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ミュージカルに導かれた"なか""よし"が辿り着いた場所 - 僕らこそミュージック 12/9 マチネ

 好きな「何か」を追いかけて生活圏の異なるエリアへ行くー

 「遠征」という言葉は私から最も縁遠い言葉だと思っていた。
 もっとも、海外旅行に行くときは大まかに時期を決め、ミュージカルやオペラ、クラシックコンサートの日程を確認し、観たいものに照準合わせて旅程を組んでいる。それ故、私自身はあくまでも「旅行の一部」だと思っているのだけれども。

 現在の私は東京に近い場所に住み、仕事も東京。国内の主要なエンターテイメントはもちろん、来日公演のほとんどに東京公演がある。プログラムが複数あるクラシックコンサートやバレエの公演であっても東京・神奈川の会場に出向けば全プログラムを網羅できるというのが大半だ。

 劇場のエンターテイメントはライブであり、一瞬で消える芸術であることが最大の魅力だと理解していても、その2~3時間のために時間とお金をかけて移動するというのは、東京通勤圏内に住んでいる私にとってはハードルが高いことだった。

 「貴女が遠征しない主義なのは知っている。
  でも、井上さんと中川さんの歌を聴きに博多座、行かない?」

 友人から誘いがあったのは11月に入ったころだったと思う。
 コロナの新規感染者数が横ばいの状態が続いており、第3波は本格的な冬を迎えた頃に訪れるだろうと言われていた頃。
 帝国劇場でのおふたりのコンサートはチケットが取れなかった。秋にあった中川さんのコンサートは日程が合わず見送っていた。そのため2020年は井上さん出演のプロデューサーズ千穐楽をもって観劇納めとする予定だった。
 プロデューサーズはBroadwayで観て以来、好きな作品のひとつではあったが、日本人キャストによる上演でテイストがどう変化するのか、初演時からの時代変化に応じた演出が成されているのかという点に大いなる不安があり。果たしてそれを2020年の観劇納めにしていいのかという葛藤があった。
 これについては、現在鋭意感想を書いている。結果、大筋において「楽しい舞台」であり、特に千穐楽については概ね杞憂であったということだけは先に記しておく。
 (2020/12/17 更新) プロデューサーズ千秋楽 レポート

 12月に入り首都圏のコロナ感染者数が増加し想定より早い第3波の到来が懸念される中、ぎりぎりまで福岡行きを悩んだ。
 フルリモートの勤務を2月末から継続していたこと、出発前2週間のうち、不特定多数の人と接触しなければならない人混みに出向いたのはプロデューサーズの観劇のみで、誘ってくれた友人も同じ状況であったこと。
 そして福岡市内の感染者数が当時10数名で推移していた状況鑑み、公演直前に福岡行きを決断した。
 余談だが、最終判断をした12月8日の都内感染者数は352人。
 12月10日マチネの観劇を終えると東京の感染者数が600人を超えたとのニュースが入っていた。振り返ると12月9日というのは移動を決行する判断ができた最後のタイミングだったと思う。

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 四車線の広い道路に人が闊歩する歩道も贅沢な広さがある福岡。
 天神などの繁華街から少々距離があり、賑わいのあるアーケードとオフィスビル、デパートが並ぶエリアに博多座はある。最後に福岡を訪れたのは2013年、転職前の出張時で、博多座エリアに足を踏み入れたのは今回が初めてだった。劇場近くには雰囲気のいい喫茶店や古くからある飲食店などもあり、ゆったりとした空気が流れている。
 朝一番の飛行機に乗るのに朝食はバナナを一本食べただけ。空腹に勝てず、劇場側の喫茶店で美味しいコーヒーとチョコレートケーキを頂き、開演10分前劇場に入った。

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 劇場に入ると動線が良く美しいデザインの階段があり、客席1階ロビーには歌舞伎座さながら出店が並ぶ。お手洗いも客席の多い1階は少し並んでいたようだが、ひとつ階を上がればスムーズ。
 私の席は両日とも1階だったが、探検に出向くと2階も3階もどの席からでも舞台が良く見えそうだった。2階席は3階席の天井が気になるケースも多いが、そういったこともなく。3階最後列の一番端の席でも舞台が近く、かといって傾斜がきついというわけでもない。
 「博多座はいい劇場」と聞いていたけれども、成程納得だ。

 1階の自席に向かう途中、傾斜が緩く格子配置になっていない座席に一瞬戸惑ったが、座ってみると実にいい傾斜がついており、前の人の頭も全く邪魔にならない。身長の高い私は狭い劇場で足のやり場に困り、開演中無理に足を組むなどすることが多いのだが、ゆったりと腰を掛けても膝や足が前の席につかえることもなく、座席の座り心地も良い。
 一瞬で「博多座」という劇場のファンになった。

 視線をステージに向けるとその近さに瞠目する。椅子に背中を預けると心地いい硬さに身体からふっと力が抜けた。

僕らこそミュージック - 2020/12/9 マチネ

 「モーツァルト!」の"僕こそ音楽"のきらきらとしたイントロに乗せ、ふたりが劇場入りするところ、そしてウォームアップをする姿が映しだされる。帝国劇場でのコンサートと構成は同じだ。

 隣同士の楽屋から出てきた井上芳雄さんと中川晃教さん。舞台下手に設置されたマイクスタンドからマイクを取ると舞台セット裏まで歩き、中川さんのスタンバイ場所で肘タッチ。
 帝劇コンサートのセットをそのまま利用したセットは、舞台を横切るように作られた長い台から舞台下にかけ中央部に大きな階段がかけられている。階段中央部のくびれ部分から出入りができるようになっており、その上手から井上さん、下手から中川さんが登場する。
 舞台セットは9月に帝国劇場で上演された際の写真参照。

