見出し画像

恋人らしいと、ふたりらしいがあって。


自分のことのように嬉しい瞬間がある。

そんな体験は、なくてもいいと思っている。わたしは自分の人生だけで精一杯だったのだから。

でも、本当にそうか。
わたしは、そもそも「わたし」を生きようとしていたのか。思えば昨日の夜はロクにごはんも食べていないし、睡眠時間だって極端に少ない。自分のことを愛するのはどんどん後回しにされていく。気はいつもより短くなり、自分にとっての日課がひとつも思い出せなくなっていた。煙草に火をつけた瞬間に洗濯機が終わる音がして、わたしの体は固まっている。

外を歩けば、わたしは"男性らしく"生きようとしていた。それで何がどう変わるか、具体的な例を挙げられるわけではない。わたしなりの心の色は、ほんのりと青かった。その色のイメージは、記憶の糸を辿ると見えてきただけの話で、別にわたしの感受性なんてものはそこには含まれていない。



ふとした日常の幸せなんてものには数日後か、はたまた数年経たなければ回収できなかったりする。最期までわたしの解釈は引き伸ばされ、手に取りやすい不幸を順番に食べているような生活だ。

自分にとって、嬉しい出来事がなくなっていった。成功体験も、何かの結果が出ることもない。努力なんて何もしていないから当たり前と言えば当たり前だった。人の幸せに対する妬みも消えていく。目前まで近づいているわけでもないのにわたしは死の感情を引き寄せ、遊んでいた。


そんな時に、わたしの愛する人は言ったのだ。

「しをりさん、僕の写真が選ばれました。」

なんてことない日常だった。彼がわたしの家でスマホを眺めている、いつもの延長だった。

わたしの愛する彼は、写真を撮る人だった。それを仕事にしている人だった。その彼が撮った写真がどうやらとあるコンテストで選ばれたらしい。彼はその時の賞を「些細なもの」と言っていたが、そうはわたしには見えなかった。


彼の努力は、わたしが一番近くで見ていた。恋人でもなんでもない。わたしは彼に近づく方法もよくわかっていなかった。日常で好意を伝え、繰り返される時間を楽しむことがわたしの生きがいだった。

彼の夢は、ずっと叶っているように見えた。自分の好きな写真というものを武器に、生活を成り立たせている。わたしの生きたい場所、そして"書く"という武器のようなものとは違った。言葉を置き換えるのであれば、結果が出ているか、そうでないか。過程が評価されるのは、何かの結果が出た後だった。むしろ過程は最後まで評価されないと思っていてもいい、そうわたしに言っていた彼の表情がいまだ記憶から剥がれることはなかった。


一瞬を収める彼の横顔はどんなものよりも美しかった、それはレンズの先にあるものより。

愛する彼が美味しそうにごはんを食べている姿も、自分の好きな服を着てはしゃいでいる姿ともまた「別の人」のよう。"らしさ"みたいなものはむしろ薄く、彼の生きることに賭けた瞬間が艶やかだった。

彼はきっかけを大切にする人だった。賞もあれば、人の出会いひとつ取ってもそう。その"点"から、彼は人生をいくつも伸ばしている。かわってわたしはどうだ。一点を生み出すこともなければ、伸ばし方もぎこちない。そんな"らしさ"と本当は決別したかった。



ここからは肩に力を入れずに聞いてほしい。

わたしは、書くことで選ばれたいと思っている。具体的なものではなく、抽象的なものとして。書くことを仕事にしたいとか、ここではそういう話ではない。書いていることが、わたしらしく生きられる今の一番の方法だったから。大きな結果とはまた違う、毎日訪れている小さな結果だったのだ。

自分を愛することを後回しにはしている、ただそれは書くことを除いて。書くことが、自分を愛することに一周し、繋がっていた。

わたしの一番近くにいてくれた彼が選ばれた時、彼よりもわたしの方が泣いてしまった。感情をあまり表に出さない彼の瞳にうっすらと光るものがあったことにわたしは気づいていた。もらい泣きなんてものではない。わたしは選ばれようと必死だったから。だからこそ選ばれた時の臓器が浮き上がるような気持ちで彼と繋がれた気がした。


