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努力が報われないときに考えるべきこと。

努力しても報われない。頑張っても意味がない。正直に生きていても損をするだけ。そう思いながら生きている人は多い。何を隠そう、自分もその一人だった。

真面目に毎日8時間働き、自分なりに頑張って会社に尽くしたとしても評価につながるとは限らない。仕事ができなくても、愛嬌がある人のほうが社内では評価されることもある。

真面目にコツコツ頑張っている人は真面目すぎだとバカにされ、うまくサボりながら適当に仕事をこなし、何かトラブルが起きたときには知らん顔して他人のせいにする奴のほうが得をすることもある。

「努力しても報われない」というパワーワードは、多くの人たちの心をズタズタにし、一生懸命頑張っている人の意欲を削いでしまう。

さて、この記事で述べていくことは私個人の「努力論」であり、「努力って報われるの?」という疑問に対してつらつらと個人的な意見を書き綴っているだけである。そのため、「努力が報われる4つの方法!」なんて胡散臭い自己啓発本に書いてありそうなことは期待せず、あくまでもエッセイとして楽しんで読んでみてほしい。


努力は報われないのか?

世の中には2種類の人間がいる。「努力は必ず報われる」と信じている人間と、「努力は報われない」と信じている人間だ。

努力が報われると信じている人は、毎日コツコツ頑張り、いつか報われる日を夢見ながら淡々と努力し続ける。一方、努力が報われないと思っている人は、「何をやっても意味がない」「どうせ結果なんて出ない」と考え、わざわざめんどくさい努力をしようとは思わない。

これはどちらが正解かという問題ではなく、単なる本人のメンタリティの問題である。努力が報われるかどうかは自分次第ではあるが、以下で詳しく説明するとおり、そこには運の要素も大きく関係している。


人は希望を持って努力している

何年か前に元AKBの高橋みなみがこんなことをテレビで言ってるのを聞いた。

「私は努力が必ず報われるということを、自分の身をもって証明します!」

それから数年後、プロ野球選手であるダルビッシュがこんなことを言ってるのを聞いた。

「努力は裏切りますよ。やり方や方向性が間違っていれば簡単に」

個人的には、高橋みなみのように希望的観測を持ち続けながら努力している人を応援したくなる気持ちがある。努力は報われる。努力はいつか実を結ぶ。努力は決して裏切らない。

でも現実はダルビッシュが言うように、努力は簡単に裏切るし、報われないことの方が多いし、徒労に終わることのほうが圧倒的に多い。これはただ盲目的に「努力さえしていればいい」と思ってるからこそ犯してしまう過ちなのだ。

人は「希望」を求める生き物だ。たとえどれだけつらいことがあったとしても、その先にはいいことがあると思わずにはいられない。「毎日努力してればいつかは報われる」「いつか必ずいいことがあるはずだ」、そう思いながら生きているのが人間という生き物である。

でも、現実は残酷だ。現実はあなたの努力やら費やした時間、前向きで一生懸命な心意気や、希望を求める姿なんか何一つ気にしちゃいないのだ。

「努力している」というのは自分が自分に対して感じている感情であり、それは主観的なものでしかない。そして、主観的な感情が現実に与える影響はほとんどないに等しい。


努力と運

結局のところ、努力が報われるかどうか、結果が出るかどうかのほとんどはである。頑張ることや努力した時間が成功を約束してくれるわけではないのだ。

でも、こういうことを言うと「じゃあ、報われた人は運が良かっただけなんですね」なんて決めつけた批判が飛んでくる。違う。そうではない。私はただ「成功するかどうか」「結果が出るかどうか」「努力が報われるかどうか」には、思っている以上に運の役割が大きいですよ、と述べているだけだ。

それに、努力が報われるかどうかが運次第だからいって、それは「努力しなくていい」という意味ではない。

結果を出したいなら努力するのは当たり前であり、当たり前に努力しているからこそ、運による成功の可能性を高めることができるのだ。偶然にも「細菌」の存在を発見したルイ・パスツールは、「偶然は準備のできていないものには微笑まない」と言っている。運を味方につけるには、普段から必死に努力していなければならないのだ。

誰だって努力が報われてほしいと思っているはずだ。頑張った分だけいいことがあってほしいと思うし、他人からも評価されたいと思う。これは人間にとって自然な感情であり、そう思うのが人間らしさだとも言える。だからこそもっと運を味方につけるように、日々「努力」という準備をしなければならない。


努力していることに意味がある

自分の努力や頑張りに執着しすぎちゃいけない。「努力していればいつかいいことがある」と思い込むのは、自分ではどうしようもできないことでも、努力次第でどうにかなると思い込むことにもつながる。

