見出し画像

生き方はあとから自分で決めればいいよね。

あんまり子どものことばかり書かない人でいようと思っていたら、ちょっと筆が止まってしまう感じがしたので気にせずに書こうかな。
子どものとの暮らしは考えることに溢れているから。

先日、ふと子どもにテレビを見せることの良し悪しについて考えてみました。
ちなみにうちはテレビを見ることについてなんの制限もしていません。
好きな番組を好きな時に見ていいし、チャンネル争いが起こるならそれはそれで勝手に折り合いをつけてくださいねという感じです。

小2の息子が最近ニュースの内容をとても気にするようになりました。
過去の事件を扱った再現番組を見るのも好きなのでニュースと混同していることも多いですが、それが可愛くて微笑ましい。
「さいきん誘拐が多いよね」という独自の分析をしてみたり、「犯人はお腹が空いてたんだと思うよ」なんて子どもらしい推理を働かせてみたりしたかと思うと、割と鋭い考察や質問を投げかけてくることも増えてきました。

うちではいいニュースも悪いニュースも一緒に見て、必ず感想を言い合います。たとえ心をえぐられるような恐ろしい事件であっても、どうしてこんなことが起きたのか、もしも自分が当事者だったらどう対処すればよかったのか、どんな気持ちでこのニュースを受け止めているのか、なんかをじっくり話すようにします。そして必ず最後に自分とそのニュースを切り離す手助けになるような言葉をかけるようにしています。

私がよく想像するのは「親から(物理的にだったり精神的にだったり)独立した後のこと」です。
もし家で一切の悪いニュースから遠ざけられた暮らしをしていても、自室でネットの世界に潜っていったり一人暮らしの部屋にテレビを買った途端、それはどんどん流れ込んでくる世の中ですよね。
そこで初めて、たったひとりで、心が荒むような悪いニュースに出合った時、上手く自分の中で処理できるかどうかってちょっとわからないなと思うんです。その時はきっとそばにいてあげられないから、一緒にいる今やれることを考えます。

大人になってから生活のスタイルや嗜好を自分で決めることはすごくいいことだと思うんです。私にも譲れないことがいくつかはあるし、自分の中のルールだって持っています。
でもそれはたくさんの選択肢の中から自分で経験したり考えたりした結果選んできたものであって、親が決めてくれたものなんてひとつもありません。(素直な人ならいくつかはあるかな)
自分ルールのおかげで生きやすかったり、逆に生きづらかったりしても、選んだのが自分自身であれば人生を誰のものでもない自分だけのものだって思えるはず。

「暗いニュースはメンタルに悪いから見ない」とか「ジャンクな食べ物は健康に悪いから排除する」とか、そういうのは大人になってからいくつもの選択肢の中から自分で選べばいいと思っています。
親が一生情報や生活をコントロールしてあげることはできないから。
気にすることを教えるより、気にしない術を身に付けてもらえるようにしたいのです。
あくまで我が家の話ですが。




読んでくださり、ありがとうございます! いただいたサポートは書くこと作ることの燃料になります。