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音楽の力 - Beautiful

 4ヶ月ぶりにアイラッシュをし、使い切ってしまった化粧品を買った。
 夕暮れの空が見えるレストランで少し早めの夕食と赤ワインを頂く。

 安全をある程度、確信できる場所には足を踏み入れることを自らに許すようになっている昨今。なにより、私自身がその安全を脅かすことのない立ち居振る舞いをする一員でありたいと強く思っている。

 そして、開演直前、帝国劇場へと足を踏み入れた。

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Beautiful

 他の劇場のそれより少し沈むカーペット、ステージ上に置かれたグランドピアノーそれだけで涙が出そうになるのは何故だろう。

 2月末を最後に、私の生活からは劇場という場所がなくなってしまった。
劇場に再び向かったのは7月。
 中川晃教さんが中止になった舞台(チェーザレ)のFeaturing Concertを開催されると伺い、明治座に足を踏み入れた。5か月ぶりの劇場だった。
 こわごわ電車に乗り、地下鉄を避けるためにタクシーを利用し、開演ぎりぎりに駆け込んだ劇場。

 舞台中央にはグランドピアノー
 スポットの中、中川さんがピアノを掻き鳴らした瞬間に肌が泡立った感覚を思い出していたのだと思う。

 物語の主役はキャロル・キング。
 言わずと知れたアメリカのトップシンガーのひとりだ。

 キャロル役は水樹奈々さんと平原綾香さんのWキャスト。
 この日のキャロル役は平原綾香さんだった。
 おふたりとも、歌が素晴らしいことは存じ上げていたのだが、NHK「映画音楽はすばらしい」に出演された平原さんの歌声を久々に聴き、これは生で聴かねばと感じたのである。
 Jupiterでデビューされたときから、歌の巧さ、ニュアンスのある魅力的な歌声だと思っていたし、折に触れ、曲を聴いてもいた。

 だが、「映画音楽はすばらしい」で"JOYFUL, JOYFUL"を歌いだした彼女の第一声に感じたのは「身体が楽器になった」ということだった。オペラ歌手のそれのように、テレビの画面越しに声が体を貫いてきたのだ。舞台で歌う彼女を見たいと思うには十分すぎる理由、そしておあつらえ向きにこの舞台があった。

 舞台が暗転し、カーネギーホールとなった帝国劇場の舞台に平原キャロルは立つ。一曲目は"So Far Away"。恋人が去った切なさを感傷的にならずに歌うキャロルのバラードの名作だ。

 緊張しいのキャロルは噛みしめるように歌う。
 平原さんがしっかり声をセーブしているのがわかり、残念さと嬉しさが同時に湧いてきた。
 それは歌手としての能力を最大限に活かしてこの名曲"So Far Away"を歌う平原綾香を見たいという思いと、物語の中でキャロルをどう演じていくかをしっかり理解しコントロールをしているミュージカル俳優の平原綾香に出逢えたという興奮が引き起こした相反する感情だった。

 キャロルはワンコーラス歌い終えると、シャイな自分について語りだす。
 そして29歳のシンガーはあどけなくも少しばかり背伸びをした16歳の少女となる。

 観劇するまでとても心配だったことがある。
 ミュージカル畑で活躍しているとはいえ、平原綾香という歌手の演技力はどれくらいなのだろうかということだ。
 16歳のキャロルが出てきた時、その心配が杞憂であったと感じた。
 最初、平原さんではない人が16歳のキャロルとして出てきたのかと思ったのだ。飛び級した結果、16歳で大学生となったキャロルだが、精神的な成熟は大学生になっていない、そしてある部分でちょっぴり自信のない明るく負けん気の強い妙齢の少女。
 平原さんは歩き方やセリフの発し方で上手く表現していた。
 歌手としては当然未完キャロルの歌は、少々たどたどしい。

