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2月17日。一瞬でも思いを馳せてほしいと思うことがあります


2月17日。
わたしにはこの日、みなさんに一瞬でも思いを馳せてほしいと思うことがあります。
北アフリカの国、リビアのことです。

なぜそう思うのか。なぜ2月17日なのか。
今日は、そんなことについて書いてみようと思います。


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リビアのこと

リビアは北アフリカに位置する国。
アフリカ大陸で4番目に大きい国で、国土の9割を砂漠が占める。公用語はアラビア語。

フェニキア人から、ローマ帝国、アラブ人勢力、オスマン帝国、イタリアなど、様々な勢力に支配されてきた国。
その中で、東西南北の多様な空間が交差し、豊かな文化が育まれてきた。

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リビアの首都、トリポリ。2010年頃。

1969年からは、40年以上に渡りカダフィが権力を握った。
カダフィは石油収入を国民に分配する代わりに、独裁を敷いていた。
体制に反対する勢力は封じ込められ、弾圧の手は国外に暮らす国民にまで及んだ。

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かつては街の至るところにカダフィを称える看板やポスターが飾られていた。

医療や住宅の手当は厚く、街で物乞いの人を見かけるのは稀なことだった。
ただし、体制にとって都合の悪いことは一切口にしないこと、という条件付きだった。


2月17日

2010年、チュニジアの青年が焼身自殺を行ったことをきっかけに、同国で市民による大規模な反政府運動が起きた。
後に「アラブの春」とも呼ばれるこの動きは、エジプトにも波及。両国の指導者は翌年の2011年、退陣へと追いやられた。

そして、その波はリビアへも及んだ。
同国でカダフィ体制に反対する運動が始まったのが、2011年2月17日のことだった。

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2010年、首都トリポリの中心で。カダフィ体制時代に「緑の広場」と呼ばれていたこの場所は、2011年以降、当時の犠牲者を記憶するため「殉教者広場」という名に。

体制側はすぐに、武力を用いて運動を弾圧。死者数は急速に増えていった。
2月中旬からの2ヶ月で、1万人が亡くなったとも言われている。

こうした事態を受け、国連安保理決議に基づき、同年3月にはNATOが人道的介入を開始。
体制側とNATOの支持する反体制側の間の内戦を経て、10月にカダフィ体制は終わりを迎えた。


それからのこと

リビアは自由で人びとの声がきちんと聞かれる国になる。
一時は、そんな希望を抱いていた人も少なくなかっただろう。

だが、実際にはその通りにはいかなかった。

新しい政府づくりは難航した。
「反カダフィ体制」の旗のもと一度は団結していた勢力も、体制崩壊後には分裂。複数の「政府」が正当性を主張し合う状態が続き、民兵組織などを巻き込んだ武力衝突も多発した。

混乱に乗じて、2016年頃にはISISも台頭。
国連職員ですら、国外退避を余儀なくされた。

イスラーム勢力の「掃討」の名のもと、破壊されたリビア第二の都市、ベンガジ。現在も復興は道半ば。

現在、リビアは二つの「政府」が存在する状態にある。
一つは、首都トリポリを拠点とする国民合意政府 (以下GNA)。国連の仲介により2015年に作られ、現在、国際社会より正式なリビア政府として認識されている。
そしてもう一つは、東部の都市トブルクを拠点とする政府 (以下トブルク政府)。2014年に成立した。GNAが作られた際、トブルク政府は一度は協力をすることで合意。しかし後に、同政府を承認しない姿勢へと転じた。


2019年4月には、軍人ハリファ・ハフタル氏率いる民兵組織「リビア国民軍(以下ハフタル勢力)」がトリポリへ向かって軍事侵攻を開始。同勢力の後ろ盾となってきたのはトブルク政府であった。

これに対して、GNA側(主に同勢力に忠誠を誓う民兵組織ら)は応戦。トリポリ周辺では10ヶ月に渡り武力衝突が続いてきた。
犠牲者の数は1,000人以上。市民も巻き込まれ、避難を余儀なくされた人の数は2万人以上に及ぶという。
医療従事者などに対する攻撃も行われており、両勢力が戦争犯罪を犯している可能性が指摘されている


誰が争いを助長しているのか

リビアには2011年以降、国連安保理決議に基づき武器禁輸が適応されている。これは、同国への武器の輸出が制限されることを意味する。
だがリビアには現在、多くの武器が流入しているのが現実だ。

