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企業に哲学人が採用される日

最近、CPO(Chief Philosophy Officer)最高哲学責任者なんてポジションが企業で注目を浴びているそうです。そんな記事をネットで見かけるようになりました。

ずいぶん昔に哲学の教授が、哲学こそ企業の重要なポストに必要な学問だ、なんて熱弁していたことを思い出しています。働き方改革だとか、業務改善だとか、DXだなんて言葉がテレビCMでも飛び交うようになったけれど、これらの改善活動はどれも外面的な変更といった程度のものが多く、ほんとうに変えなければいけないのは、働き方についての「概念」のほうじゃないかという気がしてなりません。そこで、哲学の登場!ということですねw ようやく(何の役にもたたないと言われ続けた学問が)陽の目を見るときがやってきたようです(笑)


勝手に妄想

実際にどんなことするんだろう。。。って気になっているのですが、具体的な仕事の内容について説明されたものがあまりない。そこで、もし、わたしが「哲学」という視点で企業に携わってほしい、なんて依頼されたら、、、を勝手に想像しています(笑)

実際に関わりのあるいくつかの企業を思い浮かべて、自分が大好きな社長さんだったり、知人が経営している会社だったり、共感できる理念をもった会社のCPOに自分がもしなったら、、、を想像するのです。

わたしが思うところの哲学って、すべての人間は多様(みんな違う)である、っていうところから始まっていて、その無数の異なりの中からたった一滴の共通項を絞り出す作業です。(もしかしたら、そんな一滴はどこにもないかもしれないけれど)その一滴(= 真理)をどこまでも追い求めるものではないかと思うのです。

あまたある企業のなかで彼らが存在している最も大きな意義はなんだろう?そこをまず自問してみるところからはじめます。

ところが、やってみるとこれがなかなかにおぼつかない。なんでだろうと考えるうちにわかったのですが、企業で働く意義って、場面や状況によって答えが変わってきてしまうんです。

存在意義をどのレベルで語るか

例えば、企業と顧客の2軸で考えたとき。地域やコミュニティーの軸で考えたとき。国や世界、むしろ地球という環境の場を考えたとき。または、時代という時間軸で考えたとき。過去なのか、今なのか、未来なのか。その未来は1年後なのか、10年後なのか、100年先なのか。一緒に想像してみてください。これらの視点によって、企業理念やあるべき理想の姿というのは変わってきてしまわないでしょうか。

なぜなら、企業とはその存在の起点がそもそも「部分最適」だからではないでしょうか。視点の広さや高さによって「最適解」が変わるのです。加えて、理念以前に更に考えなければならないのは「企業の性質」です。企業はそもそも成り立ちが「利益追求」にありますから、土台には利益構造が必ずなくてはなりません。いくら理念を貫きたくとも存続できなければ企業として立ち行かない。すると、より普遍的な視点で語ろうとしたとき、企業の「理念」と企業の「性質」はしばしば相反します。(民間あるあるですが、困ってる人を助けるって理念なのに、困ってる人がいても過疎地域には儲からないから出店しないとか)

これって、哲学的な思考と相容れないのでは?と、思っちゃうわけです。

哲学っていうのは状況によって答えが変わってはいけないんですよ。いけないってこともないけども、普遍性(何が違っても決して動かないもの)を大切にするんです。だから、もしわたしが企業に哲学的な視点を取り入れるとしたら、そもそも利益追求型の部分最適解である「企業」の在り方から見直しませんか?という話しかできないような気がしてしまう。

ファシリテーターとしての哲学

すると哲学人に求められていることは、むしろ理念の再構築ではないのかもしれません。むしろ対立する多様な立場にあって、共通項を追求するというプロセスの方かもしれない。

複数の対立するグループや個人がいる時、その対立の元はどこにあるのか?それを探るところからはじめなければなりません。それは偏見からくるものであったり、無知からくるものかもしれないし、固定観念にどっぷりつかっている意識からくるものかもしれません。そういった意識の偏りをニュートラルに見定めるのは意外と難しいものです。

また、組織で動いていて実際に思うのは、ほとんどの人は直接的な対立を避けようとします。これは新人のころのわたしも同じでした。苦手な部署。ちょっと高圧的なマネージャー。KYな同僚。こういった人とはできるだけ関わらないようにしたいですよね。どうしても避けられない時は、外堀から固めていき問題が影響ないところまで薄まった時点で解決とみなしてしまいます。良く言えば平和主義ですが、問題の根本は解消しません。

対立の解消は対話による相互理解からしか生まれない、と経験上わたしは思います。問題の原因は(調査などせずとも)現場のスタッフが既によくわかっていたりするものです。ところが、彼/彼女らは問題に対する原因の指摘(飲み会で愚痴ったりw)はするけれど、直接的にその原因を解消しようとはしません。なぜなら、そこに対立の火種があるからです。このような場合(もちろん差別とか、戦争と言った生命に関わるような対立じゃない限り)解決方法は意外と簡単です。当人同士を引っ張ってきて会話させればいいんです。当然、ぎくしゃくしますけど、ちょっとした会話のフォローと、ちょっぴりのユーモアがあれば十分です。お互いの顔が見えて、お互いの問題がわかってしまうと解決の糸口は彼/彼女らが勝手に見つけてくれます。

必要なのはむしろその場にたどり着くまでの勇気かもしれません。その糸口を提供する役は、もしかしたら哲学人が適任かもしれません。つまり、ファシリテーターですね。

哲学人がつくる社会

少し夢があると思うのは、すべての企業に哲学人が配属されて、企業の普遍的な価値ってなんだろう?と、それぞれの哲学人が横のつながりを持ち出したら、企業の在り方や概念そのものがあるいは見直されるようになるかもしれない。

それは機能としての企業の在り方だけでなく、人が生きる「場」の話です。現代社会ではわたしたちが「人」を評価するとき、それはスキルや能力といった測定可能なものに頼ろうとします。ところが、そのような価値基準は対立を助長こそすれ、解消はしてくれません。スキルや能力はときとして代替可能なモノとして扱われ、「人」という軸を無視してしまうからです。

これから先、これまでのやり方とは違った別の道を模索することが求められるかもしれません。それはひとりひとりの顔を観ること。心の有り様を見つめること。わたしたちのスピリテュアリティを尊重することかもしれません。この手元にあるコーヒーカップの品質がどうだということよりも、誰がどういう想いで作ったか、そして誰が使うのかに視点は移ってゆきます。高級ブランド品であることよりも、孫が作ってくれたいびつなお椀のほうが価値があったりしますよね?そういう世界観。

そのような、仕事を通して、より根源的な人の在り方の革命が行われる日がいつかくるのかもしれない。そうなったら楽しい。

りなる



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