 キャロルの公私にわたるパートナーとなるジェリー・ゴフィンは伊礼彼方。キャロルは背が高く魅力的なビジュアルのジェリーが自分のことを好きになってくれたならと空想する。
 ジェリーのファーストインプレッションは「こういう男、いる」だ。自分が格好いいことを理解している欧米の男性がちょっとだらっとして歩く様がそれだけで可笑しい。また、伊礼さんの話し方は声優が外人の吹き替えをするかのようだが、過剰な抑揚をつけていないことも有り、とても自然だった。私が今回観た席が1階席だったので、その程度を適度に心地よく感じたが、帝劇2階B席にどのように届くかは気になるところだ。

 ちょっと夢見がちなキャロルと演劇の世界に進みたかったジェリー。ふたりの最初の印象は「ちびの頑固なお嬢ちゃん」と「イケメンだけど中身は気にくわないヤツ」だったに違いない。

 「君、バッハも聴いてみるといいよ」
 おチビちゃんにジェリーはそれだけ言って立ち去るのだが、そのひとことに苛立ったキャロルは怒りに任せたバッハを弾き返し、ジェリーはキャロルに謝罪する。互いがそれぞれの才能に興味を抱くまでが簡潔にただとても自然に描かれている。

 こうして誕生した作曲家・キャロルと作詞家・ジェリーというカップルはキャロルの妊娠で公私にわたるパートナーとなる。
 その素敵なライバルとなるのがキャロルのオフィスの隣に部屋を持つ作曲家バリー・マンと、作詞家シンシア・ワイルのコンビだ。
 バリーは中川晃教、そしてシンシアはソニン。ふたりは芝居に歌に大活躍だった。

 このミュージカルが最高に贅沢なところは、ミュージカルと銘打っているにもかかわらず、形態は1960年代アメリカの「ミュージックショー」であるという点。にもかかわらず歌の才に溢れたプリンシパルキャストがそれらの名曲を1曲をしっかりと歌う曲はそこまでないところにある。例えば作曲する過程で有名な楽曲の一部を歌ったりという具合だ。

 そういう意味では、中川バリーとソニンシンシアが歌うシーンはあまり多くはなく。ミュージカル俳優としてのふたりが好きな私には少々の物足りないと思うところもあった。

 他方、歌という武器を封じられていたからこそ、彼らの細やかな演技に目を奪われもした。

 少々神経質で常に「病気とお友達」のバリーがキャロルとジェリーの言い合いを後ろで見ているシーン。当然言い合いをしているバリーとキャロルを観客は観ているのだが、後方にバリーの手が見えるのだ。左手で太もものあたりを少し速いテンポで貧乏ゆすりならぬ貧乏叩きをする様が視界に入ってくるのだ。

 そんなバリーの隣にはシンシア。
 自分のことに関してはさっぱりとした性格なのに、友人には心をしっかりと寄せる魅力的な女性のシンシアを、ソニンさんは少しだけ芝居っけを含んだ動きで表現する。

 精神的に少々不安定なジェリーとひたむきにがんばるキャロルという温度差の異なるカップルの話が観ていても辛いとまで感じないのはバリーとシンシアという「ビジネス・カップル」が観客の心を代弁し、ジェリーとキャロルの仲裁に入っていくからだと思う。

 バリーとシンシアの楽曲が少ないと書いたが、そんな中でもミュージカルらしさを弾けさせるのがシンシアが舞台に初めて登場するシーンの"Happy Days Are Here Again"だ。ブロードウェイの匂いがあるこの曲を溌剌と歌うソニンさんの魅力が全開になる魅力的なシーンだ。

 このふた組の作詞家・作曲家ペアは次々とヒット曲を生みだしていく。
シュレルズの"Will You Love Me Tomorrow"、ドリフターズの"Up on the Roof"、リトル・エヴァの"The Locomotion"、ライチャス・ブラザーズの"You've Lost That Lovin' Feeling"、ジャネルの"One Fine Day"-
 曲名を知らなかったとしても、誰しもが一度は聴いたことがある名曲が次々と歌われていく。徹頭徹尾、歌曲がゴージャスだ。

