見出し画像

無理しないでねと言われても 無理をしなかった結末がいつも怖い



人生の終わりはほど遠い。

明日が必ずくるかどうかなんて誰もわからないと言いつつも、明日は普通に来てしまうものだ。物騒なニュースで溢れる世の中は、結局は平和で満ち溢れている。

わたしは人に優しくするのが苦手だ。電車では席をなかなか譲れないし、道に困っている人を助けてあげたりは出来ない。むしろわたしはその人を避けて歩こうとしてしまうような人間だ。人にお金を貸すことは一切ないし、赤の他人の背中を撫でることなどそうそうない。
というよりはわたしは人の困っている表情が苦手だったりする。本人にその気はなかったとしても、わたしが助けなければいけなくなってしまう状況を強制的に感じてしまう。必要以上にそこに責任を感じてしまって、結果的に身体が固まり、誰のことも助けることが出来ない。"臆病"といえばそれなりに聞こえそうだけれど、わたしはそんな時でも人との関わりを怖がってしまう。




偽善でもいい


仕事の帰り道、わたしはいつものようにただ真っ直ぐと家に向かっていた。
すると、前から今にも倒れてしまいそうなおじいさんが自転車に乗って走ってくる。
わたしから見たらそこは下り坂だったけれど、前から来たおじいさんはきっと無理をして坂を上ってきていた。

「危ない…」と思った瞬間にわたしの身体は動き出していた。
坂を上れずに横に倒れかけるおじいさんをわたしは必死に支えた。普段使わない腕の筋肉が悲鳴をあげる。助けに入ったわたしが今度は倒れてしまいそうだった。

「ごめんね。上れると思ったんだけどさ…」

と、おじいさんは弱々しい声をあげる。

「大丈夫ですよ」と、らしくない声を出すわたしはいつもの自分ではない気がした。
今思えば、足元がおぼつかないおじいさんを自転車から降ろしてあげればよかった。わたしは何を思ったのか、そのままおじいさんを自転車に乗せたままハンドルを思いっきり引っ張る。その勢いのままわたしは後ろに回り、おじいさんの自転車を押し進めた。

「上っちゃいましょう」

と、わたしは言い、坂の上までおじいさんを押し運んだ。

この出来事はものの数秒だった。
坂を上り終えたおじいさんはこう言ってくれた。

「ありがとうね。君がいてくれてよかった。」

言われ慣れていない言葉に、涙腺が簡単に決壊しそうだった。
別に感謝されたくてしたわけではない。むしろ助けただけ無理をさせるようなことをしてしまったかもしれない。それでもそんな言葉が返ってきたことに、わたしはこのnoteを書きながらもまだ動悸が止まっていない。

本当は優しくないはずのわたしが、そんなことをしてしまったせいで帰った時にいつも吸っている煙草の味が変わった気がした。
お湯を温める。なんとなく落ち着かなくなったわたしはカップ麺を勢いよく食べ終えた。



間延びした先の世界


身体も心も弱い。

わたしは社会人になってからそれを何度も痛感してきた。
普通の人が普通にこなせることを、わたしは無理をしなければ付いていくことすらままならなかった。
元々の身体も弱いくせに、無理をするから余計にわたしの寿命は縮まっていた。
そんなわたしを、ごく自然に周りの人間は「無理しないでね」と言ってくる。それに感情がのっていないことは一旦抜きにして、わたしはその言葉をいつも素直に受け取ることが出来なかった。
弱いわたしが間違いなく悪いのだけれど、周りはわたしを必死に休ませようとしてくる。


大丈夫ですか?

休んでいいんですからね。

頑張りすぎないでください。


そんな優しい言葉がいつも飛んでくるわたしは本当に恵まれながら生きている。ただ、その言葉たちがわたしを弱くしていることも揺るぎのない事実であった。
昔会社を辞めたいと思った時も、辞めた後も、仕事復帰した時も。周りはいつだって「無理しないでね」と言ってくれた。
ただ、わたしはどこからが無理なのかがいつもわからなかった。人よりも劣った能力しか持たないわたしは、どこまでいったら"無理"になるのか、それにいつも苦しんでいた。
挫折を繰り返すわたしはきっとどこかで"無理"をしなければいけないのだと思う。それなのに「無理をしろ」と仮に言われたとしたら弱いわたしはまた崩れてしまう。そんな矛盾した気持ちでいるわたしはこれからどう生きたらいいのだろう。



それで消えたとしても


今日会った自転車に乗ったおじいさんは、本当に優しい表情だった。けれどわたしの苦手な困っている表情もしていた。

結果的に無理をさせたわたしは、自分がされたかったことをしていたのではないかと今になって思う。

「無理だから休ませる」それは間違いなく正しい判断であると思う。無理をした結果、この世に帰ってこれなくなっている人はごまんといるだろう。
それでも何でもかんでも、無理を避けていては人は生きていけない。人は皆、無理をして生きている。ただ上手に無理をすればいいだけの話だった。昔も今もわたしは下手な無理ばかりを繰り返している。だからこそ身体や心は悲鳴をあげ、意味のわからない休息を必要としてしまっている。

無理をした結果、駄目になることももちろんあるけれど、わたしは永遠の眠りにつきたいと思ったあの日から、無理をしなかった結末を想像することも同時に怖くなっていた。

ただ、背中を押されたかった。それは自分で押しても構わない。自分の無理を手伝ってほしかった。それでもし背中を押した先が崖だったとしても、また漕ぎ始めればいい。

人生はきっと退屈なほど長いからね。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

「女の子」になるために。

また来てね。ずっと、書くから。
82
ここでの文章は「女の子」が書いていると思ってすべて許してほしい。/ 性と日記。エッセイが好きです。恋愛・LGBT / 同性の恋人がいます【毎日更新403日目】お仕事のご相談はTwitter・DMまで。
コメント (6)
私も仕事を休職してからは無理しないでねとか優しい言葉をかけてもらう事が多かったです。
言われるたびに何もできない自分が苦しくてしょうがなかったです。

いちとせさんは弱いのではなく、人より少しだけ繊細なんじゃないんでしょうか?

だから傷つきやすいし、いろんな事を深く考えることができて生きづらさを感じるのかもしれません。

なんか知ったような事を言ってすいません。

でも、人よりも感性が高いから考えさせられる文章が書けるのだと思います。
マイナスがあってはじめてプラスに転換できるのだと思います。
あいかもさん
優しい言葉がほしいのに、優しい言葉ばかりかけないでよと思う自分にいつも頭をかかえてしまいます。
プラスに転換出来ることがやっぱり少しはほしいですね。
ふと、最近人に親切にしてその相手と喧嘩になったことを思い出しました。深く考えていなかったというか、考える前に身体が動いたんですが、うまくいかないものですね。

私も親切に(優しく)するのは苦手です。人と接すること自体苦手です(もちろんネット上であっても)。多分、親切にできなくても、やって嫌な思いばかり残っても、いいんだと思います。まだそう思えたらいいなというレベルですけど。
海町祈里さん
相手とのやり取りで嫌な思いをしても、行動しなかった自分を少しでも嫌いにならずに済めば、それはそれでいいかなと思えたらいいですね。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。