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マンガが0.5次元近づいた世界 「2.5次元舞台」ブームのこれまでとこれから


※以下の文章は、「となりのまんがさん」という同人誌向けに書いた2.5次元舞台に関する拙文です。いまのブームの理解の参考になれば幸いです。

 マンガやアニメの世界(2次元)を役者(3次元)が舞台で熱演する 「2.5次元舞台」が、マンガを楽しむ方法として定着しつつある。

ぴあ総研によると2015年の「2.5次元舞台」公演回数は1660回と、2005年に比べて約6倍に増加。市場規模もチケット販売だけで104億円。グッズや映像化商品の販売、映画館でのライブビューイングまで加えると、市場は一段と広がる。舞台化される作品も相次ぎ、2017年は「進撃の巨人」までもが2.5次元となる予定だ。(※「進撃の巨人」のミュージカルは2017年は一度公演が中心になり、その後再演される)

実はマンガ原作を役者が演じる舞台は、70年代から宝塚歌劇団が上演してきたように昭和期から存在していた。なぜ「2.5次元舞台」はここ数年で1つのムーブメントとして認知されるほど人気を獲得したのか――マンガの世界がぐっと身近になっているこの流行を、一から紐解いてみよう。


「舞台ファンのため」から「マンガファンのため」に


 「マンガを原作とした舞台」と考えたとき、古い作品はあるのか。実は1966年に女優の江利チエミ氏が主演をつとめた特別公演『サザエさん』がある。ミュージカル仕立ての舞台だったようだ。海外では、1967年人気マンガ『ピーナッツ』を原作としたミュージカルが初上演。日本でも毎年のように上演されている『アニー』も、実はハロルド・グレイ氏のコミック・ストリップ『小さな孤児 アニー』が原作のミュージカル。1976年に世界で初めて上演された。

 宝塚歌劇団の果たした役割も大きい。宝塚は池田理代子氏のマンガが原作の『ベルサイユのばら』を1974年に初めて上演。その後も木原敏江原作の『アンジェリク』などを舞台化している。「清く 正しく 美しく」をモットーとするためか少女マンガが中心だが、最近では少年マンガ『るろうに剣心』を原作にした舞台も手がけた。

 しかしこれらは「あくまで舞台ファンのためのものだった」と、『ミュージカル テニスの王子様』の立ち上げに関わったコントラの片岡義朗代表は語っている。宝塚などの舞台にはもちろん原作ファンも足を運んだが、マンガコンテンツは宝塚やミュージカルファンのために新たな物語のひとつとして持ち込まれた一材料にすぎなかったのだ。

 これに対し、片岡氏は「わたしたちはマンガファンのために舞台を作ろうとした」と語る。結果生まれたのが、『聖闘士星矢』(1991年上演)や『HUNTER×HUNTER』(2000年~)などだ。「『聖闘士星矢』はさきがけ、いわばクロマニヨン人。『HUNTER×HUNTER』は今の舞台につながる作品」(片岡氏)。聖闘士星矢は主要キャラをSMAPのメンバーが演じた。「SMAPファンと、原作の女性ファンが見に来て、興業としては成功だった」と振り返る。HUNTER×HUNTERではアニメの声優を選ぶ時点で、主要キャラは舞台化を前提に選んでいたという。

 こうした取り組みが結実したのが2003年から上演が続く『ミュージカル テニスの王子様』、いわゆる“テニミュ”だ。原作はテニスが題材のスポーツマンガ『テニスの王子様』(許斐剛)、累計動員数は足元で220万人を超え。「2.5次元舞台」界の金字塔である。

 ミュージカルでは東宝の『レ・ミゼラブル』や『エリザベート』、宝塚では『ベルサイユのばら』など何度も繰り返し上演される作品は珍しくない。しかしテニミュはなぜここまでロングラン公演を実現できたのか。
その大きなカギの一つとなっている“役者の入れ替え”について考察を進めていきたい。


6人の跡部景吾 役者が舞台で育てるキャラクター性


 『テニスの王子様』は、アメリカ帰りの越前リョーマが日本の中学校に入学し、先輩らと全国の様々なライバルに挑み、全国優勝を目指す物語だ。連載当時の90年代後半は、ちょうど少年マンガのキャラに熱狂する女性ファンが新たな読者層として認知されつつあった時期だ。そんなキャラを舞台で忠実に再現するテニミュは一定の女性ファンが見込めたとみられる。「『スポーツ×イケメン』は当時の旬のひとつだった」(片岡氏)。

