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着たい服を着て街へ繰り出せないのであれば、わたしはいっそレトロなワンピースに生まれ変わりたい


淋しさの延長みたいな空気が、ずっと腕に絡み付いている。自分との約束なんてよく言ったもので、それは他人のなんてことない一言で崩れ去ってしまう。

お金はいつまでたっても貯まらない。別に、貯まらなくてもいいと思っている。わたしはわたしで生きているのだから。この生活に困ってもいないし、これ以上の生活もどこか求めていないのかもしれない。

けれどわたしには今、自由なお金がある。些細だ、本当に些細。ただそれを使っているから貯金がないのだろう。我慢しなくてもいいほど、わたしは生きる力を手に入れる場所まで走れない。



生活にかかる費用を、人は書き出す。

家賃、光熱費、食費、通信費、税金。それら諸々があって、わたしたちは生きているだけでお金がかかっている。ただこの"生きているだけでお金がかかる"というのはとても淋しい言葉の延長だ。

例えば住む家を心地良いものにするのは、自分の生き方や考え方によって変わるし、美味しい食べ物を生み出せるかどうかもまた自分次第である。でもわたしはそんな艶やかな日々を送れている人がいつも眩しくて、心の何処かで小さく舌打ちをしている。

わたしが幸せじゃないのは、わたしのせいだと言われているみたいだ。そしてそれすらも自分の不甲斐なさが明確だから、人をきらいにもなりようがない。

これだけわたしは家の外にも、遠くにも足を伸ばせるのに。なぜか籠の中でずっと踊らされているみたい。そしてひたすら、靴擦れを起こしているのだろう。


黒だったら、わたしに似合うと思った。
暗い色だったら、わたしに似合うと思った。

わたしには着たい服がある。
でもそれはお金では解決出来ない。それでもお金だって必要だ。人はお金では買えない幸せがあるとよく言う。けれどわたしは今、お金があっても掴めない幸せを見ている。


矛盾が濃くなり、わたしの喉は乾き続ける。

はっきりしない人が面倒だと。
そんなことを言われた、優柔不断は"男らしくない"と言われた。それでわたしはまた安心してしまう、触ると少し濡れた昆虫みたいに這っている。


わたしにとっての幸せは、他人が決められない。
だからわたしの幸せの道を黙って見ていてほしい。我儘で、言葉に詰まる。わたしにだってある、心だけは嘲笑されたくない。くだらない誓いを、百個あげたいのだ。そして薄笑いしながらの最期が、わたしは待ち遠しくて仕方がないのです。



「楽勝だ。」

わたしはこうして外へ、街へ繰り出すことが出来る。荒波の中で穏やかを飼っている。情緒は今、この腕にぶら下がったままだ。


洋服屋が、わたしは好き。

大学生の頃は、一ヶ月毎日違う服を着ていた時期もあった。それくらいわたしには余裕があって、自分を魅せることを怠ってはいなかった。でもそれは何にもならない消耗だった、気がする。


クローゼットの中にある。洋服の数はだいぶ減った。引っ越しをするたびに着ない服を売っていたら、両腕を伸ばせば抱えられそうなほどしか洋服は残っていない。

それでも輝いて、離れたくないと叫ぶ洋服があるからこうしてまだ残っているのだろう。


わたしはある日、着たい服を着て街へ繰り出した。身に纏ったわたしの服は黒のシャツに、グレーのジャケット。かわいいネックレスと、綺麗なピアスを両耳につける。人が見れば、どれも同じだろうと言われてしまいそうな眼鏡をわたしはいくつも持っている。その中の、気分にあった眼鏡をいつもかける。それで、完成。