 セットリストは博多座Twitterを参照。

(1曲目)"When will I see you again"
 井上芳雄さんが好きな理由はいくつかあるけれども、ひとつだけ述べよと言われたなら私は「全体を俯瞰する能力を尊敬している」と答えると思う。
 井上さんのデュエットの特徴は、一緒に歌う相手に徹底的に合わせてくるところにある。声量が小さい人との時は相手の声を殺さないよう自分の声量に落とす、ハーモニーを作る中で歌詞が聴きとりにくくなるときにする発音の調整、同質の声の相手とは少し声質を変化させる等、よく気付いて、気遣うことができる人だと感じている。
 おそらく、ご本人はデュエット相手とのハーモニーを作る作業そのものや同じ曲でも歌う相手によって決して同じにはならない一回限りの曲の世界観を構築することを楽しんでいるのだと思うが、聴いている者からすると時に些かの物足りなさを感じてしまうことがある。

 そんな周囲が良く見えてしまう気遣いの人・井上さんが自分の能力を無意識にコントロールすることなく、傍目にも「気持ちよく歌っているなぁ」と感じる人が何人かいる。
 そのひとりが今回のコンサートの相棒・中川晃教さんだ。

 井上さんは歌詞の主人公の気持ちを伝える方に、中川さんは曲の世界観を伝える方に各々のウェイトが少し振れている。
 其々が何を歌の中で広げたいかが見えるからか、ふたりが互いに引っ張りあうことで曲の広がりが一気に増していく。
 "When will I see you again"は丁寧に作られた楽曲で、歌詞にきちんと景色が乗っている。選曲したのは中川さん。コロナ禍の今の時期に合っているというだけでなく、このふたりがデュエットをするのにいい一曲だと思う。

 MCはうろ覚えなので、備忘。かつ面白かったところを中心に抜粋。
 言葉と順番が正確でない点は何卒ご容赦を。

 MC 1 - ①
井上「博多座が全客席開放するのは(コロナ後)今日が初めてなんです。」
 (スタッフや観客への謝辞が続く)
井上「皆さん(観客)もね、喋っちゃダメとか言われてるんですよね?話したくなっちゃいますよね。九州の人って基本的におしゃべりなんですよ。博多座の売店の方とか、もうずーっと話してくださるの。
 (中略)今日は楽しんでお隣に迷惑にならないように笑ってください。」
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井上「9月に帝劇でこのコンサートをして。それを見た博多座の方が、博多座でもやりませんかと声をかけてくれました」
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井上「つい数日前まで、"プロデューサーズ"に出演してたんですけど、ツッコミが僕しかいなくて!あと全員ボケなの。だから、ずっとツッコんでいたから今はいつも以上にツッコミモード」
中川「ヨッシー、普段からツッコミなのに…そういうときのヨッシーってどうなるの?」
井上「オフではどんどんどんどん暗くなってく(首をかくっと折る仕草)」
--
井上「続いては、ミュージカルソングを4曲続けてお送りします。アッキーは何歌うの?」
中川「博多座には思い出が沢山あって、SHIROHから」
井上「(少し驚いた表情で)あ、SHIROH、博多座でやったんだ!」
中川「いや、博多座ではしてなくて」
井上「今の話の流れって、博多座で上演したことあるって流れじゃ…」
中川「ミュージカルって、大きな広い意味で」
井上「そういうこと!?アッキー、それ説明しないとお客さん分からないから!」
--
井上「僕は、久留米で上演する予定だったダディ・ロング・レッグズから"チャリティー"」

 ここで思わず変な声を出してしまった(周囲の皆さん、すみません)。帝国劇場でのコンサートからそんなに大きく構成は変わらないだろうと油断していたのだ。ダディ・ロング・レッグズは私が今年最も心を揺さぶられた作品のひとつで、何もかもが宝物のような作品だったからだ。
 そして、このnoteを始めるきっかけになった作品でもある。

 帝国劇場で歌われた"この星空(二都物語)"も好きな曲だったので、少々残念な気持ちはあったものの、もう聴くことはないと思っていた2020年の"チャリティー"。それをもう一度目の前で聴くことができるなどつゆほどにも思っていなかった。
 「ダディ」のひとことで早鐘を打ち始めた心臓を落ち着けるのには相当のパワーが必要で。この曲名発表によってそこから後のほとんどの記憶がとんでしまっているくらいなのだ。

MC 1 - ②
井上「ここ博多座でも上演しました、ウェディング・シンガーから"君の結婚式"。そして(中川さんをみる)」
中川「"ボヘミアン・ラプソディー"を…」
井上「(目を大きく見開き首を突き出すしぐさ付き)アッキー、違う!」
中川「…僕、何歌うんでしたっけ…」
井上「ジャージー・ボーイズ!アッキー、大丈夫?」
中川「うん、さっきまでボーっとしてた…」
 (SHIROHの下りを思い出したらしい井上さん)
井上「…ジャージー・ボーイズは博多座で上演した?」
中川「(自信満々に)久留米で上演しました!」
 (ジャージー・ボーイズは今夏初帝国劇場、初博多座となる予定だった)
井上「アッキーにとっては同じ福岡なのね(苦笑)。アッキーは【天然】なんで…(必死のフォロー)」
中川「(突然客席正面にくるりとなおり)昨日、鯛食べに行ったんですよ」
井上「人の話を聞いてないな?まぁいいよ、それで?」
中川「スッゴク新鮮で『カツ』って!(右手人差し指で漢字を書く)」
井上「カツ…あぁ、活魚の『カツ』ね」
中川「天然の鯛で、活!で(単語が細切れ)、コリコリしてて、こうぴくぴくって(全身をぴくぴくっとさせる)」
井上「ん、あぁっ…【天然】ってこと!?今日は僕がアッキーをさばいて…」
中川「(全身をぴんと張って)活き造り」

