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異なる世界に生きる隣人。

 北海道にスキーの合宿で滞在した時に、北海道民が「なまら」とか「わや」という言葉を連発していました。現地のスキーチームに混ぜてもらうかたちで参加していたので、彼らとは深く関わることになります。当然、言語は理解しなければなりません。でも、子どもって、そういう内輪のルールや秘密みたいなのを、おもしろがって開示したがらないですよね。だから自分で頑張って解読していくと、どうやら、「なまら=とても」で「わや=やばい」という意味のようでした。
 これらはいわゆる訛り(なまり)と言われるものです。特に気にも留めずにこれまで生活してきましたが、このような訛りは、もっと根本的な違いの一端なのではないかと考えることが最近ありました。大きく時代をさかのぼった縄文時代の歴史から、そう思ったのです。

 今からおおよそ1万年前、縄文時代には、日本列島には様々な文化圏が存在していたと考えられています[1]。文化圏とは、土器などの生活用具の形態や祭祀の方法などが共有されており、地域間の交流も親密であったと考えられる領域です。祭祀とは、現代でいう冠婚葬祭のようなもので、死者の弔いや、自然の恵みを願う祈願などのことを指します。これらが共有されている文化圏は、青森県青森市にあった三内丸山のような大きな集落を一つの拠点として形成されていたと考えられています。そしてこれらの文化圏が違えば、言語も異なり、言葉が通じなかったのではないかと考えられているのです。同じ日本列島内においても大きく地域をまたげば、国が異なるほどの違いがあったということです。たしかに、今でも津軽弁などは難解なことで有名ですし、私も北海道でほんの少しばかり苦労をしました。
 縄文時代の文化圏を少しだけ紹介しますと、まずは北海道南部から東北北部(秋田・盛岡市の北)にかけては「円筒土器文化」が発達していたそうです。そしてその南、東北南部から新潟県北部あたりには「大木式土器文化」が発達しており、このような独自の文化圏が関東・中部・中国・四国などへと続いていきます。
 移動生活から定住生活へと移っていったのは、縄文時代の頃であるとされています。食料を求めて移動しながら狩猟採集する生活から、一定の場所に留まって生活するように変化していったのです。その変化の要因は、気候が温暖になり、現在のように四季が明瞭になったことにあると考えられています。獲れる食料が豊富になることで移動する必要性が薄れていき、他方で食料の少ない季節を乗り切るために保存食を作る必要もありました。保存食を作ればそれば荷物になり、また保存食を作るための加工場も必要になります。そうして移動が困難になったことも、定住化の促進に影響したのではないかと考えられています。また、定住化が進むことで、これまた荷物になる土器の利用も普及していったのではないかと考えられるのです。
 このような定住化とともに地域ごとの文化が育っていき、また地域間の交流ができるようになったことで文化圏が形成されてったと考えられるのです。今のようにスマートフォンがない時代では、移動生活では互いに連絡がとれず、離れた地域の人同士の交流は困難でした。定住化によって、地域独自の祭祀や生活用品、特産品が発達していき、日本列島内にいくつもの文化圏を形成していくに至ったのだと考えられます。

 言語まで異なれば、それはもはや異なる国であるようにも思えてきます。ただ、そのような違いは太古の昔の話であって、今では日本列島の各地域が一つの国として成り立っているではないかと考えるかもしれません。しかし、本当にそうなのでしょうか。

 今でこそ、生まれた地を離れて進学したり就職したり、あるいはそこで人生の最期を迎えるのは一般的なこととなりました。しかし、ほんの150年前、江戸時代までは生まれた場所を離れることはほとんどありませんでした。離れられるとしても、政治的な交流や学問的な交流、あるいは商いの取引などの一時的なものに限られ、またそのような活動に参加できる者はごく一部に限られていました。ほとんどの者は一つの場所に留まり、そこで受け継がれてきた掟や祭祀、技術などを大切にしながら生きてきたと考えられるのです。
 列島に独自の文化圏が形成され始めたのがおおよそ1万年前だとすると、人が生まれた場所から離れて生活するようになった最近の150年などは、本当に短い期間です。単純に割り算をすると、98.5%は一つの場所に留まり、そこにあった文化で生活をしていたことになります。

 とはいえ、たった150年とはいっても、人が移動することによって混ぜこぜになれば、文化的な違いは一気に消えていくとも考えられます。特に、60年ほど前にはテレビが普及し出し、20年ほど前にはインターネットが普及し出しました。直接会わないまでも、地域に関係なく情報が行き交うことで、文化の違いは吸収されていったのではないかとも考えられます。
 しかしながら、文化の違いというのは、私たちが意識的に記憶や学習をして蓄積されていくような表層的なものではなく、もっとこころの深いところに根付いているものかもしれないのです。

