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小学校の漢字のテストで満点を取らなければ納得出来なかった人ほど、大人になって生きづらくなっている。


別に、完璧じゃなくても良かった。

遅刻も、早退も。ましてや休むことも駄目なことだと思っていた。真面目に歩いて学校に行く。列を乱さず、枠から出ることを恐れていた。個性とか才能とか。そんなものはいまも見つかっていない。それでも過去のわたしにあった可能性を小さくしたのは、紛れもなくわたし自身でした。

返事は元気よく。
ティッシュとハンカチは必ず持っていた。けれどその出番は、数えるほどしかなかっただろう。ただそれを持ってこないことが悪いこととしか思っていなかった。約束を守る自分を褒めるどころか貶し、約束を破っている周りが羨ましくて。早く"そっち側"に行きたいと思っていた。


「いちとせしをりさん!満点です!」

それさえ聞ければ良かった。
わたしは満点なのだから。
他の何かが駄目でも、わたしにはこれがある、これが聞ける。ただそれが今のわたしの人生にどれほど良い影響となっただろうか。真面目に黒板に書かれたことを写して。本当に言いたいこと、書きたいこと、飲み込んだ。落書きをしても詰まらないし。ただ大事なところに線を引き、問題を解けと言われれば解く。ここがテストに出るぞ、と。そう言われれば、一番目立つ色で丸をつけたのだ。

今のわたしの人生は、満点どころか平均点にも満たない。けれどわたしは今どこと比べているのだろう。自分自身の生きる環境は、もう自分で変えられる。またわたしは同じように輝ける場所を探せば良かっただけなのに。周りと同じことをして、でも同じように出来ない自分に絶望していた。



わたしは小学校時代。真面目な人間だった。ただきっと他の学校に身をおけば、また評価は変わっていたと思う。

田舎の学校だった。
生徒数も少なく、自然の中で伸び伸び育つ人間ばかりだった。勉強は、そんなに見てもらえなかった。勿論テストでいい点数を取れば周りに褒められる。ただ、いい点数を取りすぎてしまった、取り続けてしまった。そしていい点数を取る努力なんて、他の誰もしていなかったのだ。

毎週のようにわたしの学校では漢字のテストがあった。数問で終わるものではない。50問はあったと思う。それをわたしはいつも真面目に勉強していた。姉が漢字検定を受けていたこともあり、わたしはそれを見て同じように漢字の勉強をし、追いかけた。小学校高学年になる頃には高校で習う漢字も好きで勉強していた。わたしは当時から姉のことが大好きで、漢字が好きというよりは姉に追いつきたくて必死だったのだと思う。そしてその姿を純粋に褒めてくれるのも、同じように姉だったから。


わたしは、勉強した。
毎週のように満点だった。
先生は満点の生徒に答案用紙を返すとき、必ず「満点です!」と言ってくれる人だった。裏を返せば、それを言わないときは満点ではないのである。満点を取り続けてしまったせいで、わたしは満点でない時、周りに冷やかされていた。


「え!いちとせ満点じゃないの?」

そう、言われるのだ。
よくそんな言葉、平気で言ってくれたなと大人になって思う。わたしは周りの友達に褒めてもらうために満点を取っていたわけではないけれど、次第にわたしの満点は当たり前になり、それ以外のわたしは人として除外されている気分にすらなった。


98点、99点は駄目でした。
満点でなければ。
間違えたその漢字を恨みそうにもなった。二度と間違えてたまるものかと。わたしは誰に言われたわけでもなく、呪文のように同じ漢字を何百回と書いた。書いて、その紙を思いっきり破った。

苦しかった。
漢字は今も好き。言葉は今も好き。
だからこうして文章を書いていたりもするのだろう。それでもわたしはいつも30点の人が、70点を取ってクラスを賑わしている姿が羨ましくて、憎かった。不公平だとも思った。そして通知表の先生からの一言には「もう少し、外で遊んでもいいかもしれませんね。」と、記された。なんだ、なんだよこれ。わたしの満点はなかったことにするのか、と。痛かった。殴られたわけでもないのに、胸の奥がずっと苦しかった。



大人になった今。
わたしは満点を取れなくなった。
満点を取れる機会も、その期待もされなくなった。会社でも仕事が出来る人間にはなれなかった。うつ病になって、辞めた。教科書通りみたいだ。

