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人は「してほしいこと」よりも「してほしくないこと」の方がわかってる。

毎日の日常が自分の解釈次第でどうにでもなるものだとすれば、いい気分で毎日を過ごすためには行動に気をつける必要がある。よく言われるように、他人にとっていい行動をすれば気分が清々しくなり、「いいことをした」という事実により幸せな気持ちを実感できるだろう。逆に、自分だけのことを考え、自分にとっていいことばかりして他人に関心を抱かずにいれば、だんだんと精神的に疲弊していき、いつかは嫌気が差してくる。

アドラー心理学の創始者であるアドラーは、「幸せになりたいのであれば、他人のことを考えて行動しなさい」と説いている。また、「自分のことしか考えない人はネガティブな感情に苛まれる」とも述べている。アドラーは人間関係について、示唆に富む観点から独自の心理的傾向について考え、人生の悩みのほとんどは人間関係によるものだと言っている。これは個人的にも激しく同意できる。

人間関係についての考えは、なにも現代において議論されるようになったわけではない。人間関係は古代から哲学者などによって幾度となく議論されてきた問題であり、社会や宗教の中でも隣人やコミュニティの大切さについて長い間語り継がれてきた。昔は隣人やコミュニティ内部の人を裏切れば、そのコミュニティから疎外されてしまい、文字どおり生きていくことができなかったのだ。そのため、現代人よりも人間関係においての倫理体系を厳格に持っている人が大半だった。

現代ではインターネットなどのテクノロジーの発達により、家から1歩も外に出ることなく生活することが可能になった。仕事もネットを通してできることが増え、飲食もネットスーパーやUberといったサービスを活用すれば、わざわざ愛想の悪い店員がいるレストランに行く必要もない。誰かと話したいと思えばSNSがあり、異性との出会いもマッチングアプリといったサービスがある。現代と古代には豊かさにおいて明確な違いがあり、その豊かさこそが現代人を苦しめてもいるのだ。

自宅に引きこもっていても何でもできる社会はたしかに便利だろう。しかし、高すぎる利便性は人間の醜い部分を助長してしまう。たとえば、ツイッターなどのSNSでは匿名性をいいことに、他人に対して暴言や誹謗中傷をおこなう輩が絶えない。顔と名前が知られていないことをいいことに、なにをしても問題はない。他人がしているから自分もやって大丈夫だ。と勘違いしている輩がわんさか沸いている。

そうした人たちは、自分以外にもやっている人がいるから大丈夫だと思い込んでおり、現代社会の欠陥である多数決主義に基づいて自分の行動を決定している。つまり、物事を正しいか間違っているかではなく、多く人がやっているかやっていないかで判断し、多数派の意見は正しいと勘違いしているのだ。これがSNSでの誹謗中傷が絶えない理由でもある。

もちろん、自分はなんの責任も負わずに他人を犠牲にしてお金を稼いだりする、似非インフルエンサーといった叩かれて当然のような連中がいることも否定しない。インフルエンサーに関しては、自分たちの行動が大衆に大きな影響を与えることを考慮し、自分の言動によって不利益を被る人がいるのであれば、自分も不利益を被る責任を負う必要がある。リスクの伴っていない主張は、外見ばかり着飾る中身がスカスカのスーツ野郎と同じである。

人間関係においての原則は、古代に現代にも有用となる答えがある。すばり、白銀律だ。白銀律とは、「自分がしてほしくないことは、他人にするなかれ」という原則だ。「自分がしてほしいことを他人にしなさい」というのは黄金律だが、黄金律は人間関係においては役に立たない場面が結構ある。なぜなら、自分がしてほしいことが、他人もしてほしいとは限らないからだ。一方、白銀律は、「してほしくないことを他人にもしない」という原則であり、してほしいことは人それぞれ違っても、「なにをされたら嫌か」はほとんどの人間で同じだ。暴力などがまさにそうだろう。

冒頭で、気分よく過ごすためには自分の行動に気をつけるべきと述べたが、それはつまり、白銀律に沿って行動を起こすことで、他人に害を与えずに良好な人間関係を築くことができ、その人間関係によって毎日を満たされた気分で過ごせるということだ。満たされた気分は、周りの出来事をポジティブに解釈させる楽観的思考をもたらす。幸せの感受性が高まるのだ。

新約聖書のマタイによる福音書には、「善行は隠れておこなうもの。そうすれば天国の父があなたを守ってくれる」という記述がある。これは、善行というのは周りの目を気にしたり、他人の評価を気にしたりしておこなうものではなく、誰にも知られずにおこなうのが本当の善行である、と説いている。何かしらの見返りを期待しておこなう善行は善人による行為ではなく、ただの偽善者に過ぎないということだ。

善行に余計な感情があると、自分の中にも善以外の感情が湧いてくる。その感情は幸せの感受性を低下させる。幸せの感受性は、本心から他人のために行動してこそ高まるものなのだ。自分の行動を見せびらかしている連中には注意しよう。彼らは本心ではく、他人の評価を気にしている偽善者なのだから。

人間関係の悩みは白銀律でおおむね解決できる。穏やかな日常も、偽善者にならず本心から他人のために行動することで手に入る。一番やっちゃいけないのは、自分の価値観を押しつけたり、他人の価値観を否定したりすることだ。現実はすべて自分の解釈次第。気分よく過ごしたいのであれば、社会や集団のためになることを本心から実践するのがおすすめである。

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