 精神疾患の患者さんなどを臨床的に治療する中で確立されていったユング心理学では、無意識が意識に及ぼす影響を重要視し、こころの全体の構造を次のようにとらえています。

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 こころの構造としては、まず意識と無意識に分けられ、無意識の部分が意識よりも大きな部分を占めることになります。また、さらに無意識は個人的無意識と普遍的無意識に分られます。それぞれについて、ユング心理学を日本に伝え広めた河合隼雄氏は次のように説明しています[2,kindle424]。
「個人的無意識とされる層は、一度は意識されながらも強度が弱くなって忘れられたか、あるいは自我がその統合性を守るために抑圧したもの、あるいは、意識に達しないほどの強さをもっていないが、なんらかの方法で心の残された感覚的な痕跡の内容から成り立っている。」
「普遍的無意識は、個人的に獲得されるものではなく、生来的なもので、人類一般に普遍的なものである。このような人類一般に共通のものにいたるまでに、ある家族に特徴的な家族的無意識とか、ある文化圏に共通に存在する文化的無意識などを考えることもできる。ユングはこれらを総称して、普遍的無意識と呼んでいることもある。」
 無意識は、私たちの意識や、身体、行動、思考に影響を与えると考えられています。例えば、到底受け入れ難いことを受け入れなければいけないという葛藤を、耐えきれずに無意識に押しやった結果、耳が聞こえなくなるという症状が生じたことがあるのだといいます。あるいはもう少しライトなものでは、頭では「どうぞおいでになってください」と書こうと思っても、こころの奥では来てほしくないと思っていれば、「どうぞおいでにならないでください」と書いてしまったりするようです。これらは個人的無意識に該当するものであると考えられます。
 普遍的無意識の例としては、ある患者さんが外を眺めながら、神話のような話を口にしたことがあったといいます。そしてその話は、よくよく調べてみると類似したものが、ギリシャ語で書かれた祈祷書の中に書かれていたというのです。患者さんはギリシャ語を読めず、この本も患者さんが話を口にした時点では出版前であったため、患者さんが内容を読んだとは考えにくいといいます。つまり、このような事例から考えられることは、私たちのこころの奥底・無意識には、共通のイメージを描くような基盤があるのではないかということです。患者さんが想起したそれと、他の者が祈祷書の中で描いたものとが類似していたのは、共通のこころを普遍的に持っているからであると考えられるのです。

 人類共通の普遍性という話題に及ぶと、遺伝子や遺伝というキーワードが頭に浮かびます。遺伝子の継承によって、人類共通の普遍性を備えてきたのではないかということです。人はみなそれぞれに違い個性をもっていますが、他の生き物と比べた時には明らかに共通的な形質をもっています。そして、そのような遺伝的な形質は、大昔からの祖先が生き抜いてきた環境に適応するように、かたち作られてきました。獰猛な肉食獣などに比べて決して力が強いとはいえないヒトは、サバンナで協力し合いながら生きてきました。環境に合わせて変化していく遺伝的形質は、身体だけではなく、こころも対象とするものです。私たちのこころは生まれが異なっても、不公平に対しては嫌悪感を示し、同じ集団に属するとみなす他者を理解しようとする特性などを、みな共通で持っています。これらは、集団で協調しながら生きていく上では必要なこころのあり方でした。
 しかしながら、遺伝的形質が環境に合わせて変化していくということは、先祖代々で生きてきた文化や環境が異なるのであれば、ほんの少しずつ異なるこころを持っていると言えるのではないでしょうか。もちろん、ホモ属が誕生したのは200万年前ですから、それに比べたら1万年前もごく最近です。遺伝的形質は、過ごした環境に適応するかたちで形成されていくものであり、環境が変わったからといってすぐにがらりと変化させられるものではありません。したがって、1万年前からそれぞれの地域で異なる文化圏が形成され、仮にそれが脈々と継承されてきたとしても、それが生来的なこころのあり方に与える影響は決して大きくはないと言えるのでしょう。でも、例えば沖縄に行けば明らかに時間の流れや町や人の雰囲気が異なるように、なにか深いところで違うものを持っているのではないかと思ったりもします。生きるリズムや、落ち着きを感じるものが、祖先が生きてきた歴史に応じてほんの少しずつ違ったりするのかもしれません。

 人間が後から定めた国境を越えて異国に行けば、その地の人がもつ考えや、文化を真摯に受け取ろうとする姿勢になるのではないかと思います。しかし、同じ国の中であれば、そうでもないのではないでしょうか。同じものを共有しているという前提に立っているような気がします。そして同じものを共有しているという前提は、「同じであらなければいけないのに違うものがある」や「こっちが進んでいてあっちが遅れている」というようなネガティブな異物感を生み出すようにも思われます。でも実際は、たしかに異国の人たちよりは多くを共有しつつ、でもやっぱり少しずつ違う文化に根ざしたこころを持っているのではないかなどと今回思いました。実際に弥生時代以降、北海道は続縄文時代、沖縄は後期貝塚時代という別の時代を歩んだとされています。このような時代区分で明記されていなくても、現代でも各地域で使う言葉や時間の進み方が異なるように、少しずつ違う環境や文化があり、それに合わせたこころが醸成されてきたのかもしれません。人が自由に移動するようになった現代では、隣にいるあの人は、実は違う文化圏で生きてきて少しだけ違うこころを持っているのかもしれません。そのような前提に立つと、相手のことをより知りたいと思えますし、その違いを尊重することが当たり前であると思えるような気がしました。

〈参考図書〉
1.岡村道雄著『縄文の生活誌』(講談社学術文庫)
2.河合隼雄著『無意識の構造』(中公新書)

(吉田)

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週末に読書会を開いたり、小さな本を作ったりしています。生活経験と知を織り合わせる時間は、自分なりの明日を見出させてくれると考えています。https://liber.community/

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