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日記 20 空と光

 青春とは、既に失われつつある未来、その希望であり、なしくずしの、未決のままの断念である。取り返しのつかないほど、その貴重さに気付かないまま、時間だけが繰り返し過ぎていく。まるで、漂流する流木を抱きしめる、その仕草かなにかのように、洗い落とし、削り取る。
 誰も傷つけたくはなかった、その気持ちに嘘はなかった、それが青春の特権、ただ一つの赦された証しなのかもしれない。
 特権視された青春というフレームほど、苛立ちと不安を煽る、それが青春というものか。

 悲しみが大きいほど、青春は深い青を湛える。
 苦しみが強いほど、青春は透明な輝きとなる。

 「ウチの娘は、彼氏が出来ない‼」第8話、豊川悦司演ずる風雅登場以降の終盤、第四コーナーを回ってからの豪快な末脚爆発!往年のディープ・インパクトを思わせる追い込みですね。
 残念ながら、漱石さんは、どうやら当て馬だったようで、渉先生も轟沈、馬群に沈む、の展開か。
 恋に気付いたとき、ひとはひとつの小さな存在になっている。こころが張り裂けるくらい膨らんでいても。
 雪の匂いはあります!雪にちっちゃな細胞が存在するように。なんだか、そんなことを言い出しかねない勢いです。
 光にも匂いがあり、闇にもひとしきり影がある、それを嗅いだ空が、あの夜の記憶とどこかで繋がっていることをなぜか祈りたくなる、そんな夜だった。
 この冬は二度と来ない。でも、この雪は消えない。JR SKISKIキャンペーンのCMから

 NOTEを始めて8か月、ほんの僅か(雀の涙というからには、成鳥の体重が24g程度だから、人間が流す涙は、一滴で0.2cc、一回につき約1cc、1gと見積もって、体重比で約0.4mg、確かに少ない。だが、果たして、鳥類は涙を流すのか。答えは、動物は視覚が重要なので、目を保護するためにも、人間と同じように涙を流すのである、恐竜も然り、人間よりも電解質の量は多めだそうだが。そう言えば、かの芭蕉翁も詠んでおられる、おくのほそ道で、行く春や鳥啼き魚の目は泪)だが、収入も得られた。であるとすれば、もう、名乗ってもいいだろう。
 例えば、作家はおこがましい、紙の本も出していないし、詩人は出来過ぎというか、出過ぎた感じだし、ならば、ライターは燐寸擦る間くらいの儚さ、著述家は見るからにお堅いインテリゲンちゃん、あれやこれやと迷った末に、もし万が一、名刺を作るとしたら、肩書は、「著述業」にする。如何にも舌足らずで、その上、舌を噛みそうになる切れ味の悪さ、これにしよう。
 「著述業 浮島 漣」まあまあイケてないこともないか。小綺麗な女人の目を欺く程度には、それなりのそれではないか。それとも、近海に突如出現した怪魚、チュジュツ魚、プカプカ浮いた島にさざ波が立ち……

 今朝読んだ新聞に、「生きる あなたの思い出と」とある。
 あなたの思い出と生きるのではなく、あなたの思いと生きるのではないか、そう思った。
 思い出に生きているのだけでは、あの死は何だったのか、この忘却のみが音もなく流れていく世界は、それではいったいどんな意味を持つのか、あのひとのかなえられなかった思いをあなたが受け取り、それを誰かに、もちろん自分でもよい、手渡すことはできないのだろうか。

 ところで、「風雅」という登場人物の名前は、空や流木を愛でる風流な世捨て人のイメージとフーガ(遁走曲、最初に出てくるメロディーが繰り返し現れ、まるで何かに追われて逃げ回っているような、迷路に入り込んでしまった感覚のする、壮大な音楽、どこか神秘的な印象がする)の原義である「逃げる」とを掛け合わせた掛詞のようなもの、そう推測(これも「推し」の一種、派生語みたいなもの)しています。
 豊田悦司の出演する「愛していると言ってくれ」は、金ドラの金字塔、確かに見ていたはずだが、内容は朧気だ。
 ドリカムの歌う主題歌「LOVE LOVE LOVE」の荘重?!な響きは、今でも鮮やかに蘇ってくる。

 なぜ、君は詩人になることを断念したのか。
 友がいれば、詩を語ることもできたろうが、きっと尋ねる、だろう。
 詩人が、小鳥の囀りや獣の呻き声みたいな野蛮な言語を駆使しなければならなくなったから、そんなはずはないよね。
 でも、おそらく、君はその質問には答えないだろうから、答えられない場合は別として。
 それは、たぶん、翼の折れた詩人でいることが耐えられなかったからだろうね、きっと、僕はそう思う、そう答えるだろうね。
 詩人と称する小心者の翼を折るくらいの暴力なんて、思春期の子どもにだって備わっているんだからね。まして、そのすんなりとした細長い指先にだって。

 詩は、死と同様に、何かしら特別な存在ではない。そんなことにも気づかずに生きて来たのだから、到底、詩人と名乗ることなどできないとしたものだ。たとえ、詩集が何冊か売れたとしても。
 青春は、誤解と錯覚で出来ている。ほんのわずかの真実とそのかけら、きらきらと輝いている、まるで眠ることを知らない雲にすっぽりと隠れた星たちのように、今も。
 家入レオ「空と青」、美しい歌です。清らかな讃美歌のように、長く歌い継がれる楽曲になるかも知れませんね。
 どこまでも限りなく降りつもる雪とあなたへの想い(DEPARTUTES から)
 永遠に続く道は、まだ誰も見つけられずにいる。

 巣ごもりで、慰みに始めたビデオ・音楽鑑賞、コロナ、コロナで明け暮れた一年度も間もなく終わろうとしている。
 近いうちに、心に残るテレビドラマ・ベスト5でも発表してみようかと思う。
 「にじいろカルテ」第8話 高畑充希演じる真空が北村匠海演ずる太陽のために泣く、涙で訴えるシーンは、出色の出来で、心をざっくりと奪われ、持ってかれた。あのように誰かのために涙したことは、いまだない、わたしには、それが泣けて仕方ない。

追記
 「空と青」を聴くたび、とある旅を想い出した。
 それは、さびしいが、つらくはない、かなしいが、ものうげではない。
 確かな歩みであることももう求められてはいないから、ゆっくりでありながら、なぜかいつも見失ってしまう、あの薄っぺらな雲間に隠れた星のように、ずっとあなたは見つめていたのに、ほんの少ししかわたしには見えないままで。
 あのドラマは、亡き人への慕情を隠そうともせず、迂闊にもそのことに気付いたときは、もうドラマは終わろうとしていた。
 こんな裏切りめいた仕打ちは、こころにぽっかりと風穴を作ってしまうじゃないか。
 そう抗議しようにも、亡き人は、遠くから、かすかに頬をゆるませているだけだ。



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浮島 漣

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