 1曲しか終わっていないというのに、客席はこのやり取りに終始笑いが止まらない。中川さんのネジが数本跳んでいたのか…予想外の玉があちこち飛び交うのを捕球しては打ち返し、時に丁寧に通訳する井上さんというこの日の構図が早々に完成した。

(2曲目)"人のツバサ(SHIROH)"
 結論から言うと9日マチネのアッキーは「大丈夫ではなかった」と思う。
 今回のアレンジの"人のツバサ"は今年明治座で行われた中川さんのコンサートで披露されており。登場人物全員の声を役名を名乗りながら歌うというある意味「無茶苦茶」な歌。そして、実際の舞台では丁々発止と言わずとも、テンポよく台詞が飛び交う歌だったのだが、この日のセリフは私の記憶にあるその台詞と照合するとちょっと違和感があった。
 翌10日のソワレ、どこまでも気持ちよく伸びる高音と全役を演じる中川さんに破顔したのは言うまでもない。

 このアレンジの"人のツバサ"を生で聴くのは今回が2回目になるのだが…もう、SHIROH本編で歌われるこの曲を笑わずに聴くことができなくなってしまっている。
 SHIROHの舞台を知らない方のために書くと、この曲は人の心を歌で操る能力を持った中川晃教演じるシローが海からの風を受けながら心地よく歌い上げる舞台序盤の名ナンバーだ。この後、シローは上川隆也演じる天草四郎と出会い、天草の動乱に巻き込まれていく。
 その生や境遇に不幸はあろうとも、シローはそういったものを感じさせない。憂いなく心地よく歌い上げる名曲を…こんな形で笑わずには聴くことができない迷曲にしてしまうなんて。誰が想像しただろう!

(3曲目)"チャリティー(ダディ・ロング・レッグズ)"
 「チャリティー、それは飼い主の手を噛む。施す者の心を蝕むんだ。」
 暗転の中、舞台中央の階段のセットの一番上に座った井上さん。スポットがあたるとそこには純粋で思慮深い、不器用なジャーヴィスが現れた。
 冒頭のこのセリフを聴いただけで自分が観劇した9月に心がタイムスリップした(リンクは観劇レポ。ネタバレ有り)。

 日常生活の中で忘れているものは沢山ある。意識的に忘れているものもあるし、本当に忘れているものもある。でも、心のなかに大切にしまっているものというのは、ほんの僅かなきっかけがあると、その鍵が外れ溢れ出してしまうことがある。

 "チャリティー"のこのセリフと優しいイントロはそれをするのに十分すぎる威力があった。舞台後方のスクリーンには本作で井上さんが演じるジャーヴィスが長い時間を過ごす書斎の本棚が映し出され、歌の途中ではジャーヴィスの写真が出て来る。
 井上さんの衣装はジャーヴィスのそれではないし、髪型だって違う。でも、あそこに居たのはまぎれもなくジャーヴィスで、それはひどく心に刺さる歌だった。
 この歌の最後、ロングブレスで声を張り上げるのだが(それを井上芳雄という歌手は張り上げているようには一切見せないのだが)静寂の中に残る井上ジャーヴィスの声紋の残響に早々に涙腺が崩壊してしまった。
 久々に引っ張り出したダディ・ロング・レッグズの記憶の引き出しを、コンサートから数日経った今においても私は元に戻すことができずにいる。
 コンサートの序盤、井上さんのソロ歌唱一曲目だったというのに…この曲に大いに揺さぶられてしまった感情を、私はコンサートの間、長く引きずることになった。

(4曲目)"君の結婚式(ウェディング・シンガー)"
 「さぁ、今年は色々な辛いことありました。
  この曲で今年の憂さを吹き飛ばしましょう!」

 "チャリティー"から"君の結婚式"への空気の変わり方があまりに急激で、「あぁ、今日はコンサートに来ていたんだ」ということを唐突に実感。
 SHIROHにダディ・ロング・レッグズと名曲2曲、それもふたりとも物語の世界にしっかりと連れていく歌唱をしていたものだから、体力が急速に消耗したのだと思う。

 そして、ライブで聴くことの威力・意味を実感したのはこの曲だったかもしれない。青春全開の"君の結婚式"というこの曲、実はあまり得意ではなかった。一昔前のアイドル歌謡のようなテイストがおそらく苦手と感じる原因だったのだが、そういった青臭さを楽しむこと、そして落ち着きのある30代の紳士が歌う"チャリティー"から鮮やかに変化させる様などを楽しいと感じたのだ。
 そして、井上さんの豊かな表現力と切り替えの鮮やかさを堪能できる、コンサートならではの選曲なのだと思う。

 この曲では、中川さんがカメラマンとなり井上さんを撮影するのだが、ワンハンドであるにもかかわらずカメラワークが上手く。甘くなりがちなフォーカスも上手にコントロールされていた。ビジョンに映る映像をきちんと確認しながら、井上さんだけではなく、ピアノやギターの演奏シーンも取り入れ、ライブ感あふれる映像として魅力的なものになるようカメラを動かす。
 映像の構成自体はオーソドックスだったが、それをライブで自然にできてしまうところに、中川さんは根っからのクリエイターなのだなぁと感心しきりだった。

