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そのマケットを早くつくれ!

 工房やラボといった名前がつけられる、工場のようなアトリエのような、道具や素材に囲まれて、ものづくりを楽しむ場所。比較的操作が容易なパーソナルデジタルファブリケーションツールの発達や、材料入手の民主化により、DIYが流行し、Maker’s BaseやDMM.makeのようなシェア工房、FabLabやHakkerspaceといったコミュニティが出来上がってから随分と経つ。これらは一定の盛り上がりと期待感があった一方、いまいちその魅力を展開できておらず、社会の中に根付けていない現状にある。
 私はそれでも工房を持ちたいという夢がある。しかしながらその工房とはどういうものなのか、これまであまり具体的には描き出せていなかった。最近『映像研には手を出すな!』というアニメが放映され、アニメ制作関係者に限らない、多方面からの反響があったようである。私にとってもここに”工房”に対する一つの視座を得られたのではないかという感覚があった。
 このエッセイでは『映像研には手を出すな!』を通して、何が私たちの心を打ったのかを明らかにしつつ、私が注目するべきだと思った描写を、プロトタイピングという行為を定義しながら取り上げ、私の夢の”工房”がどんな姿なのかを描き出すことを試みたい。

1.映像研が私たちの胸を打ったレイヤー構造

 『映像研には手を出すな!』(以下映像研)は2050年代の芝浜高校という架空の高校を舞台に、「私の考える最強の世界」を描くためアニメ制作をする映像研究同好会を結成した、浅草、金森、水崎の三人の主人公たちを描いている。高校の部活で行うにあたってのトラブルなども交えながら、アニメ制作過程や監督、作画、プロデュースに関わるそれぞれのこだわりが見られる。原作マンガの著者である大童氏のアニメ技法論の詰まった作品だ。かなりマニアックなこだわり、技法論がすんなりと楽しめてしまうのも、その技法論でもってアニメを制作しようとする主人公たちの奮闘という物語に託し、コミカルに描かれているからであろう。
 アニメ制作関係者外にも受け入れられたのにはまた、このアニメの持つレイヤー構造、メタ的な表現方法にある。建築家の青木淳氏が、自身と西澤徹夫氏の協働による京都市美術館についての新建築誌への寄稿*1でこの映像研について次のように表現している。

現実の世界と、アニメ設定画という、ふたつのバラバラな世界からなる『映像研には手を出すな!』がある。いや、金森や浅草や水森はアニメ内のキャラクターなのだから、私たちの現実の世界がまずあって、その向こうに彼女らが通う芝浜高校というアニメ世界があり、さらにその向こうに彼女たちが制作するアニメ世界がある、という3つのバラバラなレイヤーが重なっていると言ったほうがいいかもしれない。ここでは、それら階層の異なるそれらのレイヤーが、継ぎ目なく、摩擦なく、繋がっている。

映像研の主題はアニメに込められている様々なこだわりや想い、つくることの楽しさを描き出すことだとすれば、視聴者である私たちという現実レイヤーと想いの込められたアニメ(映像研の場合浅草たちの制作したアニメ)という空想レイヤーをその制作に奮闘する人々を描くという、現実’であり同時に空想’でもある中間レイヤーを設けたことにより、「継ぎ目なく、摩擦なく、繋」げることに成功している。
 映像研はその密度の高いアニメ技法論はもとより、それをすんなりと受け入れさせてしまうレイヤー構造を生み出したその斬新な表現手法には感服せざるを得ない。そしてこの映像研が様々な人の胸を打ち、アニメをつくるって面白い、私もつくってみたいという創作欲求までを呼び起こしていたことは、私にものづくりをすることが普遍的な人間の欲求として確かにあり、人々に高揚を与えることができるんだということを改めて感じさせてくれた。

