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ずっと自分を描きたかった。

ずっと、何かを描き表したかった。
その何かがわからないまま、生み出そうとして、できなかったり、形になったように見えてもその中に込められるべき芯が欠け落ちていることを、自覚してはいた。
大学の卒業制作を前にして、これまでの作品では到達できなかった、何か自分にとって重要な核に触れたいと思いを巡らせているとき、「恥を描こう」と思った。「自分という恥」を描きたい、と。

子どもの頃はものを作ることがただ楽しくて、何かを描いたり組み立てたりしては、それを眺める時間もまた大好きだった。それはほとんどが絵で、ときどき造形物だったり、音楽だったり、文章だったりもした。
進学を重ねても、そうしたことは細々と続けていたのだけれど、大学に入ったあたりから、「描きたい」のその先がうまく出てこないことが増えてきた。
絵が描きたくなり紙とペンを出してみるも、何も出てこない。うーんと唸り、考えて、少し線を引き、やめる。
出力したい衝動があることだけが確かで、その中身がからっぽだった。何を描いたらいいのかわからなかった。理由もわからずに、こういうことを何度も繰り返した。

元いた大学から芸術系の大学に進学し直しても、この症状は変わらず続いていた。作りたいものがわからない。でも、作りたい衝動は確かにある。もがいて、捻り出して、見つからないまま、ジャンルの異なる学部を経由し9年目になった。それでも、衝動があるということはその中身も自分の中に存在しているはずだという感覚はあった。
そうして核を見つめ、初めて意識に上がってきたのが「恥」であり、すなわちそれは「自分という存在」を表すことばでもあった。

表現を通して自分自身を描き写すこと。
それが子どもの頃からわたしがし続けてきたことだった。
いつしかなんとなくレールに乗って人生が運ばれていくにつれ、それまで無邪気に描いてきた自分というものが、どこにあるのかわからなくなってしまった。もう一段下げると、わたしは生きていく過程のうちに、自分というひとつの在り方を「恥」として認識するようになり、それを公に表現するということを、無意識に避けるようになってしまっていたのだった。
最初の大学をやめると決めたのは、無意識が自分を取り戻そうとした結果だった。

どれだけ自己が乗らずとも、作る作品には残り香のようなものは乗る。けれど、体幹無くして自立ができないように、芯のない作品はどこか曖昧で危ういということは感じ取っていたし、恐ろしく勘のいい講師にはそれを見透かされてもいた。
その欠けたものの正体が「自分」だったことに、わたしは長く気付けなかった。

ずっと自分を描きたかった。
自分を描くということは自分の輪郭を確かめる行為だ。
それが恥を晒す行為に他ならないにしても、わたしはわたしを描き表すことで、自分の輪郭を確かめたい。そうしなければ、わたしは自分という存在の形を見失ってしまう。

諦念。
恥を描くことでしか、わたしは自分として存在していけない。
それがわかったから、恥晒しとして生きていくと決めた。

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