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Learning for Allの独立、そして起業家の基礎を支えた、日本IBMプロボノチームとの出会い


「子どもの貧困に、本質的解決を。」というミッションを掲げる認定NPO法人「Learning for All」は設立10周年を迎えました。それを記念し、歩みを知る人々を招いて、年度ごとに語り合う連載コンテンツの第2回をお届けします。

今回は、Learning for Allが独立した前後の2014〜2015年頃、日本IBMのプロボノ支援チームとして団体設立のサポートに携わった小林大輔さん&前川英之さんと、代表理事の李炯植が集合。当時を象徴するキーワードと共に、NPO法人立ち上げ時の奮闘ぶりを振り返ります。

当時、日本IBMの社員だったお二人は、プロボノ(※仕事で得たスキルや経験を活かす社会貢献活動のこと)として、Learning for All の基盤づくりを支援。本業のコンサルタントで培った専門知識や経験が、後のLearning for Allの成長にも大きく寄与したといいます。また、この経験は、お二人自身のその後のキャリアにも大きな影響を与えたそうです。

決意したLearning for All の独立…「起業家の基礎」を教わった

当時を振り返るキーワード、この日の1つ目は李が「起業家の基礎」を挙げました

李:「Teach For Japan」(※Learning for All が独立する以前の母体となる教育系NPO)から学習支援事業を引き継ぐ形で、NPO法人としてLearning for All の独立を決意したのと、ほぼ並行して日本IBMさんのプロボノ支援が決まったんです。元々は4人の日本IBM社員の方が、4ヶ月間伴走してくれる予定でした。ところが、結局10ヶ月くらいご一緒してくれましたね。しかも、お二人はさらに10年近くもLearning for All に関わり続けてくれています。

前川:そうですね。日本IBMには継続的にNPOを支援するプロボノ型の社会貢献プログラムがあり、毎年のテーマがグローバル規模で決まっていたんです。その年のテーマは「教育」だったんですよ。それで、李さんとも知り合うことになって。

李:その頃、23歳くらいの僕は大学生ボランティアを終えて、大学院修士1年生になっており、週1回は非常勤職員として東京と関西の学習支援事業の事業部長をやっていたんです。ただ、Teach For Japan の事業の一つであった「子どもへの学習支援事業」の分離・独立が決まり、その代表者を選ぶ際に、当時の事業統括だった僕にも今後の去就が求められました。まだ学生である自分が代表者として事業の独立をリードできるのか。不安もあったので悩みましたね。

しかし、一念発起して事業を引き受け、厳しい道だとわかりつつも独立することに決めたんです。一番の決め手は接する子どもたちでした。元々は子どもに関する社会課題に取り組みたいと考えていたのもありますが、すでに現場で100名近い子どもたちに教えていましたから、みんなに学習支援ができなくなることだけは絶対に避けたかった。
言い換えると、現場責任者から起業家になる、と決意したわけです。そこでみなさんに支援を受けることになり、葛飾区の拠点で子どもの学習支援をしてから、日本IBMが入居していた丸の内ビルディングの会議室に通う日々が始まりました。名刺交換の作法から教わり、まさに社会勉強のようでした。

前川:いつも李さんが会議室で、僕らが出す飲み物をお水にするか、お茶やコーラにするか、悩んでいたのを覚えています(笑)。

李:出してもらえることが嬉しくて、そういう小さなことでも、いちいち感動していたんです(笑)。

僕としては「今は2013年6月で、1年半後に独立しないといけない」というゴールだけが決まっている状態。右も左もわからないままでしたから、助かりました。独立を決めた僕の様子を見て、日本IBMのプロボノチームは伴走予定の4ヶ月の使い方を大きく変えてくれましたよね。課題設定に2ヶ月をかけ、根掘り葉掘り当時の状況を整理していただきました。

