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【子育て】老人賢者いらっしゃる


◆「友人の祖父」に似てる女子高生

「ふ~るちゃんって私のおじいちゃんに似てる!顔が」

と、高校生の時、友だちに言われました。
えー?なにそれ!ってなりますよね。


でも彼女は「冗談だよ」とも「似てるんだ。でもいやだよね、ごめん」とも言わない。すごくニコニコして「本当似てるの。私、おじいちゃん大好きなんだ」と。


私の顔がおじいちゃんみたいって、、、とわけがわからなくて。でも、友だちはおじいちゃんが大好きで、大好きな人と私の顔が似てると、裏の意図などなくありのままを言ってるとわかった。不思議といやな気はしなかった。


おもしろい友だちだったな。



◆赤ちゃんと尊い長老の話

話は変わって、息子が生まれて数か月くらいの頃のことです。


私と息子でお家であそんでいました。おすわりして一人遊びしてる息子を見守っていたときだと思います。


「息子の顔」

じっと見ていると、、、そこになぜか尊い長老が見えました。


あ、あなたは、


なんと呼んでいいかわからないけど、実に温厚な知恵者でいらっしゃる仙人(年老いた男性)のようだったので、私は心の中で(尊いお方。どうぞよろしくお願いします)ってペコっとお辞儀をした。


息子は気づかない。中に入っておられる長老はもう見えてこない。


、、、と、まあこんなことがありました。


摩訶不思議なことだとか勝手な幻視だったとか、そんなのはどうでもよくて、


赤ちゃんには尊い長老さまが奥に隠れている。いつもちゃんとこっちを見ている。私も心して接していかないと。ありがたいという気持ちで。


そんなふうに思ったんです、なぜか。


◆振り返って考察してみる

老人賢者さま(私が名づけた)が見えたのはその一度だけです。


15年経った今。思うに、私の無意識のどこかでこんな気持ちがあったのではないか。


「赤子の手をひねるように」という表現があるように、赤ちゃんはか弱くて無力。とても従順で身近にいる人を頼って生きようとする。自然全開だ。


大人は赤ちゃんをどうとでも御することができてしまう。


たとえば0歳の息子と二人でいるとき、私は子に対して圧倒的な権力を手にできるということ。そのパワーをふるおうと思えばいつでもどれだけでも使えるということ。


頭で考えたわけじゃない。可能性として潜んでるパワーを深い谷底を感じるように怖いものと感じた。それで封じようとしたのではないか。


ちょこんと座ってる幼な子はあまりに屈託がなくてあまりに弱っちい。おもしろいほど弱っちさを醸し出している。どうとでもできるほど弱き命に見える。


その弱き命を、私は愛しいと思いいつでも守るつもりでいる。虐待なんか絶対にしない。それでも念には念をいれて、、、と、私の無意識は「歯止め」をキチンとかけておきたいと思った。

で、老人賢者は現れた。


どうだろう?


◆もっと単純なことかもしれない

無意識の歯止めに尊い方がいらした? ちょっと分析しすぎな感じもしてきました。もっと単純なことかもしれません。

赤ちゃんはそもそも老人賢者と近い存在。純粋無垢な魂はそれだけで尊く、固定観念や偏見にしばられた成人より澄んだ目で世界を見る。多くのことを大人に教えてくれる。


あの時は、私も「歯止め説」など思い浮かびもせず、こう思いました。「いつでも賢者が見ている。赤ちゃんならいいや!って適当な恥ずかしい精神で接してはいけない。尊い魂の持ち主と忘れずに接しよう」って。


それからずっと子供には尊いものがあると忘れずに育ててきたつもりです。もちろん普通にケンカもする。どこにでもいる親子だけど(いやむしろダメ親気味なのが目立っていると思うが)



先日、15歳の息子の寝顔をそっと見てみた。

息子9割、老人賢者さま1割、、、かなぁ?

今はこれがベストなんだと思う。


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