「どうしてしをりさんが泣いているのですか。」

そう彼が言うことはなかった。むしろ彼はわたしを見て「ありがとうございます」と言ってわたしを抱きしめていた。結果が出るということ、努力が報われるということ。全員の目に映る、そこに鮮やかな景色はない。

わたしは彼のように写真を通して「伝えたいこと」がなかったのか、そんなことはない。わたしには書いて、伝えようとしている誰かひとりを想像していた。


例えばわたしは、彼のことを愛していた。わたしと同性の彼のことを想い、文章として「伝える」日々の連続である。

彼の隣にいることで、わたしは"わたしらしく"生きることができた。男性らしく生きる必要などなかったのだ。何年も前からわたしは女の子のように生きたかったのだ。女の子の服を着ても、口紅を塗っても、彼はいつだって"わらしらしく"生きることを肯定してくれた。


彼の撮った写真が選ばれた。その写真がどんなものだったかをわたしは知っている。どんな評価をされてもいいから、自分が撮りたいという瞬間を一番に優先した作品だったのだ。

いうなれば"彼らしい"写真だった。
わたしには写真の専門的な知識もなければ、評価するべき要素もわかっていない、簡単にいえば素人だ。

だとしても、わかる。わたしはどこの審査員でもないけれど、これは彼が撮った写真だと思い、誰よりも感動することができた。わたしに対して彼のする、肯定を越えた先の感情だった。



わたしは彼のことを好きになってから、ずっと同性愛者だった。彼と過ごす毎日が、いまは物凄く幸せである。

世間が想像する、"恋人らしさ"というものからわたしたちは少しかけ離れているのかもしれない。男女のカップルしかいないようなお洒落なお店にはなかなか馴染めないし、真昼間から街の中心で手を繋ぐことはできない。


「別に、いいじゃないですか。」

彼の表情はいつもそう語っているように見える。わたしが求めていることも、わたしらしさも知ってくれている彼だからこそかもしれない。

まだわたしは彼の恋人にはなれていないけれど、ひとつひとつ"ふたりらしい"ことが増えていくことが嬉しかった。

ふたりにしかわからない冗談や、ふたりにしかない記憶。ふたりにしかない約束もあった。彼の撮った写真が選ばれて、わたしの心の底にまた命(ふたり)が宿った気がした。


自分らしく生きることが、こんなにも美しいということ。


忘れていたわけではない。でも、思い出した。

恋人らしいと、ふたりらしいがあって。

そして、わたしらしいがあって。


そうだった。"あなたらしい"があったからわたしはあなたを選んだ。わたしらしくいられるからあなたを、選んだのです。


また、わたしらしい文章を書こう。

そして、「ここだ」という時、"らしさ"を思いきり伸ばしたい。その時、どうか彼がわたしのことを「恋人」だと想っていてほしい。そこでの繋がりを求めるのは話が違うかもしれない。だとしても、自分らしく生きなければ彼はわたしのことを選んではくれないと思うから。

明日、あなたに内緒でケーキを買ってくることにしよう。だっていつも嬉しいことがあったら、甘いものを一緒に食べると"ふたり"で約束したものね。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

「女の子」になるために。

「女の子」にしてくれてありがとう。
93
ここでの文章は「女の子」が書いていると思ってすべて許してほしい。/ 性と日記。エッセイが好きです。恋愛・LGBT / 同性の恋人がいます【毎日更新397日目】お仕事のご相談はTwitter・DMまで。
コメント (1)
彼といるときのしをりさんが輝いているのがよくわかります。
前から読んでいたけれど、彼と出会ってからキラキラとした、波打ち際に反射している光のような、
ただ波の音を聞いているだけの穏やかな文章が見られるようになりましたね。
それもまたしをりさんを美しくしてくれるのだと私は思っています。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。