じ季節。
けれど同じ夏ではない。
今年の自分の色を想像し、言葉を飲み干した。
わたし、今日も偉い?