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結局、本に囲まれた生活

ぶらっと散歩したいな~と思うとき、JAでキャベツを買ったまま、電車に乗って北鎌倉や鎌倉にふらっと普段着で行くこともある。あまりの無防備さにちょっと気恥しくも、元気に。

もちろん、作曲してからね。作曲は情報が入る前の午前中が一番しっくりくる。本が出来る段階の「校正」にあたる時間はいつでもいいのだけれど。

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北鎌倉の東慶寺に寄ってから(あの麻布の線香が取り扱われなくなったと、何気にショックです。気軽に買えていたのに)のんびり、澁澤さんのお墓にも寄ったりしながら旧和辻哲郎邸のある映画館の方へ。

もちろんコロナの影響で映画はやっていませんでしたが、人も少なくのんびり散歩。

50過ぎた頃から、これからは本棚の本を再読だと、ときたま本棚をガサゴソガサゴソ。これがものすごく楽しい。老後の楽しみってこういうのあるな。近頃は断捨離だなんだとホテルのような部屋が流行ではあるが、私の部屋は程遠い。私の恩師の一人は「本はいくらあっても邪魔ではないから」とスペインの革張りの百科事典を送って来たりスペイン語のたくさんの本を送っていただいたのだけれど、心の中で、いや、置く場所が狭くなっていく・・・と。

澁澤龍彦氏の家に行ったりすると、本棚に囲まれたあの独特な空気感に若いころは憧れて、いつも、ジロジロしてしまうのだった。トイレもいつも奥様の一輪挿しが綺麗で、たまたま編集者の方がいるときにご飯の支度をお手伝いしにキッチンへいくと、そこは、ご夫妻のように(私は背が高いけれどご夫妻はそうでもなく、奥様はとってもかわいい感じなの、でもいつも元気!うらやましいなと)キッチンテーブルとそのキッチンがこじんまりしている(ように見え)好きだったのですよ。奥の和室は・・・いまはね。もうお伺いしなくなったな・・。手紙のご挨拶くらいで。今現在いいなと思うのは、携帯の電波が届かないこと(笑)電磁波に囲まれている私は心からそう思うのですが、今本が出るときに来る若い編集関係の人は、「みんなカチカチやるために下まで行くのよ」と笑っておっしゃっていました(笑)。

ここだけの話、書斎の奥の、しーんとした図書置き場が好きだった。惜しげもなく「どの本がいい?」とおっしゃってくれることが、特に一番初めは感激したものです。

いつかやるぞと決めていて、数年働いた後の退職金で、一枚板の本棚を二本と文庫棚をひとつ、大工さんに作ってもらったのだった。棚には、本は増殖するから、大きい棚には手前にあまりおけないような幅の方がいいなと思いながらも、注文した時は、ちょっと小物がおけるくらいにと作ってもらって。

この本棚に入らないものは、潔く捨てる!と決めて。

油断した。

今ではその部分に文庫がぎっしり。もちろん、「とりあえず、本の整理のために、簡易な本棚を買うか」と、その大工さんにオーダーした本棚とは全く違う本棚が増え・・・一部は崩れたまま。。。

たまに、昔の文庫だとあまりに文字が小さいために買い替えることがある。昔は本当に文字が小さかった。文学好きだった友達と読んでいたあのころは、読むべき本というのは新潮文庫と岩波文庫くらいで、あとは単行本ばかり。こんなに文庫というのが増える前は「文庫が多くなるのはどうなのか」という議論が、真面目にあったのだ。場所的に言えば、文庫の方が助かる。しかし、澁澤さんもおっしゃっていたけれど、本の装丁の美しさも読書の楽しみの一つなのです。昔の本は丁寧で、活版印刷も多かった。思えば小学校で学級新聞つくるときにはガリ版だった世代ですものね・・(まだ50前半ですが)懐かしい。

桃源社や哲学書房は既にないですし、学生時代、神保町の古本屋をよく巡り、自分の好きな古本屋はおのずと絞られていくのだけれど、そこの上の方にある高い値段のついた本が憧れだったり。同人誌も色々なのに入っていたけれど、渋谷のリブロだったかな?の一部のところに同人誌の場所があって、気に入った同人誌のところに電話して参加させてもらったり,校正は大概池袋か御茶ノ水(印刷がそこだった)で、ミロンガだのなんだの、大体文学好きな人が集まるところで合評会をしたり。今では皆さん詩人になったり、関西の方でその手のスクールで教えていたり、銀座でアンティーク扱うお店で働いたり。何しているんだろう。みんな。

人生は何かを学ぶには短く、生きるには長いといった人がいた。(だれだっけ?)その通りだなと思う。

なんとなく更年期という時期で、本当に小さなホルモンの影響が大きかったけれど、懐かしく思えるその優しい感情が自分を大人にさせてくれる。

さてと、本を読もうっと!

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