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逃げろ 【愚痴】

心中あまり穏やかでない日に「逃げる」について考えていた。逃げると言えば、有名ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の放映が……なんと2016年!? もう6年も経つんですね。そりゃあガッキーも結婚しますわ。

とか言いながらこのドラマは未履修で(ガッキーごめんなさい)、あらすじは知っているものの「逃げる」のどこがどう役に立つかまでは知らないし、風の噂にタイトルと内容とはあまりリンクしないとも聞いた。履修済みの方、よければコメント欄で教えてください。

「人生は選択の連続だ」という言葉は、よほど妙ちきりんな人生観を持ち出さない限りは真実だと思う。選択肢が少ない場合は多々あるし、選択肢がないと感じてしまう時もあるだろうが、選択肢の具体と抽象を操作すれば選択肢がひとつもないなんてことは滅多にない。
そして、その選択肢のひとつに「逃げる」が用意されている。

「逃げる」とは一体どういう行為だろうか? 物理的には「危険からある程度の速さをもって離れる」でよいだろうか。ただ割と奥深い単語のようにも感じている。

「逃げるのか?」

という言葉の駆け引き。発信者は「逃げる」を恥として挑発するが、受信者(逃げるの主体)は、逃げるを是として遂行する。そもそも「逃げる」とすら思ってもないかもしれない(少年漫画でよくあるシーン)

「逃げちゃダメだ」

有名アニメの台詞。幼少期の僕は違和感なく受け入れたが、歳を重ねれば重ねるほど、疑問が募っていく言葉だ。「逃げていい」「逃げるが勝ち」「逃げるは恥だが役に立つ」こちら側に共感する人の方が増えていくのではないだろうか。

逃げるは恥なのか、逃げるはダメなのか、なぜ逃げるを若者に教えないのか。これは不思議だ。だって役に立つ選択肢なのに。教えた方が良いに決まっている。なのになぜ、少年漫画は「逃してくれない」のか?

自分の逃げの一手については、2つの大きな転機が思い浮かぶ。どちらも生命の危機に瀕していたときで、逃げの一手と言いつつもその選択肢以外にはないといった状況だった。
振り返れば、もっと早く逃げておけば良かったと切実に思う。無駄に疲弊する前に。疲弊には、回復に10年単位を要するものもあるのだと知った。

「逃げる」について考えるきっかけとなったのは、以前僕が逃げたブラック団体と連絡を取る必要が出てきそうになったからだ。ボスにコンタクトを取る前に、まずは信頼に値する構成員に現状を聞いてみた。ブラック体質は変わらないどころか、今もなお酷くなり続けているらしく、連絡を取らない方が良いと助言をもらった。

逃げるにはそれなりの理由わけがある。
はなから無理だったのだ、僕がそこに所属するのは。一度逃げたら、振り返らず、逃げ続けなくてはならないのだ。

逃げるとは、過去と現在を断ち切る行為とも言えるかもしれない。過去をなかったことにする、転じて去った過ちをなかったことにすると拡大解釈もできそうだ。ポジティブ(過ちに囚われない)にもネガティブ(犯罪者の逃亡)にもなる。

ただやはりどうもしがらみが多すぎるではないか。逃げるを是としない文化、これでも社会的にだいぶ良くなってきた風潮は感じるのだが、僕が関わった団体のように旧体制を貫く組織も多分に残っている。なあ、好きに逃げさせてくれよ。

話は大きく変わるが、性善説が性悪説かという議論は、徳治国家か法治国家かという議論に発展し収束していくものだ。孔子の時代はコミュニティが小さくリーダーの徳で治めるに事足りた。しかしコミュニティが大きくなってきて、リーダーの徳が行き渡らない、リーダーの目が届かないとき、法治に舵を切るべきなのだ。

もちろん徳も法もあるのが望ましい。ホワイト。
ただ世の中には徳もなければ、法の目をくぐり抜けることばかり考える組織というものが存在する。ブラック。

ブラックの恐ろしいところは徳があるように見せるところだろう。やりがい、夢、アットホーム、、、社会に耐性のない若者を毒沼に引き摺り込むワード。もしこれを読んでいる学生、就活生がいるならゆめゆめお気をつけなされ。抜け出すのに10年、心身回復に10年、禊が済んだあなたはもう40歳。

よって、やはり逃げるは役に立つし、逃げるを是とする風潮を高めていくのが良い。

先日Twitterでこんなことをつぶやいた。

古代インドの宗教の多くは師資相承で引き継がれてきたわけだけど、やはり「この師匠なんか違くね?」と弟子が感じてしまう事もあって、その時いったいどうするか。正解は「黙って出て行く」だそうです。議論や追及などしない。
良い師には人が集まり、悪い師からは人が離れ、ただそれだけ。弟子側もずっと「違くね」と言っていたら師から学べないが、そうして新たな宗教宗派が生まれたりもする。
僕は単に「黙って出て行く弟子、その背中を見ていながら引き止めない師匠」という絵面が好き。詩人のデラシネ感がある。

インドの師匠は静かに見送るかもしれないが、資本主義と成長幻想に蝕まれた人間は、つまらない矜持と数の暴力を保つためだけに囲い込むことだろう。
未来ある若者たちがそのようなサイコパスに関わらない人生を送ることを切に願う。

僕はもう少し遠くへ逃げよう。
過去を振り返っている暇があるなら、吉田修一の『逃亡小説集』を再読しよう。あと浅田彰の『逃走論』なんかも。

散々愚痴を書いておいて今更ではあるが、件のブラック組織のことを社会悪と思っているわけではない。僕にとって悪だった、そしてそれを見抜けなかっただけなのだ。

しかしそれももう去った過ちである。
逃げろ!前だけを向いて。



*書き殴っただけの雑文です。

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