 そして、この歌曲を12人のアンサンブルが次々と歌い継いでいくのだが、これが圧巻なのだ!
 ミュージカルに歌は必要不可欠だが、ダンスも芝居も求められるだけに、必ずしも歌が上手い人ばかりがキャストに名を連ねるということはない。アンサンブルにおいても、歌を主に任せたい人、ダンスに比重がある人ーオーディションの際に様々選考基準はあると思うのだが、このカンパニーは歌もダンスもとてもハイレベルだった。
 魅力的な歌曲を生で聴くことができるというだけでも十分贅沢なのだが、ここまで歌が素晴らしいのは十分を通り越しひどく贅沢だった。

 キャロルとジェリーは共同で作品を作るにもかかわらず、その制作スタイルは真逆だ。一途に対峙するキャロルと、遊びや楽しみの中から得たインスピレーションを大事にするジェリー。
 芸術家であることと2児の母親であることを両方持つことができたジェリーに対し、芸術家とプライベートを両立できなかったジェリー。ジェリーはインスピレーションの源をキャロルではない女性に―そして、最後はクスリに求めるようになる。そして、クスリは彼の精神を蝕んでいく。

 ジェリーは弱い。繊細なのか精神が弱いのかは分からない。
 だが、彼を表現するには「弱い」という言葉が適切だ。
 そんなジェリーが劇中、転機となるシーンで繰り返す台詞がある。
 「予感がするんだ。君と僕は、どこまでも行ける。」

 ミュージカルの醍醐味のひとつは楽曲のリフレインだと私は感じている。
 同じ曲が変調したりテンポが変わったり。歌い手や主語が変わりながら繰り返すことで物語の大きな流れを感じさせるのだ。
 だが、この作品には「それ」がない。

 そんな中でリフレインされるのが、ジェリーのこのセリフだ。
 出逢ったとき、プロポーズするとき、楽曲がヒットしたとき―
 キャロルともう一度やり直そうとするとき―
 ジェリーからキャロルにプレゼントされるこのセリフを伊礼さんは多彩な声でこのセリフを囁く。この作品が「ミュージカル」という形態に留める役割を果たしているのはこのセリフの存在が大きいと思っている。

 キャロルもジェリーも各々頑張ってみたものの、結局彼らは離婚する。
 離婚した夜、キャロルの母・ジェニーは娘に尋ねる。
 「ジェリーはまだ帰ってこないの?」

 自身も離婚している母の前では絶対に弱音を吐かなかったキャロル。
 母と同居していても、ジェリーとの肝心なことについては相談できなかったキャロルが小さく肩を震わせている。
 母のジェニーは多くを語らない。物語の前半ではちょっと抜けたことを言う天真爛漫さが際立つ脚本となっていたが、風が吹いても折れることのない柳のような強さを持った母の姿を見せるための布石だったのかとここにきて気が付いた。

 離婚したキャロルは曲を書き続けた。だが、作品を歌える歌手が見つからない。彼女はついに決意をする。
 自分で曲を歌い、アルバムを完成させるとー
 なぜならば、これは「彼女」の物語だから。

 ニューヨークからカリフォルニアに拠点を移すことを決めたキャロルは、アルバムの制作スタッフのアイディアをプロデューサーのドニーに求めた。彼が彼女に最も合うプロデューサーを紹介しているところに、結婚したバリーとシンシアがやってくる。

 「お別れを言葉にはできないから」とキャロルは歌を歌う。
 "You've Got a Friend"
 平原キャロルの声に重なる中川バリーとソニンシンシア、そして「僕は下手なんだ」と歌うことを拒否するプロデューサーのドニーも一緒に唄う。
 静かな温かさが劇場を支配するこの楽曲は、このミュージカルのハイライトシーンのひとつだ。

 母のジェニーを演じたのは剣幸さん。ちょっと調子がいい二枚舌のプロデューサーのドニーは武田真治さん。
 ふたりともあまりに適役。なんというか…よくもここまで贅沢なキャストの使い方ができたものだと思う。
 と同時に、そういったミュージカルが見たいのだという気持ちを持ったのも事実である。