(5曲目)"Can't Take My Eyes Off You(ジャージー・ボーイズ)"
 若さに任せて心のまま疾走するような青臭さから「突っ走る」勢いを引くと、そこに生まれるのは清涼感なのかと感じされられたのが、君の瞳に恋してるー"Can't Take My Eyes Off You"だった。
 Jersey Boysのコンサートでも、テレビ放送でも中川さんが歌うこの曲を幾度となく聴いてきたが、聴き飽きるということがないのは、中川さんがいい意味でその時その時のフランキーを演じているからだ。
 特に、今回はミュージカルの中でもなく、また前後の曲もJersey Boysではなかった所為か、さわやかさに加えて大樹の葉の向こうにキラキラと輝く初夏の太陽の煌めきのようなものを感じた。

MC 2
 (緊急事態宣言後の舞台出演の話)
井上「僕は7月から舞台に立っていて…アッキーは」
中川「6月!数々の劇場の幕を次々と開けていった男!」
 (客席拍手喝采)
中川「(体を斜めにしてカッコつけて)ここだけの秘密だからな!(笑顔)」
--
井上「ダディ・ロング・レッグズの公演の後は"プロデューサーズ"で。いわゆる『バディもの』を大野君と吉沢君のWキャストだったんです。2か月も3か月も一緒にしてたら、ふたりとも弟みたいだなぁって。
 それで、もしアッキーとやったらどうなったかなぁって。きっと弟以上の感情がわいたんじゃないかな。」
--
井上「アッキーも帝劇で舞台してたよね。観にいけなかったんだけど。」
中川「僕は"Beautiful"に出ていました。こちらも主役がWキャストで。」
井上「どんなお話だったの?」
中川「(一瞬の間をおいて)…コメディです」
井上「(一瞬訝しむが自信がないのかスルー)…うん」
中川「やっぱり、相手が変わると全く違うんですよね」

 「念のため」書いておくと、Beautifulはキャロル・キングの半生を描いたミュージカルで、コメディではない。あえていうならば、中川さん演じるバリーにコミカルなところがあるが、あくまでも中川さんがコミカルに演じたというだけで、バリーは笑いを取るキャラクターではないし、作品は断じてコメディではない。

(6曲目)"You're Nothing Without Me (City of Angels)"
 中川さんと一緒にミュージカルができるならば、と井上さんが選曲したのはCity of Angelsの"You're Nothing Without Me"。
 シナリオライターのスタインを井上さんが、スタインが創作した探偵のストーンを中川さんで英語での歌唱。スタインによって「創造」されたストーンだが、どんどんそのキャラクターが自立して好き勝手をしだすため、スタインがストーンを捕まえて「説教」するシーンだ。

 帝国劇場で上演されたときは、このふたりにいい選曲だなという程度にしか思っていなかったのだが、生で観るとふたりがこれを演じるならばこれは面白くなりそうと心が躍り出すのが自分でもわかってしまった。
 ふたりの声の重なりと曲のキーがなんとも心地いいのだ。

 そして、このふたりのコンサートに対するスタンスの違いもよくわかる1曲だった。
 井上さんはあくまでもミュージカルの1シーンを演じるつもりで歌っているので、自分のパートを歌い終えても中川ストーンの歌に合わせて、しっかり芝居をしている。
 ストーンは調子にのっていて偉そうなことをいけしゃあしゃあと歌ったりする("You are so jealous of my track record")のだが、その間も悔しがってみたり、ふくれっ面になっていじけてみたり。スタインの周りを歩き回るところでも、足をあげる際の角度を変化させるなどしてミュージカルコメディの主人公スタインを演じている。
 対して、中川さんはというとストーンのパートを歌っているときはストーンであるのに、井上スタインが歌い出すと、リズミカルな曲に全身を揺らせて音を楽しみ、そこに乗る歌詞を味わうように口元が動いている。

 おそらく、ふたりとも根底には音楽家であるという意識があるのだろうが、楽曲ひとつとってみても対峙と表現の仕方が全く異なっていてーそして、いずれのそれもとても「らしく」て、私はひとり嬉しくなっていた。

 このコンサートは魅力的だけれども、やっぱりふたりのミュージカルが観たいと空想するには十分な1曲だった。
 これからの数年は年齢的に井上さんができる役が少なくなってくるタイミングに差し掛かるのであろうと思っているので(勿論、少し若い役をしたり、プロデューサーズのように50代の役をしてくださると期待しているが)Off-Broadwayのバディものやオリジナルの作品などで、おふたりがしっかりと組んで芝居をするところを見たいと強く願っている。

MC3
 "You're Nothing Without Me"が終わると、足早に舞台を去る中川さん。
井上「えっと…何ではけたんだ?」
 話を続けながらも袖の中をチロチロと確認し続ける井上さん。
井上「帰ってこないな…僕、今、結構必死に取り繕ってます。」
--
 出てみたいと思っていても縁がないミュージカルもあるという話に。
井上「(略)僕の夢を叶えるコーナーです。…っていって、ここでアッキーは下がる予定だったんですけれどね!」
--
井上「いつも、アッキーは本当に自由なんですけれども…これまで一緒にした中でも今日は一、二を争うくらい自由です」

(7曲目)"カフェソング(Les Miserables)"
 レ・ミゼラブルは日本語でも英語でも(そしてなぜか大学の第二外国語で選択して発音が苦手で仕方ないフランス語でも!)全曲歌えるほど好きなミュージカルなのだが、iPhoneの中のカウンターはとても素直で、好きな曲の好きな歌い方をする演者のカウンターだけが恐ろしい数の再生回数となっている。カフェソングはそんな再生回数が多いお気に入りの曲のひとつだ。

 40代に突入した井上さんにマリウスが革命や恋に悩みながらも駆け出す、若者が持つ熱の塊や青年の危うさのようなものはない。エリザベートのルドルフが触れたら粉々に割れてしまいそうな空気感を持っていなくてはならないというのと同様に、歌の巧さや経験だけでは演じられない役というのがミュージカルにはある。
 だが、コンサートであればでそれが可能になってしまう。

