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小説『あれもこれもそれも』3-1

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小説『あれもこれもそれも』
story 3. 時の木陰にて -1


 薄桃色の厚手の紙に、切り紙のコラージュ。角に置かれたピアノ。ラベルライターで書かれた〈パパとくべつしょうたいけん〉。栞よりも一回りほど大きい手作りのチケットは、空きスペースがないほどびっしり埋められている。それは娘の父親への愛情と期待そのものを表していた。
 麻衣はこの1時間ほど落ち着かない様子だ。テーブルに置いたそれを何度もペタペタ触っては、手に取ったり、宙にかざしたりしている。まだ小さな手で作られた特別招待券は、これから帰宅する夫に手渡されようとしていたのだ。

 しかし、帰ってきた男の姿を一目見て、私だけでなく麻衣までもが『今日はあまり関わらない方が良い』とすぐに悟った。乱れた髪、険しくも虚ろな表情は、ひと仕事を終えたヤクザのようであった。何があったのか知らないが、近頃こんな帰宅がときおり見られる。麻衣が起きている今日にそれが当たってしまったことが、残念でならない。
 先に関わりを拒んだのは夫からで、「何にも触れるな」と言わんばかりの態度で廊下を通り過ぎ、自室に籠もった。麻衣が困惑した表情を浮かべている。

 ややあってモーリス・ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』が微かに聞こえてきた。フランス印象派の作曲家を寄せ集めたあのCDだ。
「音楽は聖地のように、自分の軸がぶれそうな時に引き戻してくれる」
 いつのことだったかとうに忘れてしまったが、それは夫の口から出た言葉だった。出会って10年近く経つ。彼がこのアルバムを聴きながら、苛立つ呼吸や鼓動を整え、平常心を取り戻していく過程を、私は知っている。今日のように部屋の壁越しだったり、電話の向こう側だったこともある。待ち合わせの車に乗り込んだ瞬間に出くわしたりもした。
 何回引越しをしても捨てられることのなかったCDケース。そこについた傷は、多分彼の心の傷と共にあって、そのいくつかは少なからず私とも無関係ではないものだろう。しかし、それがどんな形をしていて、どのくらいの深さの傷であるか、彼が私に話すことはあまりない。

 ラヴェルの3曲が終わり、エリック・サティの最も有名な曲が流れはじめた。『ジムノペディ』、怒りが身を潜める。鎮静の谷間を抜けてノスタルジックな哀しみに身を委ねている姿が、私の眼にありありと浮かんだ。
 麻衣に「もう大丈夫よ」と告げ、私は廊下に出た。夫の部屋のドアの前に立ち、胸に手をあてて一度呼吸を整える。そして控えめにノックをした。返答はなく、ピアノ曲の3拍子だけが滞ることなく流れ続けている。私はしかたなくドアを少し開け、「ちょっとだけいい?」と声を差し込んだ。
「ああ、どうした?」
 落ち着いたトーンの声が返ってきた。部屋の中の覗き込み、視界を広げていくと、机の横に立つ夫が一瞬、頬を拭うような仕草をしたように見えた。しかしその眼にも頬にも涙の跡は見当たらない。
「麻衣がね、今日はパパに話したいことがあるって嬉しそうに言っていたのよ。だから明日でいいから聞いてあげてね」
「分かった。心配かけたな。申し訳ないけど、ちゃんと明日聞くと伝えておいてくれないか?」
「うん、分かった。おやすみ」
 私は静かにドアを閉じた。『ジムノペディ』は2番か3番だかに移り変わり、1日あったことを総括して余韻を残しているようだった。

 夫の不機嫌は日常の中の小さな事件として、この曲と共に静かに忘れられるはずだった。しかし、エンドロールの後にシーンが隠されているのはよくあること……
 麻衣に「パパには明日渡そうね」と声をかけると、少し安心したようで、とことこと寝床に向かった。
 そして、娘と入れ替わるように、私の携帯電話が不穏な音で鳴ったのだった。


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