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Bandar Seri Begawan-バンダル スリ ブガワン/ブルネイ

空港のロビーから外に出た瞬間、ふゎっとした湿気を感じた。空気は日本と大して変わらない。空は低くて、分厚い雲が流れていて、時折雨がぱらぱらと降っていた。

空港を出ると、あっという間に市街地に到着した。車中から見ると高い建物はほとんど無くて、数個だけの高層ホテルがまばらに建っているのが見えた。不思議な光景だった。なんというか、まっさらだった地上に、少しの建物と大き目のホテルだけを転々と並べたような風景。

チェックインしたホテルの部屋は、それなりに高い場所に位置していた。部屋からは街が一望できる。窓からの風景には、少し高層の建物も見られるのだけれど、その周りにはだだっ広い空き地や森林が広がっていたりして、やはり不思議な光景だった。

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「僕と一緒にブルネイに行って会議に出て欲しいんだけど。」

「ブルネイ…ですか。」

それは、とある4月の事だった。東京のオフィスでこう上司に言われた。その時、私は東南アジア地域に関係する仕事に就いていた。

その会議は5月に開催される予定だった。出発前に国のことを少し調べて、その時初めて、ブルネイという国がマレーシアにすっぽりと囲まれた飛び地から成る島国であることを知った。国教はイスラム教。イスラム教、という文言を読んだ瞬間、自分が少し身構えるのを感じた。そして、ブルネイが、石油、天然ガス等の天然資源が豊富で経済的に豊かであり、国民は医療も教育も無料で、所得税や住民税を支払っていないという文章を読み、正直羨ましさを覚えた。

開催が予定されていた会議の時間は飛び飛びで、指定された時間だけ出席する必要があった。上司と二人で会議場に行き、入場の手続きを済ませる。

「あの、私はアミラと言います。滞在中通訳として同行します。」

アミラは、入場の手続きカウンターのそばから突然現れた。強い訛りのある英語だった。マレー語から英語への通訳を、ボランティアで勤めてくれると言う。

20代前半だろう。クリーム色の美しいブルカを被っている。顔全体が外に出るタイプのブルカだった。紺色の2ピースの服は、上の部分が長袖・膝丈で、その下のロング丈のスカートは足首までをすっぽりと覆っていた。スカートの足元に花模様がちりばめられている。

アミラは、会議の空いた時間になると、私たちを外に連れ出してくれた。

「せっかく来てくれたので、街をちょっと案内したいんです。近くにジャメアスル・ハッサナル・ボルキア・モスクがあるので、行きましょう。」

時間の制約がある中、外観だけを敷地外から見た。金色の大きな栗型の屋根が被せられた建物の周りを、4本のミナレットが囲んでいる。4本のミナレットのてっぺんにも同じく金色の栗が装飾で据え置かれていて、それぞれの白い側面には転々とエメラルド色の模様が施されている。中央の大きな建物もエメラルド色の装飾が施されていた。とても荘厳な建物だった。

これは、私にとって初めてのイスラム教を国教とする国への訪問だった。

当時のイスラム教に対する私のイメージは、9.11後アメリカと対立し続ける悪、テトリストのイメージで、決して良くはない。

初めて目にする荘厳で豪華絢爛なモスクとミナレットの装飾は、私になんとも言えないネガティブで不思議な感情をもたらした。偏見の色眼鏡を通している私の視界には、きっともっと美しいはずの景色が色あせた状態で映し出されていた。

「綺麗でしょう?」

アミラが上司の向こうで微笑んでいた。

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1つの会議に出席した後、近くのショッピングモールに昼ごはんを食べに行った。ショッピングモールは、まるで共産圏の建物のようだった。照明が少なく、装飾も少なくて質素なイメージだ。天井には水彩画が描かれていたが、芸術とは程遠い。先ほど見たモスクとは違い、全く豪華さが無い。

そういえば、会議場も質素な造りだった。この国では、お金をかける所にはかけすぎるくらい大判振る舞いで、それ以外の場所は質素に質素を極めた造りになっているような印象を受けた。

ショッピングモールの至る所で、色とりどりの長いスカートやブルカのお店を目にする。色々な色やパターンがあり、興味をそそられた。

イートインスペースには、B級グルメ的な店が並んでいた。ご飯に付け合わせのおかずを盛ったものや、鶏肉を揚げた料理等。私は揚げた麺に五目あんかけをかけた物をオーダーした。食べてみると、味の濃さにむせそうになった。日本の中華料理店の五目あんかけ焼きそばの味の1.5倍くらい濃いかもしれない。食べ物は全般的に、中華系やタイ、ベトナム料理に近いイメージだ。

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昼食後、少し歩く。それにしても、ブルネイは静かだった。アジアの都市は大抵どこに行ってもバイクだらけで、街の喧騒と排気ガスに慣れられず、どうしても滞在数日で精神的に疲れ始めるイメージなのだけれど、ここは正反対だった。

どこに行っても穏やかな雰囲気が漂っている。大きな声で話す人もいなければ、大きな音自体を聞くことが殆ど無い。というか、人口密度が低くて、人が少ない。街はとても綺麗でゴミが無く、整然としていた。

