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ADHDの僕がミニマルに暮らすのは、自由に生きる為の手段

僕は、言葉に自分なりの定義を持っている人は、精神的に自立していると思っている。
人からの心ない中傷に強くなり、他人が都合良くコントロールしようとする言葉を、見抜く力を持っているから。

僕はたくさんこの言葉を使っているけど、そもそも「ミニマリスト」ってなんだろう。

最小限の物しか持たない人の事?
ミニマルアートや建築から派生した、生き方のこと?
メディアが拡散した、全身黒い服をきて、家具が何もない家で暮らし、床でご飯を食べてるイメージかもしれない。

「ミニマリストになろう」と、思ってミニマリストになるものなのか。
暮らしを最小限にしたら、ミニマリストと呼ばれるのか。

僕も分からなかったから、本を読んで、YouTubeを見て、ブログを読んで、人に訪ねて調べていた。
調べながら手探りで自分の持ち物を減らしていく内に、不安になってきた。

「物は減ってきて、ミニマリストっぽくなってきたんだけど…これでミニマリスト名乗っていいの?基準がよくわからん。派生したシンプリストとか、ゆるミニマリストとか言われて…さらにわからん(´・ω・)」


そんな気持ち。

名乗るかどうかは問題ではなかったのだけど、自分で自分をどう認めて良いのか、それが分からなかった。

僕は行動しないと学習しない、おバカな人間なんだ。

ひとまずやれるだけやろう。と心に決めて、減らせるものはとことん減らしにかかった。

スチールラックを手放す
カラーボックスを手放す
そこに入っていた収納と中身(主に本や工具、アクセサリー)を手放す
勉強机と椅子を手放す
テレビを手放す
掃除機を手放す
ローテーブルと小さなスツールを手放す
服は年間20着を着回す

部屋に残ったのは洗濯機、冷蔵庫、小さな食器棚、備え付けの収納と季節物をしまいたくて残したチェスト、そして、マットレスのみのベッド。

減らすと決めてからは早かったので、ここまで一気に減らした。およそ1年の出来事。

(*それまで細々した物を減らす方がよっぽど時間がかかった!一番物が多かった時から考えれば、4年以上かけている)


ともあれ、メディアでよく見てイメージしていた「床でご飯を食べる全身黒い服を着たミニマリスト」が完成した。


そこまでやって、僕が思ったことを正直に書くね。


「…なんか違うんよ!!!」


物が無いから、そりゃぁ掃除も洗濯も楽だし、スッキリしてるから暮らしやすいよ?

だけど、なんか…

なんか違う!!!

この暮らし、全然幸せじゃない!!!

床でご飯を食べていて、なんだか意味もなく悲しい気持ちになった。

でも、せっかく頑張って物を減らしたんだし、増やすのも…どうしようか。


そんなモヤモヤした気持ちで生活をしていたある日、一冊の本を読んでいて、この言葉に出会った。


「あなたの見つけるミニマリズムの形は、他の誰のものとも似ていないだろう。」

引用:ジョシュア・ベッカー著「より少ない生き方 ものを手放して豊かになる」

著者は言う。

「あなたなりのミニマリズムでいい」

と。

「それだ!!!」


どれだけ調べても、納得のいく答えが出なかった筈だ。と気付いた。

外に
外に
答えを探していたから
ずっと見付からなかった。


「僕は、僕という人間を置き去りにして、メディアイメージのミニマリストになろうとしていた」


逆だった。

答えは自分の中にある。

僕がしたい事や、必要とするもの、考え方一つ取ったって、他の誰とも同じじゃない。


「食事は単なる栄養補給」と言う人がいる。

僕にとって食事は「楽しい時間」だ。

「ベッドは要らない、床でいい」と言う人もいる。

僕にとって睡眠は「無くしたら死ぬぞ!」と言う大切なものだ(適応障害の経験があるからね)

「テレビ(映像作品の観れる媒体)は無いほうが良い」と言う人もいる

「アニメと映画が観れないなら人生の3割は捨ててる」と思う僕がいる

「思い出の品に縛られるな」と言う人もいた。

僕は「思い出を大切に出来ないなら僕は僕じゃない」と思ってる。

どっちも正しくて、どっちも間違ってる。


でも、僕にとっての正解は、確かにそこに存在してるんだ。


思いきった行動が早いのは、ADHDの長所です。


なにもない部屋に、釣り道具を収納できるように収納付きテーブルを買った。

カフェみたいな寛げる椅子で座ってご飯が食べたい。でも、ソファだと動きたくなくなる!と思い、ソファベンチを買った。

備え付けのシーリングライトは、白い光がとても嫌だったから、スタンドライトを買って、それで生活をしている。

映画やアニメを思い切り楽しむ為に、シーリングプロジェクターを買った。

自然を少しでも感じたくて、観葉植物も置いた。

本当に床しかなかった僕のイメージしていた「究極系ミニマリスト部屋」からは大きく遠ざかってしまった。

物は、確かに増えた。

でも、気持ちは晴れた。

僕は床でご飯を食べたくなかったし、コーヒーを座って飲みたかった。
テレビは観ないけど、映画やアニメを大画面で観たかった。
趣味の釣り道具はきれいに飾りたかったし、優しい灯りの下で生活をしたかった。

一度、全部手放したから気付けたんだと、今振り返ってみて思う。

そして、僕は持っているもの全てに心から愛着と意味を感じてる。

無駄じゃなかったけど、遠回りしたなぁ。でもいいんだ。

僕は今、胸を張って答えられる。

ミニマリストってなんだろう?

僕は、自分はこれだけは捨てられない、これだけは残すべき。という物や事を知っている人だと思う。

ミニマリストって、これがあれば幸せ。だから他の物には執着しないよ。という、

「自分の幸せの最小限を知っている人」だと思う。

これが

僕にとっての最小限(ミニマリズム)だ


僕は、言葉に自分なりの定義を持っている人は、精神的に自立していると思っている。
人からの心ない中傷に強くなり、他人が都合良くコントロールしようとする言葉を、見抜く力を持っているから。

メディアイメージのミニマリストじゃなくて良いんだよ。
「こうしなくちゃいけない」や、「それは無駄だ!」と言う脅しに屈しなくて良い。
だって、あなたの心はそれを必要としてるでしょう?
それはあなたにとって、必要な最小限に含まれるんだから、それを否定する権利なんて誰にも無いよ。

「あなたなりのミニマルな暮らし」を送ることで、自由で、幸せな生き方は手に入る。

マギィ

私信:シーリングプロジェクターは、本気で買って良かった物ベスト10に入ります。
映像作品大好きなそこのあなた!そう!あなたです!僕は心からお勧め致します。(…でも、この言葉にも流されないでくださいね?🤭✨)

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