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臆病者と卑怯者(さくらももこ先生追悼)


この世界に臆病でないと言い切れる人間がどれだけいるだろうか?この世界に卑怯でないと言い切れる人間がどれだけいるだろうか?

先日、突然の訃報を僕は電車の中で、TwitterのTLに流れてきたニュースを見て知った。大手携帯キャリアの配信する速報より10分ほど早かったように思う(時間感覚を失っていたので正確ではない)。なのでディスプレイを見ていた両目を、周囲の乗客たちに移しても、彼らは本を読んでいたり、ゲームをしていたり……そこには普段と変わらない電車内の光景が広がっていた。
しかし、ややあって車内がざわめき始めた。

「えっ??」
「さくらももこが……」
「まるちゃんの作者が……」

あの10分ほどの時間。頭の中を巡っていたことを後になって整理することは、きっとできやしない、できやしないよ。ただ浮かんで消えた言葉たち。
(まさかね……)
(誤報だよね……)
(若すぎるし……)
この言葉たちの裏にはなぜだか、『僕のスマホかTwitterだけ、なんかおかしくなっちゃったに違いない』という確信めいたものがあったのだ。当然、それはものの見事に打ち砕かれた。

『ちびまる子ちゃん』という国民的漫画・アニメを世に生み出してくれた、さくらももこ先生。『コジコジ』やエッセイにも触れたいところだが、今回は僕にとって最も愛すべきキャラクターである〈藤木君〉と〈永沢君〉のコンビについて書きたいと思う。

藤木君は臆病だ。臆病ゆえに、一歩が踏み出せなかったり、一言が出なかったりする。それゆえに親友である永沢君から「卑怯者」呼ばわりされる。
臆病者はどんな漫画・アニメ作品にも登場し、彼らのほとんどが試練に打ち勝ち、臆病を克服していくドラマを演じさせられる。しかし藤木君はそういったキャラクターと一線を画する。彼は最初から最後まで臆病なままだ。彼が勇気を出す時なんて、自分が臆病だと告白する時くらいである(これだってなかなかできることではないが)。

続いて、永沢君は典型的な卑怯者である。何が卑怯かと言うと、やはり彼自身の卑怯さをそっくりそのまま親友である藤木君に投げつけているところであろう。これを投影と見なすなら、心理学的に未熟な防衛機制だとも言えるかもしれない。でもぜひ大目に見てやってほしいと思う。まるちゃんたちは小学3年生なのだ。永沢君が自身の卑怯さを受け止めきれないことは、仕方のないことなのだろう。

2人の一念発起や懺悔は、ときおりドラマになったりもする。しかし取り立てて美談になるわけでもなく、日常の光景のスパイスになる程度だ。彼らの本質は変わらない。2人とも臆病で卑怯なままだ
そして彼らは矯正されることも制裁されることもなく、また翌月くらいには、何食わぬ顔で臆病と卑怯を繰り返す。

僕にはこのことが愛おしくてたまらないのだ。ここで冒頭の問いを繰り返す。

この世界に臆病でないと言い切れる人間がどれだけいるだろうか?この世界に卑怯でないと言い切れる人間がどれだけいるだろうか?

藤木君も永沢君も僕の胸の中にいつもいる。残念ながら〈はまじ〉や〈大野君・杉山君〉はたまにしかいない。
多分、読者の皆さんの心の中にも、藤木君と永沢君がいると思う。
上の問いに「僕・私は、臆病でも卑怯でもない!」と高らかに答えてみるといい。それこそ誰の目から見ても、臆病・卑怯に映ることだろう(笑)
そうだ、僕は臆病で卑怯だ。

さて、僕がまるちゃんと同じ年だった頃、『ちびまる子ちゃん』の他に学校で流行っていた漫画・アニメはこんなものたちだった。世界一強い者を決めるための武闘会が開かれたり、亡き兄の意思をついで甲子園を目指したり、不良が更生してバスケを始めたり、ドジな女子学生が変身して悪の組織と戦ったり……and so on.
どれも名作ばかりだった。実際、僕もそれらにも夢中だった。
先にも述べたように、これらの作品の中では、臆病や卑怯は弱者・悪役の占有であり、克服されたり、淘汰されることが望まれる。

しかし『ちびまる子ちゃん』では違う。この作品の中では、臆病も卑怯も少し困った個性として、日常の1ページに挿入されるだけ。その日常とは、努力や気合いのない世界。道具も魔法も変身もない世界。そこでは、克服も淘汰も必要ないのである。担任の先生が優しく諭すくらいで一日は終わり、そしてまた始まるのだ。

さくらももこ先生の作品には、そういった〈許し〉がある。それだけでなく、先生の十八番・ブラックユーモアを交えて、笑いに昇華してくれる。こうして藤木君と永沢君は人気者になった。
ももこ先生の御寵愛が特にめでたかったのがこの2人なのではないかと、僕は勝手に想像している。
だからきっと悲しいのは僕だけではない。先生から30年間も愛された彼らの方が、ずっとずっと悲しくて、寂しいのだろう
2人の暗い影を背負った後ろ姿が目に浮かぶようだ。その背中を見たら、まるちゃんは「あんたら、バカだねぇ」と、はまじは「おい、サッカーしようぜ!」と声をかけてやってほしい。
みんな寂しいのは一緒だけれど、2人は臆病で卑怯だから、とりわけ繊細だから。そうでもしないときっと2人だけでは立ち直れないと思うから。
いち読者より何卒宜しくお願い申し上げます。


最後に、さくらももこ先生。
あなたの作品が大好きでした。先生の世界とキャラクターに許されてこれまで生きてきました。
勝手な解釈、脚色をしましたことを、深くお詫び申し上げます。これも先生と作品を愛するがゆえですので、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。
闘病生活はたいへんお辛かったと思います。
どうか安らかにおやすみください。


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ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!