 演出方法も斬新だった。舞台上で役者が持つのは原則、テニスのラケットだけ。ボールの動きはライトの動きで表現され、ボールは飛ばないのにあたかも舞台上でテニスの試合が行われているかのような世界を生み出した。(注1)テニミュのヒットは、マンガや役者ファンを舞台の世界に呼び込むことにもつながった。「テニミュで初めて舞台を見たという人が9割だった」(片岡氏)

 とはいっても、基本的にストーリー、世界観は原作と変わらない。ライバル校の演技がどんな迫力を見せようが、越前リョーマの学校が優勝するという物語はそのままだ。つまり観客は結末を知った上で舞台を見に行くことになる。マンガやアニメのファンからすれば「物語もキャラもすでによく知っているのになぜ見に行くのか」と不思議に思うだろう。
そこで踵を返してはもったいない。なぜなら舞台には演出家や役者の解釈が加わることで、マンガやアニメとは異なる新たな世界が広がっていくからだ。

 テニミュなど何度も上演される作品では、同じ脚本とはいえ公演のたびに新しい役者が起用されることが多い。演出家も代わると、新たな演出家、脚本家と役者の間でキャラクター性の再解釈が行われ、それが舞台上で展開されることになる。

 もちろんそのキャラクター像は原作ファンやそれまで舞台をみてきたファンの持つ印象を裏切るわけにはいかない。片岡氏は「見に来る漫画ファンの中には、当然キャラクターのイメージがある。彼らが動いているのを見たいのであって、そのキャラを立たせないと困る」と語る。役者選びはキャラをそのまま再現できる人を探し、起用後も稽古場に原作を持ち込んで徹底的に読み込ませたそうだ。

 そうしながらも、役者の持つ雰囲気や得意分野などちょっとした個性の違いから、演じるキャラにはどうしても微妙な差が出てくる。歌がうまいのか、どんな声をしているのか、演技でどんな雰囲気を作り出せるのか。役者ごとに細かな違いがあるからこそ、新たな観客をひきつけると同時に、一度見た人ももう一回行きたくなるのだ。

また原作で物語が進んでいくうちにキャラが強くなるのと同様、公演中に役者が歌や演技のレベルを上げて成長していく姿を楽しめるのも、リピーターの呼び込みにつながっている。

 その例を実感させられたのは、2016年7月~9月まで全国で上演された3rdシーズン『ミュージカル テニスの王子様 青学VS氷帝』の、三浦宏規さんによる、氷帝学園(氷帝)部長、跡部景吾役の演じ方、雰囲気の作り方だ。

跡部役はこれまで初代を加藤和樹さん、二代目を久保田悠来さん、三代目を井上正太さん、四代目を青木玄徳さん、五代目を小沼将太さんがそれぞれ演じ、三浦さんで六代目となる。「実力のあるライバル」「金持ち校」「傲慢な性格」「女性ファンの扱い方」--こうした原作の跡部のキャラを、役者はそれぞれの持ち味で舞台上に再現してみせた。初代の加藤さんは、独特の低音の声で跡部の威厳や傲慢さを演出。歌でも低音の伸びが優れていた。各校の歌を集めた特別ライブ「ドリームライブ」ではほぼ女性の観客に対し「メス猫ども」というのが定番になっていた。二代目の久保田さんは持ち前の大将らしさから「傲慢さ」の演技が突出。四代目の青木さんは、モデル出身ということもあり立ち姿と歩き方が優雅で品があり、いい意味で自分の演技に酔うナルシストさが目立った。

そして今の六代目・三浦さん。目の肥えた、リピーターファンに対し、どう跡部像を見せるのか。その答えは、優雅さと育ちのよさのアピールだった。
 とにかく舞台上での動きがきれいで優雅。そしてダンスのときに決して姿勢が崩れない。まったく重さを感じさせない高いジャンプと、着地したときのぶれない姿勢。それも納得、プロフィールをみると特技が「バレエ」で、コンテンポラリー部門での入賞経験もあった。マンガの設定上「特技 社交ダンス」とされている跡部の、これまでの役者にはできなかったバレエ特有の動き見せることに成功した。

このように1つのキャラを役者が演じ繋いでいくことは、「●●さんが演じた跡部が好き」というようにファンの中で役者同士の比較対象を生むことになる。初代を演じた役者の場合、ファンの中の比較対象はマンガとアニメが作り上げた跡部だったが、二代目以降になるとその前の役者が演じた跡部像とも比べられることになる。雰囲気から声、動き、演技とあらゆる側面で。(注2)

