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『SFマガジン』2021年2月号「百合特集2021」読後感

 『SFマガジン』2021年2月号で、2回目の百合特集を組んでいる。前回の百合特集は2019年2月号なので、ちょうど2年ぶりである。

 前回の百合特集でもかなり話題になり、私の周りでも読書会が開かれたりしたが、私自身は特集そのものより少し遅れて、『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』で掲載作品を読んだ。女性同士の関係性を扱う「百合」の特集にもかかわらず書き手がほとんど男性だったということも気になるが、それより残念に思ったのは好きな作品があまりなかったということである。

 『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』掲載作品のうち、陸秋槎「色のない緑」は間違いなく傑作であり、伴名練「彼岸花」も好きだった。前者は私の基準で百合と言えるかどうか微妙なところだが、小説として完成度が高く、アイディアも面白く、読んだ後に心に残る類の作品である。後者は「女子校という閉じ込められた箱庭の中の疑似的な姉妹関係」という、いわば百合ジャンルの王道の設定で、「今さらこれ?」「いつまで女性同士の関係性を吸血鬼みたいな表象で扱うんだよ」といった批判は当然あり得るが、私自身は割かしその世界を堪能できた。美しく古めかしい文体にも酔い痴れたし、世界観にも浸ることができた。この2作以外はあまりピンと来なかった。

 今回の2年ぶりの百合特集は、友人から声をかけていただいたご縁で、私も関わらせてもらい、共作という形で「湖底の炎」という短編を発表している。この小説は中国の民間伝説「白蛇伝」から発想を得て、言うなれば異性愛規範が強い古い伝説を反転させようという試みである。特集ではこれ以外に、小説作品は5作ある。

 2年前と違って、今回は書き手がほとんど女性である。そのせいか、ネット上の一部では「どうせ百合からシスヘテロ男性を追い出そうとしてるんでしょ?」的な意見が見られるようだ。その点について、私は編集方針を左右する権限のないいち書き手に過ぎないので「はい」とも「いいえ」とも言えないのだが、書き手が女性に偏っているということを批判したいのなら、まず前回の特集がほとんど男性だったことを疑問視すべきではないか、と思わないでもない。

 この記事では、自作を除く「百合特集2021」の掲載作品への読後感を記す。対象は斜線堂有紀「回樹」、届木ウカ「貴女が私を人間にしてくれた」、小野美由紀「身体を売ること」に加え、「第2回百合文芸小説コンテスト・SFマガジン賞」受賞作2作、計5作である。

 その前に、私自身の百合観について簡単に説明したい。私にとって百合とは一義的に、女性同士の恋愛、少なくとも恋愛を匂わせる感情の揺らぎを描く作品である(性的な絡みが介在しているか否かにかかわらず)。「友愛も百合」「終わってしまった世界の風景を描くのも百合」「世界の全てが百合」みたいな百合観の持ち主からすれば些か保守的な定義に見えるかもしれないが、「なんでも百合」みたいな感じになると、当事者たちが様々な作品を通して辛うじて築いてきた「女性同士の恋愛」という主体性がまたしても不可視化される危険性を孕むので、今のところこの定義を変えるつもりはない(念のため付け加えると、これはあくまで私自身の百合観に過ぎず、他者の百合観を否定するものではない)。また、「百合小説とレズビアン小説はどうやって分けるの?」と訊かれれば、(「百合小説」はサブカルで「レズビアン小説」は一般文芸というイメージがありつつ)「分ける必要はない」というのが当面の答えだろう。

 この定義に沿って考えれば、中山可穂の作品群や李琴峰の作品群、ないし綿矢りさ「生のみ生のままで」はもちろん百合作品だ。「やがて君になる」はガチの百合で、「ゆるゆり」や、「魔法少女まどか☆マギカ」のほむらとまどかは、ゆるい百合ということになる。「少女終末旅行」は百合みを感じるということは否定しないが、私的に百合作品と言えるかどうか微妙なところである。

 以下、各作品への読後感を好きな作品順で紹介する。当然、盛大にネタバレしてあるので、未読の方は回避をおススメする。なお、どの作者も読むのは今回が初めてなので、過去作や、作者の思想傾向などについてあまり知らない。それらと関係なしに、今回の掲載作品単体への印象を述べているに過ぎないということを付言しておく。

