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私は酒が飲めない。

私は酒が飲めない。
いや、飲めないのではなくて飲まない。(と以前は言っていた)

飲まない理由は、以下である。
①一滴でも飲むと眠くなる
②①の為に、自分で何を言っているか、自分でわからなくなる
③①と②である為、飲み会で他者からの質問にまともに答えられなくなる

つまり、一人で寝酒晩酌程度の飲み方なら成り立つのだが、人前や会社の人間が多く集まる社交の場等で、酒による酔いを活用できる状態にはならないので、飲めないと言っているのだ。

私の飲酒できない伝

私の若い頃は酒文化が昭和の名残を残したままの平成初期だったから、一気飲みや駆けつけ三杯と呼ばれる、アルハラ文化は健在であった。
打ち合わせと称して、夕方18:00から閉店後の24:00くらいまで、居酒屋に入り浸り、タバコの煙がモクモクとする中で6時間、上司のありがたい言葉を拝聴するような飲み会にも参加したし、独演会や武勇伝、泣き上戸や笑い上戸など、今の時代は廃れた飲みっぷりも健在だった。

その時代と比較して、今の時代の飲みっぷりは如何に健康的であるか、と思う。

私はもともと酒が飲める方ではなかったのだが、

 『IT業界では酒が飲めた方が有利だ。特にお客様との接待の場では、飲めないなんてとても言えない。何故なら酒を飲むとそれが仕事に繋がるからだ。だから飲めるようになった方がいい。』

20代の私は、その言葉を頑なに信じて飲めない酒(上に書いた①②③にたえながら)を、飲めるかのごとく振る舞い、それ以来30年近く飲めるふりをしながら過ごして来た。

しかし、年齢の曲がり角がやってきた。
40代後半に入るころから、①②③をごまかす事ができなくなった。
以前は無理をすれば、酔った状態であっても、③はなんとか死守できていた。つまり質問への受け答えが成立できていたのだが、それができなくなった。

 「本格的に、俺の飲酒は終わった。卒酒しなければ。」

このように悟った。
その時のエピソードとしては、自分が管理職として開催した飲み会に、役員である上司が参加する事になったのだが、その場で、入社の最終面接並みの難しい質問が急に飛んできて(シラフでも答えるのが難しいレベル)、それに対して言いたい事が上手く表現できずに、誤解を招く。それが職場の仕事にそのまま、誤解という形で影響を与え、上司の態度も変わってしまった、というエピソードである。

なので、それをきっかけに、無理して『飲める私』ではなく、『下戸の私』を受け入れる事にしたのだ。

また、20代の頃の上司が私に説明した『酒を飲めた方が有利』という定説も、その瞬間覆ったという事実が大きい。

弱さと向き合う

50歳を迎えると、過去を振り返るようになると、一説には聞いたことがあるが、本当にそうだなと思う。還暦に向かい、ジリジリと時間が過ぎて行く事を体感するかのような、緻密なストレスを味わう状態である。

その中で、最近、己の弱さと向き合う事をしきりに考えるようになった。

己の弱さと向き合うと言う事は

 『内省の中で、素直に己の現在や過去の過ちや失敗を認め、問題解決としての行動変容を起こす事。特に他者に対して、正直に助けを求めること。』

であると、私は解釈している。
私は、自分自身を弱い人間だ、と思うのは、これまでの人生で、己の弱さと向き合う事ができてこなかった為、全部の問題解決を先送りにしてきた事実がある為、である。

そして、例にあげると、私の酒との付き合いの歴史、である。
酒が飲めないのに、飲めるふりをして周囲と付き合うから、周囲は私を酒が飲める人と勘違いして付き合い、でも、酒文化を通じた関係がうまく機能しない事に、お互いが苦痛を感じたり、私との間での人間関係作りの失敗という結論に、傷ついた方も中にはいらっしゃると思う。

私が最初から

 『酒を飲めない』

と正直に表明できていれば、このような問題は起こらなかっただろう。
円滑な人間関係を作り、友達関係の輪であれば、生涯にわたる友情を築ければ良いわけだし、仕事の関係であれば、ビジネスに貢献する成果が得られれば良く、目的がそれなのであれば、酒にこだわる必要はなくて、ウーロン茶やアイスコーヒー片手に、臆せず混ざっていけば良いだけだったのだから。
周囲も飲めない人間に無理やり飲ませようとはしない(少なくとも令和の今の時代はそういう世界観が保たれた時代と思っている)し、お互いにそれを知った上で交流した方が、むしろ気を遣わずに触れ合える。

端的に「酒」だけを例にあげたが、抽象的に考えると私の場合は、他にも同じような事が沢山あるものと思う。自分の弱さが原因で、周囲に対して迷惑をかけるような生き方をしているものと思うのだ。

私には、己の弱さと向き合う強さ。

これが足りていない。

終わりに

還暦に向かうに相応しく、これまでの人生を総括しながら、日々を暮らす事が、今後多くなるものと思う。
本質的な己の弱さを克服し、自分自身の魂に磨きをかけて行かれたら、と思う。


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