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冥海バレー【掌編小説】

“ワーーーッ!ワーーーッ!!”

“ブーー!ブーー!ブーー!!”

『男子バレーボール準決勝第2試合、大変なことになってまいりました! 精巧なチームプレーを練り上げてきたフランス、強豪ブラジル相手に引けを取らず、第5セットのデュースまでもつれ込みましたぁ!!』

観客の大歓声など何のその、ボールを打ち付ける音は遠く隔たれた実況席まで高らかに響いてきていた。

鳥かと見紛うほどに高い打点。弦を限界まで引き絞って放たれた矢のような強烈なスパイクが撃ち込まれた。3枚ブロックを上を抜け、ボールが相手コートを打ち付けようとした刹那、たちまち差し込まれた拳が得点を拒んだ!

『フランスの守護神(リベロ)、エティエンヌ選手、またまた神レシーブだあぁ!! 拾われたブラジルのロイエ選手、次はどうする??』

「決めさせてたまるかぁ!」

「きゃあぁぁぁ、またアイツなの!? ぶっ潰してやる!! もう1本、私に持ってきて!!!」

エティエンヌがレシーブしたボールは高く上がり、ブラジルコートに直接返る。チャンスボールだ。レシーブされたボールはセッターの手にしっかり収まり、トスは再びエース・ロイエに上げられた。

「こんちっくしょーーーっ!!!」

ブラジルのエースストライカー・ロイエの咆哮が会場中に響き渡る。褐色の肌に盛り上がった肩、臍がネットの上端に届かんばかりの凄まじい跳躍。猛々しい姿であるものの、仕草や口調には女性らしさが垣間見える。彼のパフォーマンスはジャンヌ・ダルクを彷彿とさせ、会場を大いに沸かせていた。

“ロイエ!!ロイエ!!ロイエ!!ロイエ!!”

しかしフランス陣営も全く引けを取らない。

“エティエンヌ!エティエンヌ!エティエンヌ!”

声援の向けられた先で、小柄で痩せ型の守護神が勇み立っていた。整った目鼻立ちを取り囲むセミロングの金髪が揺れる。大男たちの中心で1人、女性の姿形をした選手が蒼き炎を燃やしていた。跳び、滑り込み、回転し、見事なレシーブでブラジルの攻撃をことごとく打ち払っていく。

世界中がこの一戦を見届けていた。男子バレーボールの世界舞台で、これまで辛酸を舐めながら戦ってきた2人の女性選手の勇姿を。
そして──彼等を気にかけていたのは人間だけではなかった。

「のぉ、ニケよ。やけに地上が盛り上がってるのぉ」

大理石で作られた小さな泉のへりで、老人が真白く伸びた髭を撫でながら言った。泉の水面は男子バレーボール準決勝の中継を映し出していた。どうやら電波を拝借しているらしい。

「ええ、ゼウスさま。本大会では男子バレーボールの競技に女性選手が2名参加しており、この試合はなんと両者がぶつかり合う注目のカードだそうです」

ニケと呼ばれた隻翼の女神が泉を指さした。

「ブラジルのロイエ選手。生物学的性は男性、恵まれた体格のためにスカウトされて本国のリーグで活躍しているものの、実は心はすっかり乙女。ロッカールームでは苦労が絶えないそうです。まだまだ選手としてピークに達していないとの評価ですが、恋をしたいという理由で本大会後の引退を表明しています」

ゼウスは泉越しにロイエを見下ろして微笑んだ。

「良いのぉ、良いのぉ。恋は生命の源じゃからなぁ。して、コチラは女子(おなご)のように見えるのじゃが……」

ゼウスが指さした先にはエティエンヌの姿があった。

「フランスのエティエンヌ選手。生物学的には女性、ただし思春期を迎えた頃から自身の性別に疑問を抱くようになり、精神科の診断を根拠に戸籍の性を男性に変更しています。それまでは女子選手としてリーグで活躍していましたが、男子リーグに移籍したそうです」

