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「友達を、性的な目で見てしまいます。」


今更何を言っているのだろう。
今更、何を想っているのだろう。

窓の外の景色を眺めながら、わたしは過去の自分を悲観している。何かの障害がきてから自分がいかに恵まれていたかに気づく。風邪を引いてからマスクをつけるのでは遅いのだ。

皆が当たり前のように知っていることを空気で勘付き、わたしは知ったかぶりをした。そのときの笑顔は和紙のように破れやすく、糊は手に持ったまま。

人間関係を築くのが、下手だって。それは本当か。人と仲良くなるのが苦手だって。それは本当の気持ちか。わたしは、少しだけ理解している。全員とは仲良くなれない。ただそこには"黒"だけが映っているわけではなかった。自分が近づきたい人にだけ近づく。相手も同じ気持ちで動いているはずなのに、どうしてここまで衝突が起きてしまうのだろう。せせらぎのように人を無視できる人を見ていると、わたしは心底嫉んでしまう。


息を止めて住んでいる。

目を合わせて話しているように、相手にはこれで見えているだろうか。誰かの関係を壊すのが快感になってしまったら、それはもう生きているとは言えなくなってしまうのだろう。


わたしには、友達がいた。それも、人並みに。自分から動かなくても声がかかったのだ。「あなたと一緒にいたい」と思われることがあった。そこでの関係、全てが薄かったのか。そんなことはなかった、そう思いたい。

中学、高校、大学と、わたしにはとびきり仲の良い友達が一人ずついた。その友達とはどこに行くにも一緒だった。

中学の友達とは夏休みほぼ毎日会っていたし、高校の友達とは社会人になってから、その後お互い仕事をやめた後も励まし合えるような関係になり、大学の友達は、わたしが書いていることを知っている、学生時代の唯一の存在。


友達がいた、でも全てわたしが"無視"をしてしまった。

無視というのは少し意味が違うかもしれない。返せなかったのだ、気持ちを、言葉を。大人になって、どこまで仲良くいれることで関係を「親友」と呼べるのだろう。大体、わたしにとってその三人は最初から親友だったのではないか。


友達の全員が"男性"だった。

これを書いているわたしも男性である。男女の友情が成立するかどうかを、昔から考えることをどこかで避けていたけれど、今になってその題目に取り憑かれそうになっている。


「わたしは、女の子になりたかった。」

社会人になり、会社勤めをしていた。スーツに身を包み、電車に乗り込む。どこにでもいる"サラリーマン"だった。大きなきっかけがあったわけではない。SNSの海に潜りながら、わたしは徐々に変態していた。

女の子の服が着たい、女の子のように生きたい。女の子として、人を愛したい。時が経つにつれて、わたしは女性を性的な目で見ることができなくなっていた。


そもそもが性的な目で、見ていたのだ。

わたしに上品な恋愛は向かなかった。"恋愛"ですらなかったのかもしれない。体を預け、約束を固める。肌を咀嚼し、体温を重ね合った。

わたしの恋愛感情は、昔から女性にどっぷり浸かっていた。性欲を渡す相手も、異性がよかった。でも、今はどうだ。わたしは街行く男性を目にするとセックスがしたくて堪らない人間になってしまった。



ついには友達を、性的な目で見てしまった。

それはもう、友達ではいられないということなのだろうか。仲良くなる、そして秘密を知る。思い出が積み重なり、ちょっとやそっとでは関係が崩れることはない。共に喜び、共に悲しむ。久しぶりに会ったのに、久しぶりな気がしないのは、記憶の中に相手が染み込んでいるからだった。


大学時代一番仲のよかった友達が、数年前に結婚をした。結婚式があったその当日も、わたしは会場に足を運んでいた。

その友達はいつもより、格好良く見えた。当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。勇ましく、伸びやかな出で立ち。結婚相手の女性は、わたしの知っている人ではなかった。とても綺麗な方で、上品な表情からは幸せが溢れているようだった。


仲の良い友人だけが集められた、そこは小さな結婚式。わたしは陰から姿をじっと見守っていた。人の幸せが苦手なわたしでも、"親友"の結婚となれば話は違う。「このままずっと幸せでいてほしい」そんな気持ちが強まる、だがその隣に色の違う感情が、こびり付く。

結婚した友達の姿を見ていると、体の内側が波立っているのがわかった。その瞬間は、それが性欲のようなものだとは理解できなかった。臓器が擦れ合う感覚だけをわたしはその日持ち帰り、家でゆっくりと自分の体を撫でていた。

わたしは友達とその後も何度か会い、一緒にお酒を飲んだり、昔のように馬鹿な話も沢山した。そこから段々とわたしが連絡を返さなくなり、いまではLINEの通知を開いていない状態で、止まっている。


自分でも、体と心が整理しきれない。
これは共感してもらいたい文章でもなければ、誰かに伝えたい文章にすらなっていない。わたしが女の子になりたいと願えば願うほど、わたしは自分が獣になっているのがわかった。



先日わたしはSNSを通じて、ひとりの男の子と、ひとりの女の子と一緒に食事をした。ネット上で話をすることはあったけれど、実際に会うのはその日が初めてだった。

わたしは、人に会うのが昔から好きだったのだと思う。ただそれは純粋なものではない。女の子になりたいと願う、それを実感する前から関係というものに固執しているのだろう。