人々はどこでも静かに微笑んでいて、「平和」という言葉を絵に描いたような国だった。私が脳の中に勝手に描いていたイスラム教の姿に全く当てはまらない。

午後、会議の日程を終え、また外に出る。外は太陽が出ているものの雲が厚く、じわりと汗が滲むような空気だった。

「ねぇ、アミラさん、ブルカ、どれくらい持ってるんですか?」

「そうですね、200枚くらいでしょうか。」

「200枚も?」

アミラはふふっと笑い、はにかんだ笑顔で答えた。

「ついつい、買ってしまうんです。たぶん、他の女性も私みたいにたくさん持ってると思います。ずっと着続ける物だし。洋服はブルカ程無いですけどね。」

どこの国も女性は変わらない。もし私の生活にブルカが必需品だったら、私も頻繁に、目につく色全てを購入してしまうだろうなと思った。

ふと目をあげると、私たちは港にいた。灰色がかったモスグリーン色の水が港のコンクリートにぱしゃぱしゃと打ち寄せていた。たくさんのボートが行きかっている。

「あそこ、あの島。」

アミラが言う。

「あの島には、テングザルがたくさんいるんです。鼻がね、すごくすごーく大きいんですよ。そしてしっぽが長いんです。時間があれば連れて行きたいんですけどね。」

遠くに島が見える。鼻がとてつもなく大きくて、しっぽが長い猿。時間があるなら、確かに見てみたい。


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夕方、上司と日本人数人とレストランに出かけた。

「ブルネイは、レストランでビールってわけにいかないから、甘いものでも食べようか。」という提案に、何人かが大きなチョコレートパフェを頼んだ。チョコレートケーキ、バニラアイス、ミントアイスの上に大量のクリームが盛られたパフェがテーブルに並べられる。てっぺんにチェリーが乗っかっていた。

ブルネイはイスラム教のため、アルコールの販売が一切禁止されている。公共の場でアルコールを飲むことは厳に禁止されているとのことだった。現地在住の日本の方が説明してくれる。

「ムスリムじゃないなら、申請すれば、国に入る時少しお酒の持ち込みが可能なんです。日本人同士だと、どうしても飲みたくなりますよね。だけど、公の場で飲むのは禁止なので、どうしても、という場合、公の場ではビールをティーポットに入れてお茶用のコップで飲む、という人がいましたよ笑」

ティーポットから出てくるビールが、果たしておいしく感じられるのだろうか…と思いつつも、そうやって隠れて実はお酒を飲んでいる、という背徳感が仲間内で特別感を盛り上げ、余計ビールをおいしく感じさせたりすることはあるかもしれない、と思った。



翌日、空港に行く道すがらオマル・アリ・サイフディン・モスクというモスクに立ち寄った。こちらも空港に行くまでのちょっとした立ち寄りなので、遠くからの観覧だ。

大きな金色の栗型の屋根が真っ白な四角い建物の上に載っているのが見える。その周りを短めのミナレットが数本囲んでいる。それぞれのミナレットの上にも、金色の栗のような装飾が載っていた。

千夜一夜物語を思い出した。

アラジンのジャスミンが中から出てきそうな雰囲気だった。

シンプルで、荘厳だった。

光を放つその外観は、本当に美しかった。



飛行機に乗ろうとしたところで、上司に現地の新聞を手渡された。よく見ると、参加した会議が新聞に取り上げられていて、会議場に座る自分が映り込んでいた。

「いい思い出だね。」と上司が笑う。

「そうですね、いい思い出になります。来れてよかったです、ブルネイ。」

空が晴れ渡っていた。飛行機がゆっくりと動き出す。


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この話は、2013年の記憶を書き起こしたものです。記憶が既に曖昧なのですが、思い出せることを元に書き出しています。

今からたった7年前の事なのに、随分と昔に感じます。

ブルネイの人々は、本当に平和を愛する美しい人々でした。

このオフィスに勤めていた頃、文化や宗教を集団カテゴリー毎に一般化し、穿った見方をすることは、時に偏見を生み、自分の目を濁らせてしまう原因となることをを学んだ気がします。

ここで言う一般化とは、例えば、「日本人は、皆出っ歯で眼鏡をかけていて、目が細くて、鯨を食べる。」というようなことです。ステレオタイプ、レッテルですね。他人にそんなレッテルを張り付けられたら迷惑です。

イスラム教については、この後も他の土地で共生する機会を与えてもらうことになり、一般的にイスラム教がどのように焦点を当てられているのか注意して見るようになったのですが、米国のメディアでは、イスラム教の思想自体が敵であるようなイメージに一般化されている傾向にあることに、心から違和感を覚えます。

「海外はこうで、日本人はこうだ、キリスト教はこうだ、イスラム教はこうだ、中国人はこうだ、フランス人はこうだ。」

全てナンセンスです。

良く日本で聞くのは「海外は~、外国人は~」ですが、そもそもそれって「どこ」で「誰」なんでしょう?海外、外国人という言葉で全て括れる程、それぞれの国には個性が無いのでしょうか。他の国全てが同じような傾向にあると言うのでしょうか。

日本は島国で、対「他の国」という構図になるのは分かりますが、日本も世界中にある国々の中の1つです。これだけ世界のそれぞれの国が近くなった今、もう他の国全てを「海外」で括る時代は過ぎたと思います。

そして、文化毎のカテゴリーに留まらず、人間のカテゴリー化にも気を付けたいと感じています。それぞれの文化に住む人間も、一人一人が違う。

人は教育により形作られ、もちろん同じ教育を受けた人間が同じような思想を持つ傾向はありますが、それでも一人一人は違う。

日本人同士だって、自分と同じような考えの人を探すことは難しいはずです。

どの国に住む人も、どの文化に住む人も、どの宗教で生きる人も、皆それぞれ、個性があって、違います。

どこかの国の人々全員を敵視すること、どこかの宗教全体を敵視すること、それは、実は誰かのプロパガンダに踊らされているだけだったりします。


ちょっと熱くなりすぎてしまいました…。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

写真:Image by Adam Hill from Pixabay







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