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NUMBER GIRLという残像

NUMBER GIRLというバンドのライブを観た。

思い返せば、高校生のときBase Ball Bearを頻繁に聴いていて、明らかに影響を受けていると雑誌に載っていたインタビューを見たのがきっかけで、Number girlを聞くようになった。歳を重ねるごとに、自分の中でこのバンドがどんどんと重みを増し、いつの日か、目の前で彼らが演奏しているところを見てみたいと思っていた。

問題は、NUMBER GIRLが当時すでに解散していたということである。できることといえば、ライブ盤や当時の映像を反芻しながら彼らの残像をなぞっていくことくらい。なぞる行為は日々頭の中で行われ、アップデートは一向にされることなく、いつまでも20代の彼らの残像が頭の中にこびりついていた。

そんな残像をなぞる日々の果てに、今年、いよいよ彼らが再結成し、この目でNUMBER GIRLという存在を確認する機会を得た。降りしきる雨の中で、登場する彼らに対して、観てはいけないものをみてしまっているのではないかという一種の恐怖感すら覚えた。おそらく自分の中の受容量が完全にキャパオーバーしていた。ライブが開始してからの記憶は正直言ってほとんどない。時間にして一時間もない中で、人の波にのまれながら、演奏する彼らをただただ見つめ、無意識に声を出し、腕を上げていたのをぼんやり覚えているくらいである。

ただ一つだけ鮮明に覚えているのは、彼らのライブの演奏と、もみくちゃになりながらともに演奏を観ている人々のタイム感がときよりズレていたことである。ともにライブを観ている人たちが発する、歓声に近い歌声やカウント、それに応じる体の揺れは、確実にライブ盤やライブ映像のそれだった。そこにいる人々の頭の中に、自分と同じように残像が鮮明に残っていて、自分と同じようにその存在を確かめにきているのだと感じた。残像をなぞり続けていたひとが自分の他にもこんなにたくさんいたのだと思うと、不思議な気分になったし、なんだか嬉しかったりもした。

そんな感覚も合間って、ライブ終了後はポカンと穴の空いた気分になった。頭の中で、長年追い続けていたイメージが、バンッと形になって現れた。ふわふわと言葉にならないが、妙にスッキリした気分になる。残像の中にいる20代の彼らは最高に格好がよろしいのだが、今回、観た彼らの実像は、残像から推測するものよりさらに格好がよろしかったのだと思う。そんなヒーローのような存在を、自分の中で持てて幸せだと、帰りの新幹線で、改めてセットリスト順に曲を聴きながら感じた。

土砂降りの中、ライブが始まり、透明少女のイントロとともに雨が止む。そんな偶然とは思えない出来すぎた演出に、やっぱりあれは夢だったんじゃないかなと思いながら、ヒーローの残像をなぞる日々がまた続いていくのである。

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