■斜線堂有紀「回樹」
 流石にプロのエンタメの書き手、文章が洗練されていて読みやすく、思わず線を引きたくなるような佳句も多い。短編という枠の中で、主人公同士(千見寺初露と尋常寺律)の出会いから馴れ初め、生活のディテール、そして亀裂まで過不足なく描き込まれており、それと並行して回樹という特殊設定を説明するためのエピソードが適度に挿入されている。特殊設定があるのに説明臭くならない。そういうところに作家としての手腕が窺える。今回の特集の中で間違いなく抜きん出ている。
 男性が幻想するような「百合」ではなく、女性二人の恋愛と共同生活がとてもリアルに、なおかつ実感が籠もった形で描かれているところも評価しなければならない。ジェルネイル、口紅、そして爪を切ることなど、そういったディテールが特にいい。カップルの倦怠期と、その倦怠期を乗り越えるために「かすがいとしての子供」を求めてしまうところも含めて、とてもリアル。会話も上手だし、「愛情はただの努力」という命題から問う「本当の愛」という問いかけにも考えさせられる。エンタメとしての楽しさと深みを兼ね備えた良品。
 p.36に1か所誤字あり:「早坂」→「早島」。

■小野美由紀「身体を売ること」
 「義体化した少女が、自分の身体を購入した少女に会いに行き、ある意味同じ身体を共有している二人の少女が親密な関係を築いていく」という筋書きは新鮮で面白い。科学技術が進歩し、感染病が蔓延したすさんだ世界が舞台だが、舞台装置となる設定が説明臭くならない程度でさりげなく本文に挿入されるところも好感が持てる。
 また、ところどころハッとして思わず線を引きたくなるような佳句も多い。「おかしなことは、金になるんですよ」などがその例である。クライマックスで出てくる「一度でいいから、わたしはわたしの肉体が、こんな風に誰かに大切に扱われているところをこの目で見たかったのだ」という言葉が、とても胸にしみた。
 細かいところだが、作中に出てきたハンバーガーの店の名前が「クイーンバーガー」であることにくすっと笑った。そういう現実世界への何気ないパロディは、シリアスな小説の調味料になったりする。また、作品の舞台設定がどこか気になる。作中に出てくる貨幣が「ペソ」であることを考えると日本ではないようだが、この辺り、裏設定があるのなら知りたいと思った。
 一方で欠点もあり、大きく分けて2つ、「人物造形」と「結末」だ。まずは人物造形。この小説に出てくる人物はおよそ「乱暴な買春客」「横柄なお金持ち」「世間知らずの深窓の令嬢」といった既視感たっぷりのクリシェなのが不満な点である。特に「深窓の令嬢」は主人公の一人であるにもかかわらず、人物造形に深みが欠け、あまり魅力が感じられないのが残念。男の暴力の在り方も類型的に感じた。すさんだ世界観を際立たせるにはこれでいいかもしれないが、男の暴力は必ずしもこんな分かりやすい形ばかりではないと思った。
 そして結末。本作の結末は展開が唐突な割に意外性がなく、あまり効果的ではないと感じた。正直のところ、ホセと(妹の)ニナが登場した時点で、私は「ああ、これは兄が妹を犯すパターンだな」とすぐ予測したのだが、やはりそうなった。もうちょっと違う結末にした方がいいと思うが、あくまでもこの結末にこだわるのなら、「突然ニナが自室から出ることを禁じられた」ではなく、もっと自然な展開のさせ方を考えた方が良いのだろう。
 分かりやすい欠点がありつつも、面白い秀作である。女性の身体を持つ人間として生きることの実感、そして女性に対する暴力がしっかり描き込まれている作品が「百合特集」に登場すること自体喜びたい。「回樹」と並んで今回の双璧である。