初めて会ったふたりは、わたしよりも若く、20代前半。容姿はふたりとも可愛らしく、あどけなさが少し残っているところが、わたしの感情をあまり良くない意味で揺さぶっていた。

喫茶店で食事をし、話はとても弾んだ。
元からネット上でやり取りをしていたわたしたちが打ち解けるのに、時間はさほどかからなかった。共通の話題も多く、沈黙を恐れるような時間はなかった。もしかするとわたしが気を遣われていただけのような気もする。だがそれは今、考えないことにした。


わたしは、友達が欲しかったのだと思う。

それはその日も含め、今の心の中。

自分のSNSを知ってくれている人がいて、それはつまりわたしが女の子になりたいことを知ってくれていると同義だった。

ふたりも、知ってくれていた。ただその話をしている中で、数年前のあの日と同じ、わたしは獣になっていた。


一緒に食事をした、目の前にいたその男の子が可愛くて可愛くて仕方がなかった。何度もいうが、これは純粋なものではない。猥褻な表現として抱きしめたかった。

そして一緒にいた女の子がいる。
わたしは彼女の美しい容姿に惚れ込み、自我を失っていた。女の子になりたいという気持ちそのものが彼女に入り込む。自分の目に映る景色を彼女の瞳に差し替え、わたしは女の子として生きる時間を掴み取ろうとした。そしてやはり女の子は、わたしにとって"異性"だった。


邪な気持ちが出たり入ったりする。
わたしは、どう生きたいのだろう。自分の中にある、この気持ちといつになったら向き合い、上手く話し合えるのだろう。

熱い珈琲に口をつけながら、ふたりの表情をなるべく見ないようにし、またこれからも仲良くしていくことをわたしはその日、誓っていた。



家に帰りわたしがひとり、過ごしている。

そこへ、"彼"は帰ってきた。


「ただいま。」

彼はもう、そんなことを自然と言い放つ。
わたしには最愛の"彼"がいた。同性の彼のことを愛し、今はほとんどの時間を共に過ごしている。

仕事終わりの彼は自分の家に寄ることなく、わたしの家に来てお酒を飲んでいる。彼の表情を横目に、わたしは夕飯を食べたり、お風呂に入ったりする。


彼とわたしは友達ではない。
これはわたしの解釈だ。彼もそれは知っている。

彼とキスをし、セックスをする夜は何度もあった。そこからわたしの向かう先はいつも薄く、暗かった。

彼と結婚できたらどんなに幸せだろうと思う。それくらい彼のことを"純粋"に愛していた。


ただそれは、叶わない。

わたしが求めるだけではなく、誰かに求められるようになるために。どう生きて、どう言葉を扱えばいいのかわからない。

"こんな文章" と、わたし自身は言いたくなかった。勝手であり、刃物を振り回しているような行為かもしれない。

大人になり、わたしたちは新しく友達という関係を築けるだろうか。関係は、どんなものを指しているのか。そして親友は、今からでは遅いのだろうか。

27歳というわたしの年齢は、これから友達を求めるべきではないのか。最初に少し話をした、そもそもわたしは人間関係を築くのが下手だったのか、人と仲良くなるのが苦手だったのか。


これを読んでいるあなたには、友達がいるだろうか。いるとしたら、その友達をどういう目で見ているか。友達がいないとしたら、友達が欲しいと今、思っているだろうか。本当の孤独とは、一体どんな形をしているのだろうか。


こうして文章を書く場所がなかったら、わたしは今頃自分の気持ちをぶつける場所もなく、ただ途方にくれていただろう。


心と心で、手を繋ぎたい。

仕事も、恋愛も、友情も。この世には必要なものが多すぎる。エッセイをこうして書いて、わたしはここで存在はしているものの、息は今も止めたまま。

透き通るような言葉は描けない。
誰かの孤独が、わたしの文章で少しでも軽くなればと、そう願う夜もある。人のために生きたいというのは、自分を上手に生きたいという気持ちの裏返しだった。

わたしが守れることは、こうして毎日文章を書くことくらい。わたしはこれからどう生きたいのだろう。わたしは書いて、どこへ行きたいのだろう。お金は欲しい、ただ贅沢は生活はいらない。


今更何を言っているのだろう。
今更、何を想っているのだろう。

それでもわたしは、友達が欲しいです。


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書き続ける勇気になっています。

赤いヒールと、わたし。
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「栞」にしてほしかった / エッセイ・恋愛・家族・LGBT / 同性の恋人がいます《#君のことばに救われた 特別賞受賞》《キナリ杯 アカルク賞受賞》/ 定期購読マガジン「涙と栞の化粧台」更新中 / お仕事のご相談はTwitter・DMまで / 苺とケーキが好き。

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コメント (2)
生傷を曝し続けるような文章なんですね。毎日読ませてください。
私はLGBTではありませんが、
好き「だった」人、好きな人と人としてつながっていたい、そういう気持ちはあります。
その感情にはいろんな要素が混じっていて、
人間として好き
趣味嗜好が好き
考えが好き
そして
性の対象として好き…
そういうものを切り分けて考えられません。
異性として見てしまう…
性を感じてしまう…
それがなければ、もっと自由に、好きな人とつながっていられるのに…と、辛いんです。
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