例えば、ハフタル勢力側にはUAEやロシアなどがついており、武器提供などを通して同勢力に対する支援を行ってきた。
一方のGNA側は、トルコなどが支持。同国はリビアへの派兵も行っている。

欧州も様々な形で関与を試みてきた。
背景にあることの一つとして、リビアを経由して地中海を渡ろうとする移民・難民に対する懸念が挙げられる。


昨年4月から続く戦闘を止めるべく、今年1月にはトルコ、ロシアなどが主導となり、ドイツのベルリンで国際和平会議が行われた。

しかしながら今も戦闘は続き、市民の犠牲も増え続けている。
国際社会は、これを止めることができていない


「なかったこと」にされる人たち

わたしは、国際社会がリビアに介入すること自体が悪いことであるとは考えていない。
むしろ問題なのは、終わらない暴力のなか、リビアに暮らす人びとの存在が「なかったこと」にされていることだと思う。

紛争の当事者や指導者の無為も作為も、国際社会の介入も非介入も、リビアの人びとには向けられていない。

暴力が当たり前となってしまい、ニュースにすらならない
ある時、日本のNGO職員の方が、アフガニスタンの現状について説明する際に放った一言だ。
今のリビアについても、同じことが言えるのではないか。



こうした状況で、さらに周縁に追いやられている人たちがいる。

こちらはリビアで女性の権利推進に取り組む団体、Together We Build Itによる風刺画。スイスのジュネーブで国連の仲介のもと2015年に開催された和平会議に、女性が不在であったことを訴えているものだ。
2020年を迎えた今も、女性が政治などの場から排除されている状況は変わっていない。


また、紛争について考える時、そこに暮らす子どもたちが受ける影響について、わたしたちはどれだけ想像することができているだろうか。

UNICEFによると、今年1月時点でリビアの首都トリポリでは5校の学校が破壊され、210校が閉鎖に追い込まれた
学校に行くことのできていない子どもたちの数は、11万5千人に及ぶという。


それでも希望を

普通の人びとは、また国が一つになることを望んでいる。それが自分たちの希望なんだ
リビア人の友人が以前、語った言葉だ。

困難な状況に置かれながら、それでも希望を捨てずにいる人たちを、わたしは数多く知っている。

リビアにおける人権問題に取り組む団体、Lawyers for Justice in Libyaが昨年12月に行ったSNS上のキャンペーン。「明日の朝、紛争のないリビアに目覚めたら、あなたはまず何をする?」をテーマに、自由に語ってもらうというもの。
「リビアの様々な都市を車で旅したい」「故郷に帰るんだ」
様々な思いが寄せられた。


混乱の続くリビア。
その中でも、人びとは日常を生きている。


連帯の声は国境も超える。

カダフィ体制崩壊後のリビアで、女性の活躍のためのプラットフォーム作りに取り組む団体、The Libyan Women’s Platform for Peace
スーダン、イラク、レバノンで昨年起きた抗議運動で、女性が活躍したことについて触れている。


国連難民高等弁務官などを務め、昨年亡くなった緒方貞子さんが遺した言葉がある。

「命や尊厳が危険にさらされている人たちに、私たちは十分な思いやりを示せているでしょうか。もし示せているのなら、その思いやりを国際社会全体の行動に変えるため、私たちはどうしたらよいでしょうか

何度でも、この言葉を繰り返したい。


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日本語で今、リビアのことについて知ることのできる機会は多いとはいえません。
日本の報道機関がリビアのことを報じていないわけではありません。ですが当然、報道できることには限りがあります。

だからこそ、リビアに暮らしたことがあり、その地やそこに暮らす人びとにたくさん助けられた身として、
そして他の人より偶然、少しだけ多くリビアを知っている身として、
自分の知っていることを書いてみよう、という思いでいます。

現地へ足を運ぶことも現在は難しく、得られる情報は限られています。
その中で、分かることを何とかまとめたのがこの記事です。


とはいえ、ここまで書いたところで、わたしがスマートフォンを閉じれば、そこは安全な場所。
そして、リビアで今日も人びとが困難な状況に置かれていることは変わりません。
わたしは、このことが悔しくてしょうがないです。

それでも、わたしは声を上げ続けます。
行動を起こさないことは、加担していることと変わらないから。

すべての加害者が要求することは、傍観者は何もしないでくれということだけだ
ー ジュディス・ハーマン

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