小林:当時はZoomもなかったので、基本的に直接会うしかなくてね。

李:隔週に1回、2〜3時間くらいのミーティングでしたよね。さらに終わったあとで、2時間くらいの飲み会も開いてくれ、そこでもさらに話す時間が深まっていって。

前川:そうそう、僕らも本業の後なので、19時や20時にスタートという感じでした。

李:ミーティングごとに大量の宿題が出たのを覚えています。「次までにビジョンやミッションを決めてこよう」とか、「10年のロードマップを考えてきて」とか。事業をどう展開していきたいのか、どういうインパクトを出したいのか……最初は「課題の設定が大きすぎる」とも感じたのですが、今思えばそのスケール感は正解でした。僕自身も広く、深く考えるきっかけになりましたから。宿題へのフィードバックも手厳しく、スパルタでしたけれど、やらざるを得ない状況でした。

小林:裏話的に事情を話すと、プロボノという関わり方の特性上、我々がいつものコンサルタント業のように、多くのファクトを集めたり、インタビューしたりする時間がなかったんです。だから、宿題を投げて、李さんが応えるといった対話的なアプローチで進めていくしかなかったんですよ。

ただ、プロボノだからこそ「楽しくやろうよ」という姿勢も大事にしていました。Learning for All が向き合う「子どもの課題」は、ビジネスのフィールドで向き合うテーマと性質が違います。もっと純粋に、子どもたちの実態や社会課題にどう立ち向かうべきか、みんなが意欲を持って深掘りしていったんです。どんどん深い議論になっていきましたね。

李:そうですね。でも、僕自身は宿題をたくさんもらってハッピーでした。日本IBMのチームには「僕自身のやる気は高く、学ぶ意欲もある。できないことは多いけれど、やると決めているのでお願いします。きっと何もお返しできないけれど、絶対に大きく成長することは約束します」と常にお伝えしていました。スキルの高いみなさんが、親身になって団体の状況も聞いてくれる。まさに僕らを基礎から丸ごと支えていただきました。

プロボノだから実行できた、育成も兼ねたアプローチ

李:事業計画書と単年度の行動計画を作りましたね。独立前の1年と、独立後と……事業戦略も組織戦略も、全方位的に描いていって。

前川:日本IBMの丸ビルでもミーティングをしたし、有楽町の東京交通会館にあったLearning for All のオフィスにも行きましたよ。オフィスというより秘密基地みたいな、こじんまりした場所でね(笑)。

小林:あと、当時でよく覚えているのは、日本IBMのプロボノは5チームあって、本職がコンサルタントなので、基本的にはプロボノ側でPowerPointの資料を作るんだけど、我々のチームだけは徹底して李さん自身に書いてもらったんですよね。なぜならば、そうしないと自分事にならず、学んだことを使えるようにはならないから。

コンサルタントが作った資料は、大抵とても良くできていてキレイなんです。ただ、コンサルタントが去った後に、クライアントがその内容を自分事で話せるかというと、一概に言えないところがあるのも事実です。

だからこそ、李さんの場合は自分で資料を書いて、魂を込めたものが本当に必要なんだろうと思ったし、それは今でも間違っていなかったと思います。対話からひたすら我々は理解し、表のフィードバックを会議室でやり、裏のフィードバックも飲み会でやる。そんな伴走支援を徹底したのが特徴だったと思います。

ただ、こんなアプローチができたのも僕らがプロボノで、コンサルタントフィーをいただいていないからですね。もし、フィーをもらっていたら、「資料作りも作業の対象でしょう」と指摘されるはずですし、裏のフィードバックも続けてはいられない……。

李:それ、すごく記憶にありますよ。「作ること自体が育成の機会になる」って言っていました。実際に、PowerPointの資料なんて作ったことがなかったから、とても勉強になりました。毎週、毎週、全部みなさんの真似をしていました。当時の資料、残っていますよ。