平均点以下になってわかった。
わたしはごはんを食べただけで褒められる。外へ身体を出しただけで褒められる。病院の先生が無機質の優しさをくれた。


「いちとせさん、その調子ですよ。」

そう言ってわたしの背中を押してくれた。病室を賑やかにしてくれた。わたしの今の人生は、30点を取って褒められている。そっちの立場になったら楽しいと思っていた。満点を取らない人間が羨ましかったのに。わたしは、わたしは…


生き方がそもそも違った。
わたしはこうして毎日なんとか仕事をして、ただ給料だって少ない。恋人もいない。賃貸の部屋に暮らし、車も持っていない。わたしの生活を見て"羨ましい"と思う人は少ないだろう。なりたいと思う人は少ないだろう。けれどそんなこと、知ったことか。わたしはわたしの中でこれからは満点を取るのだ。完璧にはなれない。

自分の好きなものを見つめ。
わたしはこうして毎日書いている。
昔に比べればパニック発作だって軽くなっている。いける、いけるんだ。人によって歩幅は違うけれど、一歩の価値は同じであってほしかった。



やっぱりわたしは満点が取りたい。

でも大人の満点は、遠い。
だったら人より真面目に生きたい。
苦しいけれど、この苦しみを大事にしたい。毎日学校に行く、それと同じようにわたしは毎日のように書く。わたしがこうして200日以上毎日noteを書いていることだって。誰かに褒めてもらうためにやっているわけではないけれど、ただ書いていない人よりは褒められて当然だと思っている。本当はそういうことではないことも、わかっている。大作をいつまでも出せないこと、それも苦しい。ただ毎日学校に行けばいい人生は、終わったのだ。


大人になった。
わたしは人の努力を笑わない。
たとえそれがどんなに小さかろうと。
完璧じゃなくてもいい。
もともと満点と完璧は同義ではない。

満点を取るために、わたしは"完璧"をする必要はなかった。自分の心を休める時間。遊ぶ時間。それを跳ね除け、ひたすら努力し続ける時間。学校だって、休んでもいい。テストに出るところ以外だって勉強してもいいのだ。


そうやって生きていれば、もっと好きなことが落ちてくる気がした。手のひらの中に自然と入ってくる気がした。

真面目が長所とか。
優しいところが取り柄とか。
それを当たり前と笑わない。
限りなく無個性かもしれない。ただ尊重されるべきひとりの人間であることは変わりない。


笑わないよ。
人に優しくて、でも嫉妬深い。
ただ愚痴の吐き出し方も下手くそな人が、努力をして報われる瞬間があったとしたら。わたしはそれを見て思いっきり笑いたい。


完璧にしない勇気。
それを持つ。

わたしはまた好きな言葉を持って、会いに行くのだろう。もう、破らない。「好き」を紙いっぱいに書いて。


わたしは渡したい人へ、渡しに行くのだ。

それを見て、思いっきり笑ってほしいのよ。


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エッセイスト / 日常・恋愛・家族・LGBT / 同性の恋人がいます《#君のことばに救われた 特別賞受賞》《キナリ杯 アカルク賞受賞》/ 定期購読マガジン「涙と栞の化粧台」更新中 / お仕事のご相談はTwitter・DMまで / 苺とケーキが好き

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コメント (3)
>ただ愚痴の吐き出し方も下手くそな人が、
>努力をして報われる瞬間があったとしたら。
>わたしはそれを見て思いっきり笑いたい。

笑いたいし、笑われたいです。
涙がでました。
ジーンと来ました。
僕も大人になってからも、完璧を求めて苦しんでいます。
共感しました。
>そうやって生きていれば、もっと好きなことが落ちてくる気がした。手のひらの中に自然と入ってくる気がした。

>限りなく無個性かもしれない。ただ尊重されるべきひとりの人間であることは変わりない。

本当に本当に心に染みこみました。
かつて、いちとせさんと同じように学生時代を生きてきて
胸を張って趣味や特技といえるものが今にいたるまで思いつかない私は
「それって没個性だよね」と冗談の形で投げられた言葉のナイフが刺さってしばらく抜けず、今もたまに古傷が痛みます。

それでも、尊重されて然るべき1人の人間ですよね。
いつか自然と出会える好きなことを探しながら、ちょっと胸を張って生きていて、良いんですよね。
ありがとうございます。

いちとせさんの文章、大好きです。
これからも楽しみにしています。
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