まるで、死を避けられない人間が、頑張ればずっと生きられると思い込んでいるかのようだ。「希望」という言葉は非常にやっかいである。どんなにつらい状況にあったとしても、前向きな気持ちを持ち続け、流行りのポジティブシンキングで毎日努力を積み重ねていれば、いつかは必ずいいことがある、報われる、結果が出ると思い込んでしまう。希望を持っていればいつか状況が好転すると思ってしまう。

努力が報われない世界で生きるには、しっかりと現実と向き合い、絶望とも友達にならなくちゃいけない。努力と頑張りがいつか必ず報われると希望を持つのは、自分に自信がないことの表れでもある。

本当に自信を持っている人は希望なんかにはすがらない。結果よりも過程を重視しているからだ。努力は、努力していることにこそ意味があるのだ。そして努力することにこそ意味があると思っている人は、努力を努力と思わずに努力することができる。つまり、結果的に努力が報われやすくなる。これについては後で詳しく説明していく。


無駄な努力は存在しない

努力が報われず、頑張りが評価されず、セコい生き方をしている人が得をしているのを見ると、真面目でバカ正直に生きてるのがアホらしく思えてくるだろう。

しかし、ただひたすら努力し、一生懸命頑張らなければ見えてこない景色もある。今やっている努力に意味を感じていなくても、一つひとつの努力が自分の中で点として残り、いつの日か点と点が結びつくときがくる。

私はフリーライターとして仕事をしているが、一つひとつの仕事を丁寧にこなし、ライターとしての点を作り続けることで、思わぬ仕事の出会いに恵まれたことがある。ただ適当に仕事しているだけでは、こうした出会いには恵まれなかっただろう。

実際、昔の私は何事にも斜に構え、真面目に生きるのをバカらしく思っていた。でも結局のところ、人生はコツコツ真面目に一生懸命努力している人のほうが、回り回って最終的に得をすることが多い。たとえ結果として努力が報われなくても、だ。

努力が報われなくても、頑張ることに意味を求めず、ただ自分にできる精一杯をやる。そうした生き方が思ってもないような幸運を引き寄せ、努力が報われる以外の形で幸せをもたらしてくれる。努力が報われない世界でも、生き方次第で楽しく幸せに生きられるのだ。

よく言われるように、「無駄な努力はひとつとして存在しない」のである。


努力が報われないときに考えるべきこと

努力を報わたいと思うなら、目標達成に必要なことをトップダウン的に考えなければならない。さらに、努力の途中で自分に必要だと思ったことを柔軟に取り入れるボトムアップ型の思考も大切だ。

よく努力は淡々と積み重ねることが大事だといわれるが、正しくは「努力が報われる方法を淡々と積み重ねること」である。間違った方法を厳密にやるよりも、正しい方法を大雑把にやるほうが結果はついてくるのだ。

しかし、努力のやり方や方向性が正しくても、報われないこともあるのが現実だ。そう、現実はドライアイスよりも冷たいのだ。 ここからは、努力が報われないときに考えるべきことについて見ていこう。


努力には道標が必要

なにかしらの目標に向かって努力するにからには、そこに向かうまでの明確な道標が必要である。

道標へと誘う看板が間違っていれば、本人のやる気もモチベーションも空回りし、努力が報われることはない。東京から北海道に行こうとしてるのに、沖縄行きの飛行機に乗ってたどり着けるはずがないのと同じだ。何事も道標への看板が大事なのである。

努力をするときにはきちんと自分がどこに向かっているのか、努力の方向性は合っているのか、看板に書いてある道は本当に正しいのかを常に考えなければならない。でなければ、努力してる時間が丸ごと無駄になり、数年後に「もっと別なことに時間を費やせばよかった」と後悔してしまうだろう。

よく努力は淡々と積み重ねることが大事だといわれるが、正しくは「努力が報われる方法を淡々と積み重ねること」である。間違った方法を厳密にやるよりも、正しい方法を大雑把にやるほうが結果はついてくるのだ。

しかし、物事をマイナスの方向へ考えがちな人は、努力することや頑張ること、今を一生懸命生きることに懐疑的だ。努力しても現実は何も変わらない。うまくいく人は才能がある人と決まっており、自分には才能も何もないと思い込んでいる。

過去に努力して報われなかった経験がある人は特にマイナス思考が強く、努力しない言い訳を考え出す天才が多い。言うまでもなく、現代にはそうした若者や大人がたくさんいる。


努力できるのは才能でも、偉いわけではない

さて、現代社会は努力が賛美される社会だ。なにかしら努力していればそれだけで意思が強い人だと思われ、人間性が優れていると判断される。真面目な性格でなければ努力なんて継続できないという認識があるのだろう。

