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可愛くなって会いに行きたい人がいないというのは 人生の何割を損しているのだろう



騒々しい。

金曜日だからといって、わたしの日常に大きな"解放"は訪れないだろう。
ファミレスに置いてある間違い探しよりもわたしの日常には変化がない。
「ここが違うよ」と誰かに指摘してほしかった。「それでもいいよ」と支えられたかった。そしたらわたしの生活ももしかしたらもう少し潤ったかもしれないのに。


今日は寄り道をした。人でごった返す大きな駅にわたしは息を止めながら入り込む。電車の乗り降りだけでなく、駅では今となっては当たり前だけど沢山の買い物が出来る。生活用品だって食品だって買えるし、家具だってもっと大きなものだって売っている。人間の欲望が詰め込まれた駅に同情しながら、わたしは駅の中にある本屋に向かった。
特に買いたい本があったわけでもない。ただちょっとだけ本の匂いを嗅ぎにきた。けれど、駅の本屋は人々の胡散臭い匂いが入り混じっているせいか、少し居心地が悪かった。
女の子でもないわたしは、本当は手に取りたかった女性誌を横目に、そこを後にする。
わたしはその足で、生活雑貨店に入る。女の子になりたいわたしは、ちょっと値段の高い化粧水と数分間睨み合いをした。女の子でもないのに、やれ化粧水だの乳液だの、そんなことを言ったら気色悪く思われそうだ。
「安いやつでいいや」とわたしは俯きながら、いつも買っているものを手に取りレジに向かった。

「可愛くなりたい」

そう思うのは悪いことなのだろうか。叶わない夢を追いかけるのってみっともないのだろうか。それともわたしが思う"可愛くなりたい"という気持ちは中途半端なものなのだろうか。不甲斐ない。もっとお金があったらとか、もっと時間があったらとか、もっとわたしが元々可愛かったらとか。そんな言い訳ならいくらでも思いつく。思いつけば思いつくほど、わたしはこの世で生きていく気力を削がれてしまっている。ただ当たり前に女の子に生まれ、女の子として生きている貴方たちに手を引かれてみたかった。




空似する愛おしさ


女の子、それは虚像だった。

事実などどうでも良かった。可愛いと言われる対象に今からでもわたしは生まれ直したい。

わたしは女の子ではない。

そんなことをわたしはまた思い出した。

散々Twitterでもnoteでも書いているので、いつも読んでくれている方には申し訳ない。
ただそんなことをまた強く感じてしまったのは、ひとつのnoteがきっかけだった。



今日、わたしにとってそれは特別な日だった。

このnoteが更新されることは、わたしは実は数日前に知っていた。
自分のことを書いてもらえることに嬉しさと怖さが日々入り混じりながら、今日まで生きてきた。

朝から仕事をしていたわたしは、いけないこととわかっていながら他の従業員の目を盗んで事務所の隅で、必死にこのnoteを何度も何度も読んだ。

このnoteにはわたしのことが書かれている。

この方が貴重な時間を割いてまでわたしのことを書いてくれたこと、女の子になりたいわたしのことを汲み取ってくれたこと。寝ているわたしを起こさないように毛布をそっとかけてくれるような、散らかったわたしの服を畳んでくれていたような、そんなnoteにわたしは大袈裟ながら涙した。

特に明言されているわけではないけれど、女の子になりたい自分を認めてくれている気がした。
SNSだけの繋がりに、こんなに感情を動かされるわたしはやはり社会に適合出来そうにない。それでもnoteをやっていて良かったと、子どもの作文のような感想が溢れ落ちた。




楽観する厭世


見られたかった、noteもTwitterもわたしも。

そもそも"可愛くなる"という行為を許されない性別であるわたしは、人生の全てにおいてきっと損をしている。

会いに行きたい人がいたとしても、わたしは可愛く着飾ることは出来ないのだ。"出来ない"とまた言い訳をしているように聞こえるかもしれない。けれど、本当に"出来ない"
それはきっと納得が出来ないに近いのだと思う。適切な努力の方法がわからないわたしはSNSでまた悲鳴をあげてしまいそうだ。

自分が本当は買いたい本や、化粧品、そんなものが正直にほしい。周りの目が毎日のように怖い。わたしがこんなものを買うなんて、とそんな言われてもいない台詞を心の中で自分に響かせる。

それでも、それでもわたしは可愛くなりたいのだ。
なりたい自分に真面目に向き合うのって言葉でいうほど簡単ではない。それはわたしの"可愛くなりたい" "女の子になりたい"という気持ちに限らない。
誰しもがなりたい自分の姿というものがあって、人は無意識にその姿を追い求めているのだと思う。
その姿で会いたい人というのが本当に会いたい人なのだと思う。
金曜日の酔った勢いなどではない。必死に準備した自分の姿を頭の天辺から足の爪先まで見てほしいのだ。

幸せだろうな、きっと。

なりたい自分になって会いに行きたい。

そんな自分を抱きしめられたい。

けど、まだ駄目だろう。

人は遠回りしてばかりだ。醜いね。


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「女の子」になるために。

また来てね。ずっと、書くから。
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ここでの文章は「女の子」が書いていると思ってすべて許してほしい。/ 性と日記。エッセイが好きです。恋愛・LGBT / 同性の恋人がいます【毎日更新398日目】お仕事のご相談はTwitter・DMまで。
コメント (7)
わがことの ように喜ぶ ネコがいて 
しをりさんには 愛でて欲しいの

色々感想がありすぎるので、思わず一句を詠みました🍬

一言、おめでとうございます🐈
konekoさん
素敵な言葉をありがとうございます。
また明日も変わりなく書き続けます。
同じではないでしょうけど、私もそういう気持ちになることがあります。時々そんなものが全くない世界だったらいいのにと思ってしまいます。
海町祈里さん
本当は自分で世界が変えられたらいいんですけどね。
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