 虚無感や空っぽになった心が伝わってきて、燃え尽きたマリウスの背中が見えて、涙が出てきた。
 カフェソングの恐ろしいところは、情景が見えるときと見えないときが完全に分かれてしまうところだと思っている。実際の舞台に空のテーブルも椅子もあるのに、言葉が上滑りしているケースも幾度となく目撃してきた。
 だが、この日は存在しない空っぽの椅子とテーブルが見えてきて、頭の奥がつーんと痛くなったというのに…

 帝国劇場でのコンサートの時、配信であまりよく見えなかったマリウスの扮装写真をちゃんと見ようなんて思ったばっかりに…!
 歌っている本人はきちんとマリウスを演じているし、その歌声もマリウスそのものだというのに…だ。
 最初の1枚はいい、正面を向き銃を持ったそれはいい。でもその後に続く扮装写真に革命に燃えた若者の熱さはなく、そこには笑顔の井上芳雄が写るばかり。全力で観客を笑わせようという強い意志しかないのだ…!それも、歌っているところを撮影したものではなく「歌ってる風」で撮影しているのが…もう…!
 おそらく、写真を正視しようなどと思わなければ私自身は無傷で済んだはずだった。涙は引っ込み、一度見てしまった写真からも目が離せなくなった結果、泣きたいのか笑いたいのか…感情が千々に乱れてしまった。

 "カフェソング"は好きな曲と書いたが、他方、マリウスという役は感情移入が出来ない役のひとつだと思っている。もっと言ってしまうと、好きになれないキャラクターのひとりだったりする。観ていてイライラしてしまうところが多分にある御仁である。
 それ故だろうか。内外問わず、多くのマリウスを観てきたが、自分が原作を読み漠と思い描くマリウスに合致したマリウスには出会ったことがない。
 それが今回。少なくとも、"カフェソング"においては自分が漠然と思っていたマリウスに出逢えたかもしれないと思った瞬間の出来事で…もう、別の意味で泣いて怒りたい気分になってしまったのだ。

 「あぁ、友よ行くな…」
 実際の舞台では、マリウスを静かに取り囲んでいた亡くなった戦友たちが去っていく。今回は亡霊となった中川さんが歌の最後舞台中央へと歩を進めた。

(8曲目)"ボヘミアン・ラプソディー(QUEEN)"
 そんな泣いて笑うのに忙しかったカフェソングの空気を中川さんががらりと変えた。こんなふうにこの歌を歌える人がいるんだろうか…
 ポップスのどちらかといえば淡々とした歌い方ではない、ちゃんと歌詞を咀嚼しているのにあの歌の持つ軽やかさが失われておらず。
 悔しいけれども、それ以上言葉にならないし表現することができない。
 曲の最後は映画のボヘミアン・ラプソディのポスターと同じ黄色から紫にグラデーションとなった空を背に中川さんがポーズをとる。完敗だ。

MC 4
井上「まずはいい?」
中川「(全力の笑顔で)歌、素敵でした~」
井上「(子供に"めっ!"というような顔で)ごまかさない!」
中川「急いで早替え行かなきゃって勘違いしてて、でもまだ同じ衣装…」
井上「変わってないねぇ」
中川「いや、世阿弥がね」
井上「世阿弥?いきなり世阿弥?」
中川「お昼のお客様は夜と違ってまだエンジンがかかってないから、会場の空気をあっためなさいねっていう(もう少し長かったんですがこんなニュアンス。そして、おそらく世阿弥の論じたものに中川さんのこの話はなかったと記憶する)」
井上「盛り上げようとしてくれたのね(まとめモード)」
中川「気持ちが空ぶきしちゃって…」
井上「空回り!」
--
井上「もう(レ・ミゼラブルへの)思い入れが強すぎて。帝劇のコンサートの時に、アッキーより1時間早く入って、奈落でそれっぽい衣装着て写真撮ったんですけれども…皆さん、思いの外真剣に聴いてくださって、あんまり笑いが起きないっていう…ねっ!」

 この井上さんのMCを聴いて…やっぱりなぁ…と。全力で笑いを取る気だったんじゃないかと。ただ、悔しいことにコンサートの構成考えると、こういう趣向は「有り」なのだ。

 今回。本当は、1度だけ観劇する予定だった。
 だが、翌日のチケットを思わず追加してしまったのは、この井上芳雄が仕掛けた「マリウスの罠」に他ならない。
 私が初めて好きだと思えるマリウスかもしれない。だから、もう一回、井上さんの意思に反しても「写真を見ないで」きちんと曲と向き合わねばならない。そう思ったのだ。

MC 4 - ②
 2020年は大変な1年だったので、みんなにエールを届けたいという話から朝ドラ「エール」にミュージカル俳優が沢山出ているという話題に。
--
井上「(会場に向かって)エールを観ていた人」
(会場7~8割くらい拍手)
井上「3人くらい?見てなかった人」
(会場2割程度が小さめに拍手)
井上「97人くらいかな!存在すら知らないって人…」
(何人か拍手)
井上「勇気あるな!最終週の1週間前までオファーあるかなと思ってたのにぜんっぜん声かからなかった」
中川「ヨッシー、忙しいからできないよ」
井上「アッキー、僕のマネージャーなの?(アッキーも)同じことマネージャーから言われてるでしょ?(大きく口をあけて頷く中川さん)アッキーは観てた?」
中川「(エールというドラマの存在を)ミュージカル俳優出るっていうんで知ったんだけど、柿澤君とか海宝君とか出るとき、たまに見てた。でもヨッシーがする役はなかったよ。」
井上「たまにしか見てないのに分かるんだ!?」
中川「あ、でも、もしミュージカル化とかあったらヨッシーの役あるかも」
井上「本編出てないのに、そんなことある?」