■根岸十歩「キャッシュ・エクスパイア」
 「第2回百合文芸小説コンテスト・SFマガジン賞」受賞作その一。11歳の小学生ユイカはある日、没入型アイドルゲームで知り合ったカナエの死を知る。カナエは死んだが、ゲーム内で「キャッシュ」という疑似人格が残っており、それが3日後に消滅するという。この小説は、そんなユイカとカナエの最後の3日間を描いている。
 「生きている人がテクノロジーの力を借りて死んだ人とともに時間を過ごす」という大枠は少々既視感があるが、少女たちのやり取りは瑞々しくて魅力的である。ユイカが勝手にカナエの家を訪ねるという独りよがりな善意は、読む者としては少々ウザく感じるが、11歳の少女にとっては自然な発想かもしれない。情景描写も綺麗で、「鳥たちが歩いたあと、水面は小さく震えながらかんぺきな円をいくつも輝かせる」なんかは線を引きたくなる。
 物足りないと感じたのは、ユイカとカナエの「過去」があまり描かれていないという点だろう。ユイカとカナエにとって互いがどんな存在なのかあまり見えてこず、そのため、二人がともに過ごす「現在」の意味合いも感じ取りづらい。前述のユイカのウザいと思える行動も、「過去」を描くことによって動機付けがなされると思う。コンテストの枚数制限の都合かもしれないが。

■月本十色「2085年の百合プロフェクト」
 「第2回百合文芸小説コンテスト・SFマガジン賞」受賞作その二。作者の名前にどちらも「十」が入っているのは申し合わせているものか。
 「リリィコネクト」という会社で、チカ(どうも百合小説の登場人物に「チカ」率が高めのよう。「キャッシュ・エクスパイア」にも「チカ」が出てきた)とナコは「百合クラウド」なるものを作ろうとしている。それは「hIE」というロボットに百合的な振る舞いをさせるためのプログラムで、hIEの使用が普及した世界では、「百合クラウド」の開発と実用はいわば「世界に百合を実装する」ということだが、やがて様々な危惧が見えてくる……という話。
 この小説は、言うなれば「ロボットと人間はどう違うのか」「人間の知性を超えたAIは人間に災厄をもたらすか」「テクノロジーが人間の思考を支配するか」といったSFの古典的な命題に、「百合とは何か」という考察を掛け合わせたもので、発想は新鮮だが、出来上がった小説はあまり面白くない。小説を突き動かす推進力、すなわち「事件」や「エピソード」と呼べるものがほとんどないからだ。代わりに、次から次へと出てくる新しい情報や設定の説明と、登場人物の憶測を延々と読まされているだけで、その憶測の中にも更に新しい設定が出てきたりなど、読者は置いてけぼりになる(これは小説の初心者がよくやりがちなことではある)。結局登場人物のチカとナコがどんな人で、どういう関係かは分からずじまいである。

■届木ウカ「貴女が私を人間にしてくれた」
 残念ながら5作の中ではビリ。「回樹」や「身体を売ること」などプロの書き手の作品との差が歴然と表れている。
 「未来アイドル」の発想はトゥルーマン・ショーの二番煎じで、「水槽の中の脳」も懐疑論の思考実験としてはかなり古典的なもので、どちらも題材として新しくはない。作者が自分のバーチャルアイドルとしての経験を活かし、これらの古典的な発想をアイドルという現代的な存在に読み替えようという試み自体は面白いが、欠点が多い。まず、文章に難あり。稚拙なもの、説明臭いもの、鼻に突くもの。人称がぶれたり、文法的におかしい悪文もあった。誤字も多い。また、会話文が凡庸で、主人公の愛依とアキラとの出会いと関係性の発展のプロセスも既視感。人物造形についても、登場する3人のアイドルは人称や語尾の違いを除けば誰が誰か分からず、あまり書き分けができていない。
 中盤で「電子の歌姫」の秘密が明かされた時にはそれなりに驚きがあり、その後の展開に期待したが、しかし話の筋がいきなり明後日の方向へ飛んでいった。これは驚きのある急展開というより、単に小説として破綻しているだけと思った。
 見世物にされているアイドルの「見る側」に対する復讐譚というテーマ性は、うまく処理すれば深みが出るが、残念ながらこの小説はできていないように思う。唯一良かったと思ったのは、愛依が、「電子の歌姫」の真実を世界に配信することによって、ファンに対してささやかな復讐を遂げるというシーンで、そこだけとても鮮烈だった。
 あと、これは単なるツッコミなのだが、寝ている時は配信しないのに「二十四時間アイドル」と銘打つのは、普通に誇大広告ではないか。配信しているのはせいぜい十六時間だし。


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