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IT系の走りの会社で校正の仕事をし、突然辞める

まだ高校生の頃。卒業後夜間の専門学校に通うことになったため、昼間のアルバイトを探すことにしました。

高三の三学期はほとんど登校日もなく、卒業単位はとっくに取れていたのでほぼ毎日、フルで働くことができます。2学期の終わりに条件が高卒以上だった校正の仕事に応募しました。ウェイトレスとかお店のアルバイトより、時給が少し良かったのです。卒業予定ということを話すと面接に呼んでくれました。

アルバイトなのに入社(?)試験があった

履歴書持参で行ってみると若い男性社員が面接官でした。軽い面談のあと、おもむろに立ち上がったかと思うと「試験があります」と、唐突に筆記試験が始まりました。

アルバイトなのに試験!と内心焦りましたが、ストップウォッチを持った彼の傍で、問題に取り組みました。予期せぬこととはいえ、現役高校生は試験に強い。

試験といっても常識問題や漢字のテスト、簡単な計算問題など(現役高校生なら)簡単な内容で、間違えた気はあまりしない。すぐにその場で採点して「優秀です!」と言ってもらえました(たぶん皆に言ってる)。

こうしてめでたく仕事を得ることができたんですが、これができないようだと校正の仕事はたぶんちょっと難しいということなんでしょう。

高校卒業までは昼はここ、夜は近所のコンビニで働き、専門学校へ入学後はコンビニを辞め、ここと学校の二重生活に移行しました。

普通の会社で働く

アルバイトとはいえ、9時から5時まで、フルタイムの仕事は初めて。そして今の今まで働いた中でも、いわゆる「普通」の会社に勤めたのはこれが唯一の経験でした。

男性社員が営業、女性社員は上下ブルーの制服を着て社内で仕事するという厳格な役割分担に則ったスタイル。

ただし、その部署では男性社員は部長と若手で2〜3人ほどしかいなくて、女性社員の数が多くメイン業務を担ってました。制服は着せられていましたが、皆さん専門職。すごく頼もしく見えました。

私はアルバイトなので普通に私服。そのあと学校に行くのでかなりラフな格好で行っていましたが、何か言われたことはなかったです。

情報をデータにする仕事

当時の顧客情報は今のように最初からデジタルではなく、ご本人から送られてきた応募葉書や顧客カードなど全部手書き。その「情報」を打ち込んで「データ」にするのがこの部署の仕事でした。

顧客の住所、氏名、年齢などのほか、商品の感想などもデータにします。いろいろな企業のいろいろな内容の情報を扱っていて、出来上がったデータをどう活用していたのかまでは知る由もないですが、今でいうIT企業の走りのような会社でした。アナログからデジタルにうつる過渡期。

社員の女性数人で打ち込んだゲラを出力し、私たち校正担当が元の原稿と照らし合わせます。

住所や名前など読みにくくて不明なところは地名のリストや人名辞典で調べて赤を入れたり、足りない情報を補充したり。郵便番号など記載がない場合は住所から引っ張ってきます。

難しい漢字はJISコードも調べたような…(この辺はうろ覚え)。棚には調べ物のためのたくさんのファイルや本が並んでいました。

そうして書き入れた校正紙を戻して直してもらい、それを何度か繰り返して見落としや勘違いなどないかどうか確認し、データを完璧なものにしていきます。

左手に原稿、右手にゲラを置いて、一文字ずつペンで追いながらチェック。作業中は静まり返った部屋にペンを机に打ちつける独特のリズミカルな音が響きます。

集中力を必要とするため、50分作業して10分休憩。50分働くと時計が鳴ってお茶を飲んだりおしゃべりしたり。またベルが鳴って作業に入り、それの繰り返し。この仕事の良いところは5時のベルできっかり仕事が終わること。その後の予定がある者にとっては最適な職場でした。

社員と主婦のパートタイマー、それから私のようなアルバイトで構成されており、オペレーターは社員の役目でした。パートとアルバイトは私服で制服は社員の証。

あの頃は主婦と学生で時給が違ったりしたのですが、確か珍しく私もパートの人と時給が同じだったような。何か他の条件が違っていたのか呼び方が適当だったのかはちょっと謎。

今ではほとんどお客様自身による入力で完結してしまうでしょうから、もう存在しないかもしれない部署ですよね、きっと。(少なくとも調べ物や入力などの手間は当時とは比べ物にならないくらい削減されてるはず)
そう思うとちょっと切ない。

2年の途中で辞めたものの、貴重な経験に

社員の人たちには仲良くしていただいて、学校がない日には一緒に食事をしたり、看板描きのアルバイトを回してもらったりしたのですが、卒業を待たずに辞めることになりました。

原因は9時ー5時で働いてその足で学校に行って、その後夜中に課題をこなして、また朝に出勤、という生活がさすがにキツくて、後半遅刻しがちになってしまったこと。遅刻を繰り返すなんて若気の至りというか、今思うと本当に職場の方々には申し訳なかったです。

最終的に、仕事と学校とどっちが大事か選びなさい、と叱ってくれたリーダー格の社員の方には(もちろん学校には決まってるんですが)あとでひそかに感謝。つらくてたまらないのに辞めるという一歩が、不器用でうまく踏み出せなかったのかもしれません。

校正は目を酷使するので、そのあとの授業はつらいことも多々ありました。課題は夜中、あまり明るくない場所で取り組むせいもあって、朝見たらペールトーン過ぎてびっくりすることも。大変だったのはデッサンの授業で、目が霞んでいるので対象物がよく見えない。

他の授業に比べて評価もイマイチだし、自分で見てもあまりうまくないので、これはいかんと補習の意味で土曜日のゼミを取ったら思いの外ちゃんと描けたので、よく見えていなかったんだ…とわかりました。時間がきっかりなのは良いけど、校正の仕事はデザインの夜学の学生にはちょっとヘビー。

こんなふうに中途半端な感じで辞めてしまった仕事ですが、一般企業に(正社員ではないけど)勤めた貴重な経験でした。

そしてなぜかそのあともたまに遊びに行ったりしていたのを考えると、こちらの事情も理解してくれていたのか、なんとも寛容な会社でした。検索してみると、合併など繰り返したものの今でも健在。何十年も経ってさすがに知っている人はもう誰も働いていないと思うけど、なんだか懐かしい。若くて頑固で愚かだった日々。

でもこの仕事をしたおかげで、いろんな文字を読めるようになりましたし、日本全国の難しい地名や見たこともないような人名も覚えたり(この地方はこの名前多いね!とかも)、ここで働いていた時期、私の漢字知識はマックスだった気がします。(その後ドイツ滞在中に、すっかり頭から抜け落ちてしまいましたが)

癖のある文字もだいぶ読めるようになっていたので、著者の達筆すぎる原稿をもらった時など、その後の仕事にも意外に役立ちました。

忘れてならないのがもうひとつ、きちんと辞めるということもここでの反省から学んだのでした(これ大事)。

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