こうした「役者の演技によるキャラクター性の蓄積」は2.5次元舞台に限ったことではない。歌舞伎のように演目がほぼ決まっていて、これまで代々襲名した歌舞伎役者によって演じられてきたものの場合「○代目○○のやられた○○が好きだった」という言い方をする。歌舞伎役者は常に同時代の役者と同時に、過去にその役を演じた役者とも比較されるのだ。もちろん宝塚歌劇も同様で、特にベルサイユのばらのように、何度も上演されている作品では「○○さんの演じたオスカルは素敵だった」といわれる。

歌舞伎や宝塚で行われる役者への評価が2.5次元舞台でも進んできたのは、2.5次元舞台そのものの歴史が蓄積され、ファン層の厚みも増してきた証左でもあるのだ。

ライブビューイングに動画配信――より身近になる2.5次元舞台


 もともと舞台は、活字で書かれた脚本(2次元)を役者が舞台の上にリアル化(3次元)するという点では、マンガやアニメ、ゲームといった2次元と相性はいい。外見のイメージの実現、マンガやアニメ独特のトリッキーな表現も、テクノロジーや演出方法で解消されつつある。

例えば『弱虫ペダル』の舞台化。自転車競技で多くのロードバイクが公道を走る模様を、役者が舞台でロードバイクを乗り回すのではなく、ハンドルのパーツと足の動きのみで表現した。そこに天井から吊るしたロードバイクの実物と、要所要所で出てくるロードバイクのタイヤの動きが観客の想像力を高めることで、あたかも実際に選手がロードバイクに乗って走っているように見せることに成功していた。バレーマンガを原作としたハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』でも、主人公の日向翔陽がコート上で鳥のように宙を跳ぶ様子を、プロジェクションマッピングで背後に烏の羽を映すことで表現して見せた。

このような舞台上の演出の進化も、2.5次元舞台の新規ファンの獲得につながっているだろう。

また映画館でのライブビューイング、さらには動画配信サービスや有料放送での放映など、劇場以外で楽しめる機会も広がってきた。「舞台はやはり生で見ないと」という根強い意見はあるものの、音響設備と中継方法が進化したいま、役者の表情にフォーカスするところや特別映像が見られるなどライブビューイングならではの楽しみもある。

 個人的に2.5次元に今後望むのは、映画館などで過去の2.5次元舞台作品を上映しながら自由に歓声をあげられる「発声可能上映」だ。普段の公演では原則的にキャラや役者の名前を呼んだり声援を送ったりするのはご法度(ドリームライブは例外)。発声可能上映ならこうした楽しみもファン同士で共有できる。

 もうひとつは海外進出。テニミュや『ライブスペクタル NARUTO』など一部の演目では、韓国や中国での上演を実現させたもののまだ一部にとどまる。アニソンやヴィジュアル系バンドの海外公演に比べれば数は少ない。配信サービスもあるとはいえやはり現地でも観られる機会を増やして欲しいものだ。海外のアニメ、マンガのイベントの一企画としてやるのも手ではないだろうか。

「マンガも舞台も、世の中の片隅にある先端部分をとらえる文化現象という点で共通している」と片岡氏は指摘していた。大衆文化として競争の厳しいマンガの世界では、時代よりも半歩先をいく作品がどんどん生まれている。舞台の世界も世の関心事を取り上げていくとすれば、人気の古典や同じテーマの作品を延々と再演するだけでなく、作者個人がアンテナを張って自由に世界を展開するマンガの物語を原作として使うのは必然なのかもしれない。様々なルートを通じて、マンガ・アニメファンに、舞台がもっと身近になることを期待したい。

(注1)この演出方法は、テニミュ以降の舞台でさらに進化していく。例えば「弱虫ペダル」では、自転車競技に不可欠な坂のセットを舞台上にのせた。「ハイキュー!!」ではプロジェクションマッピングを使って、キャラクターの紹介や、選手らが空中に舞う姿を表現した。「さよならソルシエ」では、ピアノの生演奏とともに役者が歌い、踊った。

(注2)こうした役者によるキャラクター作りは、新たな原作ファンを生むことにもつながる。例えばテニスの王子様では、テニスの試合中は試合をしているキャラクターのやりとりが中心となり、ほかのキャラクターの様子はほとんどわからない。しかし舞台では、試合中のキャラ以外も舞台上で試合を見ることになる。さらに歌やダンスのパートで、それぞれのキャラらしさを出す必要がある。こうして原作ではあまり強調されない「そのキャラらしさ」が付け加わることで、観客や読者のキャラへの思い入れを強めることになる。ちなみにこの文章を書いている本人も、舞台を見るまではあまり思い入れを持つキャラがいなかったにも関わらず、舞台上である役者が演じたキャラがかっこよくて、原作を読み直した一人だ。

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