やりたいこと「だけ」をすれば地球環境は改善される

本当はみんなが「やりたいことを」「おもむくままに」楽しんでやっていれば、環境破壊も、貧しさもマシになるのだと思う。

みんなが「いつかの日のために」「やりたくないことを」我慢してやっていることが、実は一部の人の富につながり、大勢の人は一向に幸せを感じることができず、環境を知らず知らずのうちにポイント・オブ・ノーリターン(人類が自力で地球環境を元に戻せなくなる限界点)へ刻一刻と近づいている。

今この瞬間から我慢せずにやりたいことだけをやるとなぜこの星はマシになるのか?
私は人が生まれる時に「神の配慮」とともに生まれてくると言うことを信じていて、生まれる瞬間に「やりたいこと」「本当は得意なこと」を与えられてこの世に生まれてくる。

そして、だんだん自我が生まれてくると、自分のやりたいことや得意なことを誰よりもやりたい、と言う欲求が自然と生まれてくる。

しかし、現代の世の中には「資本主義の呪文」があり、ある程度の年齢になると、東京などの都市部ではヘタをすると幼稚園くらいから親や周りの社会がこの「呪文」を子供に唱え始める。

この呪文にかかったら最後

いい学校に入りましょう
いい会社に勤めましょう
安定した収入をたくさん得ましょう
そして素晴らしい老後を送りましょう

という

叶いもしない未来のビジョンを追いかける悪魔のループに陥っていく

この悪魔のループは恐ろしい。
中には未来のビジョンを叶える人もいる。
しかしそれは、神の配慮によって与えられた、本当にやりたいこと、自分の得意なことではないことがほとんどだ。

そういう人が未来のビジョンを叶えると、何に走るか?
成功の証として消費に走るのだ。
旅行に行く、みんなよりも良い服を着る。みんなよりも良い車に乗る。大きな家を買う。子供に習い事をさせて自己満足に行きたい。など全てに消費がつきまとう。

そして消費の奴隷と化した人たちは無限に購買意欲を掻き立て続けられ、
飛行機に乗りまくる
電化製品の鬼となって電力を使いまくる
2、3回しか着ないブランド服を買いまくる
という環境破壊のモンスターになっていく。

では、その人たちが子供の頃から
「好きなことを好きなだけやりない」
と言われればどんな世界ができるのか

学校に行かない子供
ゲームをやりまくる子供
サッカーしかしない子供
死ぬほど本を読む子供
絵を描いてばっかりの子
人を笑わせることに命をかける子供

などが出てくるだろう。
そうすると、「神の配慮」が発動し、
職業などと呼ばなくても「やりたいこと」が世の中への貢献になっていくことが見えてくるだろう。

そうすれば、最低限のお金で、好き勝手に好きなことをやっても誰も困らない世界がやってくる。
海外のビーチに旅行に行ってストレス発散、インスタ映えの写真をアップして自己重要感を満たす必要なんてなくなる。

ゲームをやりまくる子は飛行機を操縦したり、電車を運転したりするだろうし、笑わせるのが好きな子はコメディアンに、、、その流れで芸術家やサイエンティスト、スポーツ選手や起業家が出てくる。

それぞれが得意なことだけをして生きていけば、
お金を稼ぐのが得意な人はお金を稼いでみんなに配ればいいし、(どうせたくさん持っていても何の得にもならない世界になるのだから)パンを作るのが得意な人はパンを作ってみんなに配る。

そんな世界が明日からでもくればいいが、今はまるで複雑に絡まった糸のように
しがらみ
プライド
同調圧力
などの問題が山積してしまっているところまできている。でも、そろそろこの星も限界に来ているようで、「待ったなし」であることも事実である。

まわりから「わがままだ」「周りを顧みない」「生産性のないお荷物」扱いされてもやり切れるか。
少しの勇気を持ってみんながこの資本主義の呪文から目を覚ましていくためのアクションが必要だ。

神の配慮と言ったが、スピリチュアルなものでなく、自然科学として、人と言う集団には必ずバランスが働くはずだ、と直感的に信じている。

人は思い思いに好きに生きて良い。そうすれば学校に行かなくても、会社に行かなくてもみんなが食べて、遊んで、学んで生きていくことができる。

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