ただ、まだ完成ではない。
むしろわたしはこれ以外を纏いたい人間をひとり、抱えている。その名前は、いちとせしをり。わたしの友達であり、わたし自身である。



行きつけではない洋服屋がある。

たまに店の前を通りかかることがあり、気になっていた。店の入り口は小さく、洋服屋といっても古着屋のような店だった。


外に少しだけクラシカルな音楽が漏れている。その雰囲気がどこか恐怖だったけれど、わたしの心は少しだけ傾いていた。

ネットでその店を詳しく調べることはしなかった。この行動を、わたしは怠惰だとは思っていない。なんでも調べればわかることが増えたからこそ、わたしは何も知らない状態で心を動かす楽しみを取っておきたいと思っている。もちろん調べなかったせいで、傷ついてきたこともたくさんあったし、相手を困らせてきたことだってあった。でも人は、大人はそうやって昔はぶつかったり泣いたりして成長していたのだろう。誰かがやっているからわたしもやらなければいけないなんてことは、ないのだ。


わたしは休日に、その洋服屋に入った。
その日も、曲名はわからない、クラシカルな音楽が流れていた。平日の昼間というのもあってか、店には誰もお客さんはいなかった。その店の洋服のラインナップは、どれも一点物のような柄、形のものばかりだった。

わたしは興奮した。
また久しぶりに自分の心を踊らせる服を前にしている。服を買うかどうかは置いておいて。自分の瞳に、生のものが映るという人生は愉しい。


端から端へと、わたしは順番に服に目を通した。

可愛い服もたくさんあり、かっこいい服もたくさんあった。わたしが着たいと思う服ばかりだったけれど、全部手に入れたらお腹が膨れて満足してしまいそうだった。


そして見ている中で、ひとつの区画にたどり着く。

その区画にはワンピースが所狭しと並べられていた。

圧倒される数。
お世辞にも広いとは言えない店内にそれが押し固められ、綺麗な息をしていた。


わたしは息を飲む。
ひとつのワンピースがわたしの目に止まった。

そのレトロな雰囲気に、艶があった。
黒っぽい色に、赤い花が散りばめられたデザインだった。袖口はそこまで派手ではなく、丈は長かった。


「欲しい」と思った。
「着たい」と思った。

" でもわたしは、女の子ではありませんでした。"

その証拠に、わたしはその日どこからどう見ても男らしい洋服を身に纏っていた。声は低く、筋肉質である。肌はざらつき、心には棘があった。


わたしは、女の子になりたい。
その一歩が、本当は洋服なのかもしれない。

苦しくて、今この文章を打っている時も目頭が熱くなる。着たい服を着るという人生がどうにも解決されない、その鼓動に胸が千切れそうだ。

わたしは今までもこの気持ちから、オレンジ色のスカート、白いワンピースをひとりで買ったことがある。これをとんでもないことだと思うか、それともなんとも思わないか。わたしが救われるのはどちらかというと後者だが、それすらもわたしは恐怖している。

女の子になりたいわたしは「女装」という言葉に怯えている。女の子が洋服を着た時に、女装とは言われないはずだ。それなのに、わたしがワンピースを着た姿を見て、赤の他人は口を揃えて「女装」だと言うだろう。その現実が哀しいなんてものではない、儚いなんて甘美なものでもない。わたしが着たい服を着て街へ繰り出す勇気、それを自分の力で捻じ曲げ、力を手に入れる方法なんてどこを探しても見当たらない。



目に止まったレトロなワンピース。

その理由は、着た自分を鮮明に想像してしまったから。レトロなワンピースを見て、わたしでも着れそうだと思ってしまった。思ってしまったのです。


黒だったら、わたしに似合うと思った。
暗い色だったら、わたしに似合うと思った。
このレトロなワンピースだったら、わたしが着ても誰も笑わないと思ってしまった。


「ああ、駄目だな…」

苦しくて、わたしには勿体無い。
このレトロなワンピースはきっと、可愛くて美しい女の子が着るために生まれてきたのだろう。わたしのような"男"に着られるために生まれてきたわけではないのだろう。ないのだろう…


そのレトロなワンピースを見て、わたしは身体を固まらせてしまった。わたしの周りだけきっと時間が止まっているみたいだった。その姿にひとりの店員さんが気づき、近づいてきてくれた。そして、こう言ったのである。


「そのワンピースいいですよね。お客さんに似合いそうですよ。」



わたしは五感、全てをその時疑った。

今までわたしがオレンジ色のスカートを買った時も白いワンピースを買った時もそれとは違う言葉を言われてきた。


「プレゼント用ですか?」と。

当たり前だ。
だってわたしは女の子ではないのだから。けれどわたしはそのまま「はい、プレゼント用です。」と今まで答えてきた。自分へのプレゼント用だ。嘘なんて一滴も入っていない。

