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体感を信じていたいのだ。

美味しいものがすごく好きだ。
少食の食いしん坊である。
上等だから美味しい、ジャンクだから美味しくない、ではない。
誰かが美味しいと言うものをそのまま美味しいとも思わない。
美味しいはひとりひとりにみんな違う。
私は「私に美味しい」ものが好きなのだ。

食べ物屋さんをやっているということもあるのかもしれないけれど、そうでなくともこのご時世「美味しいもの情報」で溢れかえっている。なんだかみんな溺れているみたいに見えるほど。
いつの頃からか「安心安全」という魔法のスパイスも横行している。
「糖質オフ」も「低コレステロール」も「完全無農薬」も私の心を動かさない。
私の美味しいは私の体が決めるから。

食べ物に限らず、世の中には「役に立つ情報」が溢れていて、心理学的にとか科学的にとか実験ではとかデータではとか、ムダを省いて最高の幸せを!みたいな世界に食傷気味。しかもその幸せは私の幸せとは違うんじゃないかな。
私は、夫はイクメンじゃないほうが幸せだし、子どもに毎日何冊もの絵本を読み聞かせたりしないし、時短料理に必要性を感じたことがない。

「根拠のある情報」も「ライフハック」も嫌いじゃないというかむしろ好きなほうだと思うけれど(つい読んじゃうし)、それを自分の暮らしに採用するかどうかは体感で決めたい。
食べ物が美味しいかどうかを頭で決めるんじゃなくて、その時の自分の状態にぴったり合うものをもぐもぐしながら、ああ美味しいなーって毎回ガッツポーズしたい。目の前の人も一緒にガッツポーズしてくれていたらそれはとてもとても嬉しいことだけれど。

夏でも熱い飲み物を飲む。
毎日しっかりおやつを食べる。
まぶたが重たくなってきたらすぐに昼寝をする。
牛乳をたくさん飲む。(カフェオレにして)
図書館に行かず本屋さんに行く。
家の中で靴下かスリッパを履く。(足が冷たいから)
キャラメルティーは飲まない。
喧嘩はしない。
お化粧はしなくてもピアスはつける。
お菓子を焼く時はちょっと余計めに火を入れる。
店員さんとは敬語で話す。
どうしても悲しい時には心の中で「おかあさん」と三回呟く。

色とりどりの世界。
私は体感を信じていたいのだ。





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