前川:いやぁ、これを見ると、今の資料はずいぶんとうまくなっているんだなというのがわかりますね。

李:これも必死で作っていました!(笑)。めちゃくちゃ成長しましたよ、このプロジェクトで。きっと何かしらの「起業家育成プログラム」に入っても経験できないでしょうね。ここまでフィードバックをもらって、自分で作り、またフィードバックをもらうという繰り返しは、糧になるものが大きかった。ビジネススキルも身につきました。

前川:ケーススタディではなくリアルケースで、本気で取り組んでいたからこそですね。僕自身は事業の立ち上げ経験は直接的には無かったのですが、事業立ち上げ時の方法論に則って順番に作るべきものを作り、出てきたものに対してフィードバックする、というコンサルタントの職能を、未経験のNPO法人立ち上げにも適用した形でした。

小林:Learning for All の立ち上げで良かったのは、日本IBMチームの役割分担がうまくできていたことにもありそうです。プロボノの難しいところは、目的に対して必ずしも最適なチームが集められるわけではないこと。今回のケースの場合は、僕が全体戦略、前川さんが人事や育成関連、他のメンバーがプロジェクトマネジメントやシステムエンジニアリングと上手く役割分担できたんです。

「この機会を使い切って全部吸収する

キーワードの3つ目は「深夜のホワイトボード」で、当時の熱狂を振り返りました

小林:そうだ、すごく覚えている光景があって。当時の日本IBMはホワイトボードの代わりに大きなポストイットを使っていたんですね。台紙付きのパッドになっていて、模造紙みたいなサイズ。ミーティングが終わると、その巨大なポストイットに書いたメモを李さんが持って帰るんですよ。

前川:そうそう、4つ折りにして。

李:僕が大学で修めていたのは哲学なので、ビジネスのことは全然わからなくて。だからこそメモを持ち帰れることが、もう嬉しかったんです。メモというアウトプットもそうだけど、ミーティングの進め方や問いかけの仕方、情報整理の方法など、全てが勉強になりました。「この機会を使い切って全部吸収するぞ」というマインドセットでした。

結果的に、この頃のセッションで仕入れたことを、Learning for All でも自分のチームに活用していました。学ぶだけでなくて自分で実践するともっと勉強になるので、「学びを何倍にもしよう」という意識でした。

ただ、僕としては学びの多い時間でしたけど、それこそお二人は本業も大変なのに、さらに上乗せでプロボノに取り組んだわけですよね。どういった理由があったのでしょうか?

前川:僕はたまたまTeach For Japan 代表の方の本を読んだタイミングで、プロボノ募集のメールが来て、興味を持って応募したんです。僕は人事畑が長かったですし、広い意味では人材育成のスキルアップにも何かしらつながるかもしれないな、と。ただ、李さんが早々に「Learning for All として独立します」と言い始めて、僕もそんな姿に惹かれて熱を帯びていったので、だいぶ様相は変わってしまいましたが(笑)。

小林:元々は学生NGOに携わったり、教育系のベンチャーでインターンをしたりと、教育領域には関心があったんです。ただ、就職のときは「全く違う世界で修行しよう」くらいの気持ちで日本IBMに入社しました。入社6年目くらい経ち、仕事をこなせるようにもなると、やっぱりどこかで「世の中に良いことをしたい」「依頼されたことを一生懸命やるだけの毎日から抜け出したい」と思うようになっていって。

だから、同僚からプロボノを要請されたときに、「Teach For Japan」や「子どもの教育」というキーワードを目にして、このタイミングで言い訳せずにやってみようと感じたんです。ちょうど東日本大震災の後で、世の中的にも「社会に何か良いことを」という機運が高まっていた時期でもありましたね。

ある人から「その時代の若者が求めるものは、その時代に欠けているものだ」と聞いたことがあります。たとえば、松下幸之助の時代は豊かさが欠けていたから水道哲学が生まれ、氷河期世代は仕事を求めた。我々の世代になると震災もあって、生きがいや現状への疑念みたいな問いが生まれた。そういう時代の流れに、僕も乗っていたんだろうなとは思います。

本気でやっている人だから、他者の心を打つ

李:改めてお二人から振り返って、Learning for All のプロボノはどういう経験だったと感じますか?