(9曲目)"信じて走れ(組曲虐殺)"
 エールを届ける1曲として井上さんが選んだ曲は小林多喜二の生涯を描いた井上ひさしの戯曲・組曲虐殺の一曲。
 天然の発言を繰り返す中川さんに突っ込み続けていた井上さんが照明が消える中で多喜二の顔に変わっていく。役者が照明の変化で役に入っていく瞬間を目撃できるのもコンサートならではだ。
 そして「絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる。絶望から希望へ橋渡しをする人がいないものだろうか」という台詞…
 井上ひさしの戯曲がいいなぁと思うのは平易な言葉だけで構成されているがゆえに言葉がストンと落ちてくるところ、そしてその言葉の組み合わせで広がる世界なのだけれども、そこに歌という要素が加わるとまた違った景色が見えてくる。
 そして、井上芳雄というミュージカル俳優は歌い手としてだけではなく、役者として魅力的な役者だと感じる一曲だった。

(10曲目)"ファイト(中島みゆき)"
 それまでの白シャツに蝶ネクタイ、赤のジャケット姿から黒シャツに小花模様のジャケットに着替えた中川さんが登場。
 帰宅して中島みゆきさんが歌うファイトを聴きながら中川さんがもしミュージカル俳優になっていなかったならば、この歌を歌うことはできたのかなとそんなことを思ってる。
 淡々とした表現で聴き手の想像力にゆだね、「ファイト」という歌い手から発せられるエールを際立たせる本家中島みゆきに対し、歌の中に生きる人を次々に表現していく中川版ファイトは一本の芝居を観たかのような感覚を覚える。
 彼の発する「ファイト」という掛け声は他者に対するエールではなく、歌の登場人物が自らを鼓舞するかのように発する心の声のように響くのだ。
 ただ、表現されているものーそれは曲が持つ「意思」のようなものだと思うが、それは極めて同質であり。聴いていてとても不思議な感覚だった。

 そして。
 ふたりがエールを届けるというテーマで選んだ曲が、共に「どん底の中から光を追い求める」曲だったのはなぜなのだろうと考えている。
 井上さんの"信じて走れ"と中川さんの"ファイト"。
 自分が絶望の淵に有ろうとも後に続くものに願いを託そうという"信じて走れ"、第三者的視点で語られる多くの人たちへ泥臭く力強く前進せよという"ファイト"。
 現時点では整理できずにおり、漠とした感覚になるが、このコンサートのコアがここにあるように感じている。

MC 5
 井上さんは黒シャツ、黒の大きな格子柄のジャケットに着替えて登場。
 互いのエール曲について会話をしていたのだが、その会話をすべて忘れてしまっている。そして、それは間違いなく、中川さんの所為だと断言する。

中川「えっと、ヨッシーの…"組曲……殺人事件"!」
(がくりと来る井上さん)
井上「"虐殺"ね、"組曲虐殺"!」
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 次は互いの曲を歌い合うコーナーの紹介で中川さんの即興ミュージカルがスタート。
中川「だって、僕たち"仲良し"、"なかよし"♪」
 一向に気が付いてくれない井上さんに
中川「(自分の胸に手を当てて)"なか"、(井上さんをさして)"よし"♪」
 それでも気が付かない井上さん。
中川「"なか"…"ヨッシー"♪」
 井上さん、ようやく気が付いて爆笑し、ご満悦の中川さん。
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 その後もピアノコンダクター・松田眞樹さんへの無茶ぶりが続き、ついにこれまでトークのイニシアチブを取っていた井上さんへも即興の魔の手が。咄嗟に井上さんの口をついて出てきたのが「僕はこういうのが苦手~♪」
 そこまで歌い上げたところで、松田さんが曲のイントロを奏で井上さんに助け舟を出した。

 (11曲目)"幸せのピース(井上芳雄)"
 中川さんはこういったポップス系の歌の世界を広げるのが上手いなとしみじみ実感したのがこの曲。
 井上さんが歌う本家"幸せのピース"は、言葉に込めたメッセージをきっちりと伝えようとする方に重点が置かれているのに対し、歌詞を伝える比重を少し落としてでも音やリズムが刻む楽しさのエッセンスをしっかりと入れるのが中川さんだ。
 どちらがいいではなくて、どちらもよくて曲の新しい顔が見える。中川さんの歌唱によってこの歌の軽やかさが見せる新たな一面を味わえた。
 なお、こちらはさび部分に振付があるので客席も一緒にダンス。最後のさびの間は「フリーダンスです」と急に雑に振る井上さん。立って踊れたならば楽しかっただろうなぁ、きっと。

(12曲目)"I WILL GET YOUR KISS(中川晃教)"
 対してミュージカル俳優・井上芳雄の意地を感じたのが中川さん作詞・作曲のデビュー曲"I WILL GET YOUR KISS"。これを高校時代の中川さんが作詞作曲し、歌っていたということ自体、恐ろしいと感じる難曲だ。
 井上さんには正確に歌うだけでなく歌詞の背景にある物語を伝えようという強い意志があり。この曲が持つ儚さや繊細な少年の心を、高音は少し硬質な少年的な声で、伸ばすところはまろみをつけた大人の声で表現しており、中川さんのそれとはまったく違ってまた楽しい。
 井上さんと中川さんは歌唱を切るところで互いの顔を見てタイミングを取るということをこれまでほとんどしていなかったが、この曲ではしっかりとそのタイミングを取っていたのもちょっとした変化だった。

