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46時間TV雑感:大園桃子

 私は、ビジュアルでもパフォーマンスでも、大園桃子に特別な魅力を感じたことはありませんでした。
 ライブの際の笑顔は独特の魅力がある、とは思いますが、それだけであれば、もっと色々なことが優れているメンバーがいます。
 バラエティ番組でぶっ倒れたり、ただただ号泣したり、という初期の振る舞いの印象が強く、全体的に不安定で危うくて、見ていられない感が強いです(最近はだいぶ落ち着いたとは思いますが)。
 守ってあげたくなる、なんてことには全く魅力を感じない私には、特に評価すべき点が見当たらない、というのが正直な気持ちで、アイドル性が優れている、なんて意見も見ましたが、寝言としか思えませんでした。

 そんな私が、46時間TVで最も強い印象を受けた、と言うより感動してしまったのが、大園桃子の電視台『歌ってみた』でした。ただ歌うだけの、シンプルな企画です。
 本人がVTRで語っていた通り、歌に関する評価はせいぜい、とんでもないヘタクソではない、という程度。
 たとえば7thバースデーライブのDVDでは、『ここじゃないどこか』を歌っていましたが、まあ、普通でした(恐らく生歌だと思います)。

 電視台で歌ったのは、奥華子の『変わらないもの』。私は原曲は聞いたことがありませんが、大園に合った曲だったと思います。
 ゆったりとした落ち着いた曲調、平易ながらも郷愁を感じさせる歌詞、曲全体に感じられる温かみ。全てが極上に大園にマッチしていました。
ただ、彼女の素朴な歌い口には、際立った技巧はありません。

 それでも、感動しました。生田も渡辺も、ライブも良かったけれど、大園の歌に最も感動しました。

 理由を探すのは野暮でしょうが、『のぎおび』での本人談からして、全力で挑んだのが音の違いになったのかな?と思っています。

 様々な編集が可能な昨今、そんな精神論は珍妙かも知れません。
 ただ、鼻歌を聞いて感動することは、まず無いのではないでしょうか。それは、力が籠っていないからだと思っています。
 その力とは、筋肉的な瞬発力ということではなく、気持ちのような抽象的なものでもなく、ちょっとした体の状態であり、それが何か物理的な音波、周波数、それらの揺らぎ、となって表され、人の心を揺さぶるのでしょう。
 音声は、人と人とが共感するための媒介として数万年規模で磨かれて来たツールであり、そんな微妙な機能が隠されているはずなのです。まあ、根拠はありませんが。

 だから、踊りながら歌ったり、大勢の中の一人として歌うライブでは、こんな感動を味わうことは無いでしょう。歌だけに集中出来なければ表れて来ない力のはずですから。

 大園に際立って優れたスキルがあるとは、今でも思いません。きっとこれからも、危なっかしい状態でアイドルを続けて行くことでしょう。私はそれにいたたまれず、目を逸らすことも多々あると思います。

 それでも、大園桃子は不思議な力を、魅力を持った存在であることを、認めないわけにはいきません。
 良い歌を、素晴らしい歌を聞かせてもらいました。ありがとうございました。


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