私は別に努力を賛美したいわけでも、努力している人を偉いとも思っちゃいない。努力することが当たり前で当然だとも思ってないないし、したくなければしなくていいと思う。これから詳しく述べていくように、たとえどんなことであれ、自分がしていることを「努力」だと意識すれば、つらくて苦しくてめんどくさくもなるものだ。

だから努力できる人は才能がある人だと思うし、努力を努力だと思わないで努力できることも才能だと思っている。もちろんこれは努力できない人が凡人でなにも才能がないという意味ではない。努力していない人でも、努力が嫌いな人でも何かしらの才能を持っている人はたくさんいる。

ただ、「努力は報われるのか?」という問題を考えるときに、才能の有無を取り出すことには疑問が浮かぶ。はじめのほうで述べたとおり、個人的には努力が報われるかどうかは才能なんかではなく、運の要素が強いと思っている。


努力の本質は努力しないことにある

しかし、そもそも「努力」には一体どんな意味があるのだろうか? 実際、「努力してます!」とアピールする人ほど努力していなく、自分では努力なんてしていないと思っている人ほど、周りから見れば努力しているように見えるものだ。

努力してる人は自分が努力しているなんて思っちゃいないし、本人からすれば当たり前のことをしているだけに過ぎない。別に誰かから褒められたいわけでも、認められたいわけでもないのだ。本人はただやりたいからやってるわけで、やらないと精神的に安定しないし気持ち悪いからやってるだけである。

極論を言ってしまえば、虫歯にならないように寝る前に歯磨きをすることも、普段歯磨きをしていない人からすれば努力に見えたりするものだ。筋トレやダイエットをしている人は自分の目的のためにやっているだけだが、やっていない人からすれば努力しているように見えるのと同じである。努力なんて大したことじゃない、やってる本人からすれば。

つまり、努力の本質は、努力しないことにあるのだ。もっとわかりやすく言うと、努力していると思わずに努力できる人にこそ、努力が報われるチャンスが訪れるのだ。


努力は試行錯誤がなければ意味がない

努力を努力だと認識していると、努力することに嫌気が差してくる。努力を努力だと思うと、努力するためには意志の力が必要になるのだ。しかし、人間の意志の力はとても弱く、努力するためにいちいち意志の力を総動員させていてはいつか必ずエネルギー切れを起こす。そして待っているのが皆さんお馴染みの「挫折」である。

一度挫折を経験すると、挑戦することに億劫になってしまう。それがまたマイナス思考とネガティブ思考を引き寄せ、「頑張っても無駄だ」というマインドが形成されていく。そうして人は「努力は報われないもの」だと信じ込んでいくのだ。

不思議なことに、努力を努力だと思っていると結果が伴わず、努力が徒労に終わってしまうことがとても多い。報われない努力というやつだ。努力を努力だと思っていない人が結果を出し、努力を努力だと思ってやっている人は報われない。両者の違いはどこにあるのだろう?

もっともわかりやすい答えとしては、努力を努力だと思ってる人は「努力=作業」になっていて、ただ毎日「やらなきゃいけないこと」としてやっているから結果が伴わないというものだ。作業は単純でルーティン化しやすく、頭を使って考えたり試行錯誤する必要がない。ただ「やる」だけに集中しているのだ。

一方、努力を努力だと思わずにやっている人は、努力以上の何かしらの目的や目標に向かって努力しているため、自分の間違いや改善すべき点などの学びが毎日ある。学びがあるとこには成長があり、成長は結果と切っても切れない関係だ。

つまり、運の要素を除けば、試行錯誤こそ努力が報われるかどうかの鍵だといっても過言ではない。


【まとめ】努力のない人生は物足りない

努力は報われるとは限らない。でもそこに努力の楽しさがある。中身がわかってる宝箱を開けても喜びは少ないだろう。なにが入ってるかわからないからこそ、宝箱は宝箱なのだ。ただし、努力の方向性を間違えてパンドラの箱は決して開けちゃならない。もちろん玉手箱も。

はじめにも言ったように、私は努力することが偉いとは思っちゃいないし、努力なんてしなくても人は楽しく生きていける。でも、それと同時に努力は人生を豊かにしてくれるものだとも思ってる。

現代は無駄な努力を賛美する盲目だらけのメタボなおじさんが多い社会だが、そんな世の中でもまだまだ努力する価値はあるし、努力することで得られるものもたくさんある。

「努力が報われない」とサジを投げたくなるときもあるだろうが、努力のない人生はスパイスがない料理みたいなものだ。それなりに楽しく生きられるけれど、どこか物足りない。

努力が報われるかどうか、努力に意味があるのかどうかは気にせず、自分に必要なことを日々積み重ねてみよう。その先にはきっと明るい未来が開けているはずだ。


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