MC 6
井上「なんかさ…お互いの顔見ながら"I will get your kiss"って歌い合うの、変な気持ちになるよね…」
中川「いや、それはほら、お客様に向かってだ…ね。」
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中川「あの、ヨッシーの曲も好きで…"小さな…?幸せの?ピース?"」
井上「勝手に小さくしないで!」
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井上「即興で何かするんですよ、アッキーは。やめようよあれ」
中川「(嬉々として)え~やろうよ!即興ミュージカル」
井上「僕は決められたミュージカルを決められたように歌うのが好きです!」
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井上「今年博多座で上演する予定だった"エリザベート"から…あ、これはウィーンの人が決めたミュージカルなんですけれども。2曲歌います。"最後のダンス"ともう一曲はアッキーと…何を歌うかはお楽しみ…って皆さん、もうなんだか分かっていらっしゃると思うんですけれど。」

(13曲目)"最後のダンス(エリザベート)"
 「エリザベートのマイクセッティングは帝劇のスタッフが特別丁寧に調整している」といった内容のインタビューを読んだことがあったけれど。
 この曲をフルパワーで歌う井上さんはやはり特別だなと実感してしまう。
 音が劇場内を駆けめぐるような感覚が、頭の奥深くを突き刺しに来る。
 ヨーロッパの教会でバッハを聴くと、音が教会内を満たして、光が降り注いでくるのを感じるのと同じ感覚が井上さんのトート、特に"最後のダンス"には感じられる。
 歌に追いつめられ、喉元に剣を突き付けられるような感覚だ。
 これを舞台上で受けねばならないエリザベートは精神的に追いつめられるだろうし辛いだろうなと、この日、舞台上に存在しないシシィのことを思った。

 余談だが、私は井上さんの腰から歩く歩き方が好きだ。実は日本人でこの歩き方ができる人は男女問わずそう多くなく、街中を歩いていても滅多にお目にかかれない。
 ミュージカルは特に西欧のキャラクターを演じることが多いので、この歩き方を自然にしてくれる井上さんがたまらなく好きだ。もっとも、日本人の役を演じるときにはこの動きはないので、一定程度意識的なものだろうと思うが、コンサートなどで普通に歩くときも腰が入っているので、身についたものなのだと思う。
 井上さんがトートを演じる時はその腰をもう一段しっかり入れて鼠径部からねじるように歩くのだが、今回は舞台と違いコートやマントがないことでその綺麗な動きを見ることができた。
 歌や表情以外でもトートが「人外の何か」という存在であることがわかるーそのことに破顔せずにはいられないのだ。

(14曲目)"闇が広がる(エリザベート)"
 「究極」だった。

 衣装はない。中川さんもルドルフを完全に咀嚼してはいないし、役をきっちりと演じているわけではなかったけれども。ルドルフの孤独とそこにつけ込むトートが操る世界が眼前に広がってしまったのだ。
 ルドルフは舞台で演じるとなるとどうしても若く舞台経験が少ない人、技術的にはもう一声という人が演じることが多くなる。特に2番冒頭「世界が沈むとき舵を取らなくては」といった低音部の歌詞が潰れてしまい、歌詞を知らなければ聴きとれないということが往々にして起こる。
 だが、音楽の技術的なところは中川さんは難なく歌いこなし…さらに、その歌声も怯えや青年が大人になろうと足掻く瞬間の繊細さも表現していた。
 そんな皇太子ルドルフの心の隙間にそっと入り込みルドルフの心の声を増幅させる井上トートがいる…

 夢のようだった。

 "City of Angels"のようなコメディもいい。

 でも。
 やはり、ふたりにはこういった重みのあるミュージカルで共演してもらいたい。そう思わずにいられない一曲だった。

 惜しむべくは、2番の入りを中川さんが一小節遅らせてしまい、完全な"闇を広がる"を聴くことはできなかったことだ。
 結果、ルドルフの「僕は何もできない縛られて」とトートの「不幸が始まるのに」が被る形となってしまった。
 入りが遅れたことをおそらく中川さんは途中まで気が付いていなかったと思う。遅れたと思った瞬間、私は中川さんから咄嗟に井上さんに視線を移した。トートの表情が崩れることはなかった。
 ルドルフの歌唱は続いていたが、トートは歌唱を始める正しいポイントからほんのわずかーコンマ数秒遅らせ歌い始めた。井上トートが「不幸」の子音「F」の音を少し弱め「"ぅこう"が始まるのに」と被りの違和感を軽減させながら、通常のテンポより少し早めて歌いきることで次のフレーズ「見ていていいのか」から何事もなかったかのようにさらりと曲に回帰してのけたことに、私はこの日幾度目かの脱帽をすることとなった。

MC 7
 本編最後のMCは今公演のタイトルの元ともなった「モーツァルト!」について。

井上「"モーツァルト!"で初凱旋した時は地元の友達が連日来てくれてたんだけれど、頻繁に凱旋するものだから、最近はみんな来てくれない」
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中川「(井上さんの第一印象は)綺麗な人だなぁって。和物とか似合いそうな…」
井上「えっ!("モーツァルト!"の話をしているのに?という表情で)」
中川「日本的なすっとした美しい人だなぁって。」
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中川「"モーツァルト!"は僕の初ミュージカルで。でも、ヨッシーはミュージカルを経験してて『自分がしっかりしなきゃ!』って感じだった。
 その時からヨッシーはずっと僕にとってお兄ちゃん。」
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井上「アッキーのラストヴォルフが博多座で。僕はWキャストの演技を観ると色々な感情が渦巻いてしまうから、普段は観ないようにしているんだけれど、ここ(博多座。2階下手のバルコニーの方向を指す)で、アッキーのヴォルフを初めて観たの。
 そしたら、表現こそ違うけれども、アッキーはヴォルフについて僕と同じことを感じて、伝えようとしていたんだっていうのがわかって。
 本当に感動して、楽屋に行ったの」
中川「(下手奥の楽屋方向を指しながら)うん、ヨッシーが泣いてて、そう言ってくれたの、よく覚えてる。今、時間が経ってふたりでまた歌ってみるとよりその意味が分かる気がする。」