だからわたしはどこかで、その言葉が飛んでくる準備をしていた。服を買うために、他人へかざす理由を構える。そんな時はいつだって変な匂いの汗が脇に溜まる。


その女性の店員さんは、ワンピースを着ていた。緑色のレトロなワンピースだった。間違いなく、その店員さんはその格好で街へ繰り出せる。当たり前の幸せが目の前に佇んでいる。わたしがそれを脱がしたくてたまらなかった。わたしにだって、わたしだって、あなたのようなかわいらしい女の子になりたかった。なりたかったのです。


でもその店員さんはわたしに、

「お客さんに似合いそうですよ。」

そう、言ったのだ。
初めて会ったその店員さんは、わたしが手に取ったその服を、わたしが纏う未来としていとも簡単に想像してくれた。

許されている、許されていた。無邪気な表情をしていた、その店員さんの顔をまたわたしは今想像すれば、簡単に涙を流せるのです。


それと同時にわたしは馳せていた。
わたしがその日着ていた、男っぽいシャツもジャケットも。本当は知らない誰かが死ぬほど着たかった服のひとつだったりもするのではないかと急に哀しくなった。脱ぎたい、脱ぐべきなのか。わたしが本当に着たい服はなんだ。

好きな服を好きなように着る幸せは、平等にやって来ない。それはわたしが不幸という話ではなく、むしろわたしは人よりも幸せになる可能性を秘めている。


レトロなワンピースは、無機質に笑っていた。
あなたなんかには着られたくないと、内心思われていただろうか。苦しくて、でも報われたくて。わたしに声をかけてくれた店員さんはずっとニコニコしていた。いつもと同じ、恐怖すら感じた。ただ少し違うのは、わたしが変わろうとしていたことと、わたしに似合う色をわたし自身が決めようとしていたことだった。


最終的に、わたしはそのレトロなワンピースを買った。

恥ずかしくて、でも店員さんはずっとわたしが着る未来として最後まで話をしてくれた。そこでわたしは「男ですけど」と、戯けて突っ込む勇気はなかった。このまま馬鹿みたいに騙されて幸せを手にしてしまおうと思った。そして初めて会ったその店員さんは、緑色のレトロなワンピースが世界一似合っていた。


わたしは八千円というお金を、カルトンに置く。
わたしは自分で稼いだ、その八千円の重みを知っている。これがあればわたしは他にどんな幸せなことが出来ただろう。何日間、生き延びられただろう。美味しいランチが、あと何回食べられただろう。

ただそんなことを、わたしは店内では考えていなかった。目の前にあるワンピースをわたしが着たい、見ていたいと心が踊り狂っていたのです。


これでまたわたしは、また我慢する生活だ。お金は貯まっていかない。けれどさっきも言ったように、わたしはわたしで生きているのだから。この生活に困ってもいないし、これ以上の生活もどこか求めていない。


それでも我慢せずに求めたそのワンピースを、わたしは世界一抱きしめることにした。家に帰り、自分の服としてわたしはすぐに身に纏った。ちょっぴり奇妙で、でもわたしは自分の姿を見て、また涙が足りなくなった。感情が破裂しそうで、クローゼットの中にすぐに仕舞った。少し窮屈そうにかけられたそれは、健やかに眠ったのである。


レトロなワンピースを着て、わたしはまだ街へは繰り出せない。ファッションショーは、まだひとりでいい。

それでも、それでもわたしが着たい洋服が側にいる生活をしている。花に水を渡す時と同じように。わたしという花に、ワンピースがかかっている。生まれ変わりたい、今だけは。わたしが買ったそのワンピースにわたし自身がなれたとしたら、やっと命になれる。暗い色を"女の子"が着て、晴れるのだ。


その日の夜。

わたしはクラシカルな曲を耳に流しながら眠りについた。


女の子に、なりたいな。
女の子で、ありたいな。

そうずっと夢を見て、泣いていたのである。


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