 カリフォルニアに移住したキャロルはアルバムのレコーディングに望んでいた。候補曲のほぼすべてを歌い終え、レコーディングを終了させようとしたキャロルにプロデューサーはジェリーが作詞したものを歌うよう促す。

 葛藤の中、平原キャロルが歌い上げる"A Natural Woman"は彼女の心に光が差すその瞬間を描き出していく。振り返りたくはなかったジェリーとの過去と歌を通じて対峙したことで「ただの辛かった時間」は「幸せな瞬間が散りばめられていた時間」に塗り替えられていく。平原さんの豊かな声色はキャロルの心の闇が晴れていく様子を完璧に表現していった。

 ヒットチャートを上り詰めた彼女が辿り着いたカーネギーホールの舞台。
 開演直前の楽屋へジェリーがやってくる。キャロルを正視できないジェリーとジェリーを穏やかに見つめるキャロル。だが、ふたりが纏う空気はどこか柔らかい。
 「始まる前に、君にどうしても言いたいことがある」
 「予感がするんだ」

 この時、自分の喉が「ひゅっ」と鳴るのが大きく聞こえた気がする。

 「君は、どこまでも行ける。」

 このひとことで、突如として涙腺が決壊した。

 そこから先は怒涛だった。
 グランドピアノに向かう平原キャロルがすべてのリミッターを外して歌う"Beautiful"、そしてアンコールはカンパニー全員での"I Feel the Earth Move"。
 共に平原綾香の独壇場だった。

 クライマックスの2曲を聴けば、このミュージカルの主役が水樹奈々や平原綾香といった、歌手を生業とする人でなくてはならない理由がわかる。
劇場に行くことが日常ではなくなった今、一点の曇りもない晴れやかな声でこの2曲を聴くことができた。劇場の外に出た時、少しだけ世界が明るく見えた。
 叶うなら、水樹キャロルにも足を運んでみたい。水樹奈々さんのここまでのサクセスストーリーはキャロルに少し似ているようにも思うからだ。

 この作品は前述の通り、ミュージカルというよりは、ミュージックショーといった色彩が強いと思う。一方で、耳になじみのある曲が多く、実はミュージカル初心者の方にこそお勧めしたい作品だ。
 キャロル・キングという今も現役の歌手がヒロインということで、なじみが薄いテーマではあると思うが、いい意味でミュージカルの敷居の高さを感じさせない作品だった。

Beautiful
2020/11/13 18:30
帝国劇場 1階L列センターブロック

キャロル・キング 水樹奈々/平原綾香
バリー・マン 中川晃教
ジェリー・ゴフィン 伊礼彼方
シンシア・ワイル ソニン
ドニー・カーシュナー 武田真治
ジニー・クライン 剣 幸

脚本 ダグラス・マクグラス
音楽・詞 ジェリー・ゴフィン&キャロル・キング/バリー・マン&シンシア・ワイル
オリジナル演出 マーク・ブルーニ
振付 ジョシュ・プリンス
オリジナルセット・デザイン デレク・マクレーン
オリジナル衣裳デザイン アレホ・ヴィエッティ
オリジナル照明デザイン ピーター・カックゾロースキー
オーケストレーション・ヴォーカル&音楽アレンジ スティーブ・シドウェル
‘17年版演出リステージ シェリー・バトラー
振付リステージ ジョイス・チッティック
音楽スーパーヴァイザー ジェイソン・ハウランド

翻訳 目黒 条
訳詞 湯川れい子
演出リステージ 上田一豪
音楽監督 前嶋康
明照 明高見和義
衣裳 前田文子
音響 山本浩一
ヘアメイク 林 みゆき
美術アドバイザー 石原 敬
歌唱指導 高城奈月子
振付補 小島亜衣
演出助手 河合範子
舞台監督 北條 孝
アシスタントプロデューサー 荒田智子
プロデューサー 小嶋麻倫子/仁平知世
宣伝美術 東 白英/東 康裕
宣伝写真 HIRO KIMURA
ウィッグ製作協力 ADERANS/FONTAINE


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