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あなたが想像する「もしもの世界」はどんな世界?

もしも、今の自分とはまったく違う人生があるとするなら、あなたはどんな自分を思い描くだろうか。人には一人ひとり人生があり、今まで経験してきたこと、体験したこと、友達の人数、付き合った恋人の数、転職した回数、話したことがある人、やったことがあることは、一人ひとりまったく異なっているだろう。まったく同じ人生を歩んでいる人はどこにもいない。あなたの人生はあなただけのものだ。

でも、もしあなたが別の人生を歩めるとしたら?もし、過去の人生のある選択肢で、今の自分の人生とは違う決断を下していたら?そこには、いったいどんな人生が広がっていたのか考えたことがあるだろうか。

2020年現在においても、タイムマシンという昔から多くの人たちが待ち望んでいるテクノロジーは開発されていない。そのため、過去にした決断を変えることはできないし、変えた結果がどうなるかを知ることもできない。現代技術をもっても、まだまだ時間は一方向にしか進むことは許されず、空間や時間をねじ曲げるのは神に等しい行為である。

だけど、自分の頭の中で過去を振り返り、あの時、あの瞬間、あの選択を別の選択に書き換え、そこから広がる別な未来を想像することはできる。なんのためにそんな妄想癖のようなことをするのかって?それは、ストレスにまみれて狭い枠組みの世界の中で生きている自分に、人生には無限の可能性があり、選択と決断一つで人生は大きく変わるのだと言い聞かせるためだ。

人間の脳みそは基本的におバカなので、大事なことは何度も何度も言い聞かせなければならない。昨日覚えた英単語を明日忘れているように、人間の脳の中の記憶という機能は、私たちが思っているほど賢くはなく、覚えておきたいことを忘れ、忘れたいことは鮮明に覚えてしまう矛盾の機能が備わっている。英単語が覚えられず、過去の失恋を中々忘れられないのがいい例である。

さて、本題の人生が選択と決断一つで大きく変わるのであれば、もし、過去の選択と決断を別のものにすると、あなたはいったいどんな人生を歩んでいただろうかについて考えてみよう。

もし、あの時大学を受験せずに旅に出ていたら。もし、就職せずにフリーターとしてミュージシャンの夢を追いかけていたら。もし、今の恋人と付き合わずに別の人と付き合っていたら。もし、結婚して子どもをつくらず、自分の好きなように生きていたら。もし、昔の友人関係をもっと大切にしていたら。もし、もっと早いうちから親孝行して家族関係を良好に保っていれば。もし、刺激的な毎日ではなく、一般的な普通の人生を歩んでいたら。もし、夢を追わずに現実的な生き方をしていれば。もし、もっと真面目に勉強していれば。もし、東大に入れていれば。

「もしもの世界」を想像することは自由だ。頭の中で自分の都合のいい人生を想像し、もし、あの時ああしていればと考えることは誰にでもできる。でも考えるだけで終わるのであれば、それは単に過去に執着しているだけであり、過去に囚われ、過去に後悔する今だけしか残らない。もしもの世界を想像するのは、過去に囚われたり後悔するためではない。自分の人生には無限の可能性があることを思い出すためだ。

多くの人たちは、忙しく精神をすり減らす毎日を生きる中で、次第に、人生を生きるのではなく、人生に生かされる人生を歩むことになる。現代性に主体性を奪われ、自分の意思よりも他人の目を、本当に欲しいものではなく必要のないものを、やりたいことよりも世間体を、幸せよりもお金を重視して生きるようになる。そうした人生に「あなた」はいない。主役は自分ではなく、いつだって他人だ。

「もしもの世界」を想像したときのことを思い出してみよう。その世界線では、主人公の名前はいつだって自分自身だったはすだ。本当は現実の世界でこそ、主人公は自分にしなければならないのだが、仕事に追われる多忙な毎日を過ごしていると、人生の主人公をいつの間にか他人に奪われてしまう。でも大丈夫。主人公はいつだって自分に設定し直すことができる。あなたがただ気づきさえすれば。

不満足な毎日を生きている人に足りないのは主体性であり、人生を自分自身がコントロールしているという実感だ。その感覚を取り戻すために、「もしもの世界」を想像し、無限の可能性にあらためて気づくことが大事なのである。

人生は一度きりだ。後悔したくないのであれば、今すぐ主体性を取り戻し、自分の手で選択し、自分の足で歩き、自分の頭で決断を下して生きていこう。「もしもの世界」なんて想像する必要がないぐらいに、今を幸せに生きるために。

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