小林:「この時間には一回性があったな」と強く感じました。通常、企業のコンサルティングプロジェクトだと、極論を言えば失敗することだってあります。失敗を許容できるのも、企業で取り組む良さだとも言える。ただ、Learning for All の場合は違いますよね。僕らの失敗の先には、すでに関わっている100人の子どもが学習に迷うというクリティカルな問題がある。ただ、ある意味ではお祭りのようなもので、終わりがあるからこそ走りきれたのだとも思います。

前川:僕自身、プロボノが終わる頃には日本IBMを辞めることを決めていたんです。次に移ったのは社員4人のベンチャー企業。プロボノ活動自体が転職の決め手になったわけではないんですが、Learning for All の立ち上げを間近で見たことには影響を受けたのだろうな、と後から思いました。ある意味、僕にとっても事業立ち上げの予行演習だったかもしれませんね。しかも、数年後には自分で起業もしました。プロボノ活動で出会っていなかったら、まだ大企業にずっといたかもしれません。李さんを生贄にしているようで忍びないですが(笑)。

小林:確かに前川さんも転職し、僕も転職をして……日本IBMという会社でキャリアアップを目指す人も多い中で、僕は「人生って、それだけが道じゃないよな」と思った時に、大事なのは理屈よりも「本気でやっている人と出会うこと」だと気づいたんです。李さんのような若さで、子どもたちの現実と向き合っている人の存在は、何よりインパクトがありました。

僕は日本IBMを休職して、文部科学省が展開する「トビタテ!留学JAPAN」というプログラムに2年間参加しました。そこでも人生を賭けている人たちがいて、彼らと出会い続けることが自分の人生を作っているな、と感じたものです。結果的に30代はソーシャルセクターに携わることになるんですが、振り返るとLearning for All や李さんとの出会いが、その第一歩だったんだなと思います。

李:プロボノの正式な期間が終わった後も、皆さんとの関わりは長く続きましたね。独立後5年くらいまでは、それぞれがボランティアとして年に1回くらい報告会をしたり、飲み会をしたりして、困った時の頼れる存在でした。5年ほど経ってからは、事業として資金繰りが安定したのもあって、ちゃんと業務委託契約を結んでご依頼するようになりました。今もずっと関係が続いているのは、ありがたい限りです。

小林:やっぱり「応援され続ける人」って居るんだな、と思います。それは本人の可愛げだったり、「しょうがないな」と思わせるものがあるのかもしれない。でも、本気でやっているというのは、人の心を打つんですよ。

前川:僕はシンプルに李さんの起業家としての姿に興味がありますね。ベンチャーとしてのこの団体に興味があるから、お付き合いしたいと思える。今は自分自身もジャンルは全然違いますが起業していて、我々が将来経験するであろう課題を先にLearning for All が経験していることもあり、解決策を学ばせてもらう立場にもなっています。

小林:そうですね。Learning for All を10年間も続けてこられたことが、そもそもすごいことですから。

李:皆さんのおかげです。僕自身はフェーズごとにトップとしての役割を柔軟に変えつつ、自分がアジャストできない課題には真摯に向き合う。そういう積み重ねをしてきたな、と感じています。

小林:あえて言うなら、李さんが次に目指すべきは、グローバルなプレゼンスだと思うんです。日本で取り組んでいる課題は、タイやインドネシアといった国々が今後直面する社会課題とも共通してくるはず。そういった国々と連携することで、教育の課題はもっと解決に進むかもしれません。

李:ありがとうございます。次はみなさん、ぜひジャカルタでお会いしましょう!(笑)

(構成・文・写真:長谷川賢人)