見出し画像

浮気や不倫をする人と、しない人の違いはどこにあるのだろうか。

芸能人の浮気や不倫が炎上するのは現代では珍しいことではなくなっている。ツイッターを開いているだけで誰々が浮気した、不倫をしたという情報がいち早く入ってきて、それに対してみんなが一斉にガソリンを撒き、マッチに火をつけ、一気に炎上することになる。

こうした現象は紛れもなく現代のSNSによって助長されており、SNSがあることによって人間の行動が昔よりも可視化され、芸能人のプライベートなども透明性の元に晒されている。これは時代の流れとしてはどうしようもできないことであり、その流れはこれからも加速していくだろう。

さて、今日は一般的にセンセーショナルな話題として扱われる、浮気と不倫について考えてみたい。

先に言っておくが、私は浮気や不倫が良いことだとは思っていないし、私自身、一度もしたことはない。でも、浮気や不倫をする人を頭ごなしに否定する気もサラサラない。なぜなら、浮気や不倫をしたいという衝動は人間にとって自然だと思っているからだ。

浮気や不倫に対しての現代の認識

浮気や不倫をしたという話を聞いたとき、あなたは一体どういう感情を抱くだろうか。

「浮気をするなんて最低だ」
「不倫はしてはダメなこと」
「パートナーを裏切るなんて信じられない」

そう思う人が大多数だろう。浮気や不倫は悪いこと、そんなことは昔からずっと言われ続けていることであり、物心がついたときから私たちは「浮気、ダメ、ゼッタイ」という考えが頭の中に根づいている。

たしかに浮気や不倫はパートナーを裏切り、相手の心を傷つけているという意味でダメだと言えるだろう。特に不倫は法律でも禁止されており、法律を破ればそれ相応の報いを受けなければならない。法律がどんなときでも絶対に正しいとは言わないけれど、不倫がダメなことには同意である。

だが、そもそも浮気や不倫をする人はどういう気持ちでしているのだろうか。ただ性欲に負けているだけなのだろうか。それとも流れに負けて雰囲気でやってしまっているのか。そして、浮気や不倫をする人は自分のやっていることが悪いことだと思っているのか。それとも悪いとわかっていながらもやってしまっているのか。

浮気は場所・タイミング・相手が揃うことが条件

これはまったくの個人的な意見だけれど、私は人間は誰でも浮気や不倫をするものだと思っている。しかるべき場所で、しかるべきタイミングで、しかるべき相手という条件がそろった場合、おそらくほとんどの人が浮気や不倫をしてしまうだろう。

もちろん中には、どんな状況になっても、どんな相手に誘惑されても、どんなにリスクがゼロなタイミングになったとしても浮気をしない人もいる。でもそんな人はごくごく一部で、干し草の中から針を見つけるぐらい難しい。

では、世の中のほとんどの人は浮気をしてしまうのだろうか。いや、そうではない。浮気をしてしまうのに、しかるべき場所とタイミングと相手が揃う必要があるだとすれば、それらが揃わなければ浮気をすることはない。

勘違いしないでほしいのが、「浮気を実際にする」のと「浮気をしたいと思う」のは別である。仮に浮気をする人が少ないと仮定しても、浮気をしていない人でも浮気をしたいと思っている可能性はゼロではない。性欲があまりない人を別にすれば、誰しも性に関心があるのは自然なことである。たとえパートナーがいたとしても、だ。

罪悪感では人は止まらない

実際に浮気をしてしまう人というのは、しかるべき場所で、しかるべきタイミングで、しかるべき相手と会う機会に自分を置いていることが多い。たとえば彼女の仕事中だとか、出張や地元に帰省したタイミングだとか、誰もしらない異性の友達だとか。

プラトンのギュゲスの指輪の物語では、指輪をつけることで透明になる力が手に入る。プラトンの兄であるグラウコンはソクラテスに対し、「透明になれる指輪を自分の悪いことに使う人と、何も悪いことに使わない人とではどちらのほうが良い人生を送れるか」と聞いた。

ソクラテスの答えは、後者のほうが良い人生を送れるというものだ。前者の場合はたとえバレないとしても、悪事を働いたことによる罪悪感で自分を苦しめることになるからである。それでも多くの人は、透明の指輪を使って悪事を働く。それが人間という生き物だからだ。

これを浮気に置き換えて考えてみよう。しかるべき場所とタイミングと相手が揃い、絶対にバレない状態で浮気ができる環境にあったとき、そこでハッキリとNOが言える人はどれだけいるだろうか。あくまで私見だけれど、そんな人はほとんどいないと言っていいだろう。たとえ後で自分を苦しめることになったとしても。

自分の行動をコントロールする

一方、浮気をしない人というのは、浮気への欲求がない人のことではない。浮気ができる環境に自分を置かない人のことである。しかるべき場所、タイミング、相手が揃うと浮気をしてしまう可能性が高いなら、はじめからそうした環境に自分を置かないようにすればいい。

ホメロスのオデュッセイアに登場するセイレーンの話では、オデュッセウスがセイレーンの歌声を聞くために、あえて自分の行動をコントロールする場面がある。

セイレーンの歌声はとても甘美で、歌声を聞いた者はセイレーンに引き寄せられ、岩礁に船を打ちつけて難破する運命にあった。だがオデュッセウスは船員たちの耳に蝋を詰め、自分はマストに縛り付けることで、セイレーンの歌声を楽しみながらも船の難破を防ぐことに成功した。

オデュッセウスは自分の意思の弱さを知っており、それを逆手に取って自分の行動をコントロールしたのだ。浮気をしない人にも同じことが言える。浮気をしない人というのは、自分の意思の弱さを理解し、しかるべき場所、タイミング、相手に誘惑されると浮気してしまうかもしれないと自分のことを理解している。

だからこそ、そうした環境に自分を置くのを遠ざけているのだ。まるでセイレーンの歌声を聞いて、引き寄せられるのがわかってるがために、自分をマストに縛り付けたオデュッセウスのように。

自分の手綱は自分で握ろう

浮気や不倫は感情的にも決して容認できるものではないけれど、浮気や不倫をしたいと思うのは欲求、欲望、性欲がある人間なら仕方のないことだ。考えるのは犯罪でもなんでもない。実際に行動を起こさなければそれでいいのだ。賢い人は自分の弱さを理解し、予想外の行動を取る未来の自分をコントロールしている。

何度も言うが、ここで書いていることはあくまで私の個人的な意見である。浮気や不倫についてどう思うかは人それぞれだが、人間には自分の行動をコントロールする知恵がある。これはほかの動物にはないものだ。

浮気や不倫に限らず、自分の中でやっちゃいけないと思うことには、はじめから近づかないようにしよう。自分の意思の強さを過大評価しちゃいけない。人間の感情ほど移り変わりが激しいものはない。後悔する人生を送りたくないのであれば、自分の手網はしっかり自分で握っておこう。


********

記事の感想や質問、その他相談したいことなどがあれば、TwitterのDMや質問箱、メールなどでいつでもご連絡ください。

********

【Twitter】

Follow @ddd__web

【質問箱】

https://peing.net/ja/ddd__web

【メール】

uw.liberty.d0618@gmail.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?