選ばれる者は少ない

信仰がなければ、救いはない。その信仰もそして悔い改めも神が与える。人間中心ではない。すべては主イエスのため。一世紀当時のパリサイ派の人たちも、神に祈り、自分たちは救われると思っていたかも知れません。たとえ、ゲヘナへ行くにしても、生きている間、そう思っていられたのなら、神に感謝です。少なくとも神がいたんだということが信じられただけでも感謝しましょう。救いは、神が決めるもの。いつも神は先にすべてを終了させておられるので、人間は後から分かるのです。だから、自分がどうなるかは、分からなくてもいい。ひょっとしたら救われているかも知れません。しかし、信じていると言いながら、神に従わない者が救われるはずはないのです。神から信仰を与えられた人が従うからです。アーメン。

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