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思っているけど言わないことがある健やかさ。

「言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに」
とかそういうのじゃなくて。
かといって「言わなくてもわかるでしょ」というのでもない。

言いたいことはなんでも口に出したほうがいいってずっと言われてきたけれど、私にはできなかった。私はどうして言いたいことの半分も口にできないのかと悲しかった時もあったけれど、人生の半分くらいを生きてきて私は思っていても言わないことがあるほうが心地がいい。あえて言わないんだと開き直ることにした。

私は
言葉数が多いほど伝えたいことの精度が低くなる。
下手な鉄砲は数打つほどにどんどん当たらなくなる。
手品師の万国旗みたいに喉からどんどん連なって出てくる言葉たちを、最後まで手繰ったところで本当に言いたいことが見つからない時だってある。
そういうときはまあ3日くらいは落ち込む。
言葉が足りなかったとき以上にがっかりする。

言葉は大切なのだ。「言葉なんかじゃない」じゃないの。
人によって比重は違うと思うけれど、少なくとも私にはとても大切。
空気に溶けていく言葉たちも、私は無しにすることができない。

私は食いしん坊(少食だけど)なので、一食一食何を食べるかの真剣勝負を繰り返している。人生が終わるまでに、もしくは普通に食事ができなくなるまでに、食べられる食事の回数は限られているから。(しかも少食だし)
話す言葉も似ている。
大切な人に伝えられる言葉はそんなに多くない。だからその精度を高めたいと思ってしまう。
子どもにお説教をかましてやろうとぐるぐる考えあぐね、出てくる言葉が大体いつも「だいすきよ」になっちゃうみたいに、大事な場面では言葉は少しでいい。

もちろん大切な人との間に言葉を少なくできるのは、普段うんとたくさん話をしているからなんだけれど。
言わないことがあるっていっても、私はだいぶおしゃべりなほうだと思う。

そうやって歳を重ねてきて、言葉で誰かを少しだけ気分良くさせる魔法が使えるようになった。いつもうまくいく魔法じゃないけれど。
生活の中のなんてことない場面でも(例えばコンビニの店員さんになんて声をかけるか、とか)なおざりにせず言葉を選ぶのが好きだから。日々鍛錬。同時に、言葉で誰かを傷つける魔法も容易く使えるようになってしまったからこそ、その危なっかしいものは鍵を掛けてしまっておかなくてはと思う。
私は言葉を取り消すのが苦手だから。

なんの話だっけ。
とにかく、言いたいことを全部言えちゃうことが気持ちいい人ばかりじゃないってこと。です。





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