(15曲目)"僕こそ音楽(モーツァルト!)"
(16曲目)"影を逃れて(モーツァルト!)"
 MCでそんなエピソードを聴かされたからだろうか…
 ふたりがそれぞれに歌唱する部分は井上ヴォルフ・中川ヴォルフの特徴がとても際立っているというのに、ふたりで歌うさび部分、声質は違ってもちゃんと同質なものとして聴こえてくる。
 舞台上にはふたりがいるし、聴こえてくる声もふたりのものだというのに、そこに存在するヴォルフはひとりだった。
 鳥肌が立つというより、細胞がざわめく音が聞こえてくる感覚だった。

 これまで、Wキャストとは役の解釈の違いを楽しむものだと思ってきた。
 だが、ひょっとしたらそれは違うのではなかろうかと。自分の考えを見直す必要があるのではとさえ、今考えはじめている。
 役の表現の方法は異なっても、役の本質的な部分の解釈はひょっとしたらひとつなのではないだろうかーと。
 もちろん、モーツァルトという人物が歴史上存在した誰もが知る有名人であり、モーツァルト本人が書き記したもの、周囲からの評価、何より彼自身が作曲した多くの楽曲があるので、架空の役よりはその本質に迫りやすいのは事実ではあるのだが。

 ミュージカルの舞台では決して叶うことのない、ふたりのヴォルフが描こうとした世界を同時に覗くことが許され、そこに「魅せ」られて…
 ただただ、幸せだ。

MC 8
 Tシャツに着替えた井上さんがひとり舞台へ。
井上「アッキーはマイクが引っかかっちゃったから先に行ってーって」
 ようやく登場の中川さんは、マイクの受信機をお尻ではなく右わき腹につけたまま。バンドの紹介へ。
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 スペシャルゲストは音楽監督の島健さん。
 ふたりの舞台やコンサートの音楽監督を多く務められていて、今回の音楽監督も島さん以外にあり得ないだろうとなったとのこと。
島「シマケンって言われてますけど、本名"島 健"です。幸か『ふくおか(不幸か)』来ることができました」
井上「ええっ!そこ、ギャグですか!?」
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島「僕の66歳のコンサートのときに、ふたりをゲストに呼ぼうかなって言ったら、周りからあのふたりは"モーツァルト!"以来共演ないし、共演NGって噂ですよって言われて。でも、それぞれに連絡したら快諾して来てくれた。
 だから、ふたりの初共演は僕のコンサートで、そこで"僕こそ音楽"も初めて歌ってくれたんだよね。今日のこのコンサートができたのは僕のお陰かな?」(客席大喝采)

(17曲目)"クリスマス・イブ(山下達郎)"
 公演の最後は一足早いクリスマスプレゼント。
 私はポップスには興味がなくほとんど聴くことがないのだが、今回きちんとこの曲を聴いてみて、情景がクリアに浮かぶ素敵な曲だなと思った。
 曲の途中にパッフェルベルのカノンを入れるアレンジが心憎い!とひとりテンションが上がる中、雪合戦を始めた中川さん。それに応酬しつつ雪だるまを作り出す井上さん。
 最後の最後まで「アッキー」は自由、「ヨッシー」はそんな弟を見守る優しい兄だった。

 終演は15分押しの15:15だった。
 2時間15分という時間は本当にあっという間で。怒涛のように過ぎていった。虚脱状態でしばし座席から立つことができず。
 そして、今こうして感想を書いてみると、実は17曲しか歌っていなかったということにも驚いている。ふたりの代表作はもとより、新たな一面や魅力をも引き出す、いいセットリストが組まれていたのだと改めて思う。
 普段しっかり者に見える中川さんが自由に喋り、そんな弟のトークを全てレシーブする井上さんがいてー

 コンサートに行ったとは思えないほど、己の中で激しい感情の起伏があったのは、井上芳雄と中川晃教という唯一無二のミュージカル俳優ふたりがミュージカルの楽曲をベースにプログラムーセットリストという名のストーリーを構築してくれたからだと思う。

 実は12月6日にプロデューサーズの千穐楽を観劇し(千秋楽レポート)。
 その爆発的なステージの余韻を引きずっていたため、今回のコンサートを果たして自分は楽しめるのだろうかと…幕が上がるまでとても心配していた。だが、心配など何ひとつなかった。
 幸せだった。とっても、幸せだった。
 井上さん・中川さん筆頭に幸せな時間を実現するに尽力してくださった全ての方々に感謝を伝えたい。

 井上マリウスのリベンジマッチ、10日マチネについても書こうと思っていたが…9日マチネを振り返りながら感想を書いたら再び燃え尽きてしまい、虚脱状態に陥っているので、それはまたいつかの機会に。

 最後にこの公演に私を誘ってくれた友人に心から感謝をしたい。
 コロナ禍で様々な公演を観ることが叶わなかったけれども、井上さんと中川さんの歌声で2020年を終わることができたことの幸せをしみじみ噛みしめている。
 ありがとう。

井上芳雄&中川晃教 僕らこそミュージック
2020/12/9 13:00
博多座 1階H列下手側サブセンター
出演 井上芳雄 中川晃教

 なお、9月の帝国劇場公演が2021年1月に日テレプラスで放送されるとのこと。観覧のチャンスがなかった方には、是非ご覧いただければと思う。


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