「ほぉ、それでよく世界大会にまで出場できたのぉ?」

「スポーツマンとしてホルモン治療を受けていません。当人はたゆまぬ努力と強い意志で結果を出し続け、また所属していた企業の理解が篤いことも幸いでした。交渉に交渉を重ねて本大会出場にまで漕ぎつけたもようです」

ニケは選手らを一瞥し誇らしげな笑みを浮かべた。

「ふぅむ……選手たちも殊勝じゃが、チームメイトも大会運営もグッジョブじゃな。彼女らを受け入れた観衆もアッパレじゃ」

「観衆はスポーツを純粋に楽しんでいますし、肯定的だからこそ観戦に来ているのです。しかし世論はもう少し込み入っていると……もちろん、女子競技に男性が入ることを引き合いに出して批判的な意見も根強くあります」

「当然そうなってくるじゃろうな……」

ゼウスは目を閉じ過去を振り返った。過去と言っても昨日一昨日のことではなく、4000年前に兄弟たちと交わした一幕の追憶だった。

「ハデスよ、ポセイドンよ、私はこの天空から地上に向けて種を蒔こうと考えておる」

「種……とは?」

「神話の種じゃ。我々神々の諸相や諸行を物語にして地上に蒔く。それが人間共の心に宿る。歌に乗せて語り継ぐのも、文字にしたためて残すのも彼らの自由だ」

「良い考えだ、弟よ。我々のように冥界に隠れ住む者も忘れ去られずに済むからな」

ハデスは慎ましく賛同の意を表した。

「しかしな、神々の世界はいささか複雑すぎると思うて……分かりやすく語り継ぎやすい神話を選んでみたところ、ほとんどが男神女神の区別のはっきりした物語になってしまったのだ。それらは全ての種のうちの1%にも満たないのだが……」

「そいつはもったいねぇ。男女なんて仮の区分だ。神々の世界には色んな性があっておもしれぇのに」

荒っぽく不満を漏らすのはポセイドンだ。

「文明を始めたばかりの人間たちがかのような無秩序を受容できるとは思えぬ。そこでだ、残りの種を冥界と海とで一旦預かってはくれないか? 性を宿さぬ精霊の詩、二重三重の性を織る神々の詩、良い話から悪い話まであるが、今この時に全てを地上には蒔けないのだ」

「……ゼウス、お前の頼みならば……」

「チッ、場所を取るけどしょうがねぇなぁ」

「ニケ、すまぬがハデスとポセイドンをここに呼び寄せてくれ。今こそ預けた種を解き放つときかもしれぬ」

「よろしいのですか? 人間たちはこれまで知らなかった混沌と無秩序に飲み込まれます。スポーツのルールどころか、法令や共同体意志にまで混乱がおよぶことでしょう」

「聡明な人間なら地上の秩序などまやかしだと、とうに気付いておろう。それにな……」

「それに?」

「オリンピックは本来ワシを楽しませるための祭典……そろそろ心の荷を下ろしたいのじゃ」

こうしてこれまで人々に知られることのなかった神話の種が地上へとばら撒かれた。

打ち疲れて膝に手をついたロイエ、這いずり回ってコートに倒れたエティエンヌ、彼らの胸にも冥海の種が宿り、めいめいの魂を鼓舞した。
立ち上がった2人はネット越しに睨み合う。

「金メダル獲ったら、ぜったいオシャレして素敵な恋をするんだから!」

「こんな小さい体でも金メダル獲れるってこと、俺が見せてやるよ!」

『さあ互いに一歩も譲らぬ展開! 異色の……いや、勇気ある英雄の率いる両チーム、果たして決勝戦に駒を進めるのはどっちだ!? 勝利の女神はすでに両者に微笑んでいるーーー!!!』

〈了〉


*当作品はフィクションであり実在の人物や団体とは一切関係ありません

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#オリンピック  #LGBT #掌編小説

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