2.もう一つの「最強の世界」

 映像研の巧みさはそのレイヤー構造に確かにあるが、私はここで先ほど空想レイヤーと説明したレイヤーに、実は分類があることに着目したい。それは、アニメ空間と妄想空間である。
 アニメ空間とは文字通り、浅草たちの作り出したアニメやビデオコンテといった映像を視聴しているときに現れている。アニメ空間は、浅草たちのいる世界である現実’/空想’レイヤーのタッチとは異なり、彼女らの制作するアニメに沿った表現がされており、輪郭線のない色面のみだったり、ビデオコンテでは鉛筆画で中割りが少なめに表現されている。浅草たち製作陣や、完成アニメを視聴している人たちはそのアニメ空間に没入し、アニメに表現された「最強の世界」の中を、まさに体験する。現実’/空想’レイヤーに入り込んでいた現実レイヤーの私たちも唐突に始まる空想レイヤーの中のアニメ空間へと放り込まれる形となる。この摩擦のない階層の移行こそが、先に説明した映像研という作品の醍醐味だ。
 しかし、着目したいのはもう一つの妄想空間である。こちらもアニメ空間と同じく、浅草たちが制作するアニメの設定について妄想を膨らませているときに、その空間に入り込み体験する。他とは違い鉛筆による輪郭線に水彩画のように表現されている。この空間は、おそらく浅草のスケッチブックの中のイメージボードに没入しているという設定なのだろう。この空間の中では、思いついたことはすぐに更新され実際に動き出したりし、浅草たちのプロトタイピングがなされる。この妄想空間のように、実際私たちがプロトタイピングを即時的に肌で体験しながら行えるとしたら、これ自体がすでに「最強の世界」なのではないだろうか?

 映像研5話から始まるロボット研との打ち合わせのシーンが印象的だ。人型ロボットに対する情熱の強いロボット研とリアリズムを重視する映像研とで衝突するが、それぞれのロボットに対するこだわりを打ち明けながら妄想空間へと突入する。お互いの理想を語り合うたびにロボットは改変され、ついに動き出す。お互いの思い入れのつまったロボットの完成する瞬間を目の当たりにし、敵対しかけていたロボット研と映像研はアニメの完成に向けて打ち解け合う。
 物をつくる過程で、頭の中に思い描かれるイメージはとても曖昧だ。何かスケッチなり、言葉なり、形として外に吐き出してみても、それは記号であって、実際のものでない以上そこには欠落があり、自分の中で明確にすることも大変な上、これが協働する他者やクライアント相手となれば、そこには齟齬が起きる。映像研の妄想空間では、アイデアはその場で実現され、実効性を確認し、関係者全てが体験する。この摩擦のない空間はものをつくる人にとって夢のような空間であることは間違いない。
 水崎と浅草が初めて協働作業をするときを始め、ロボット研との打ち合わせと、この妄想空間に突入し、「何かすごい世界が見えた気がした」ような高揚感を得られるということが、実際は難しく苦悩に満ちていることを感じさせてくれる話もある。原作マンガには存在しないが、アニメ版映像研には、背景画を美術部に外注する部分がある。この際、注文は曖昧化し、理解したつもりでも同じ絵を描くもの同士でさえお互いの慣習の中で理解してただけで、背景画として使うには不都合な絵が納品されてきてしまう。いかにつくること、そのために調停することが難しいか、リアルな感触がそこにあった。

3.プロトタイピング

 ここで一度映像研から離れて、プロトタイピングということについて考えてみたい。
 プロトタイピングは完成形である物を、他者にどういうものか伝達するためや、製作者の中で具体化、洗練するためにまずは見える形(プロトタイプ)にすることである。実際の完成品をつくってしまうことが、もっともその役目としては理想だが、コストや時間を考慮すれば必ずしも完成品と同じものがつくれるわけではない。例えば建築で考えてみれば、完成品をとりあえず試しにつくることがいかに非現実的なことか理解しやすいだろう。そのためにスケッチや、図面や模型でプロトタイプをつくり、検討やプレゼンを行うのである。
 プロトタイピングを行う上では、確認すべきことの違いによりプロトタイプにどのような情報を設定するべきかを考える。この情報を私はつくる物の属性と抵抗値というパラメータに分解してみた。物には物質性(強度・素材・ディテール)と物体性(プロポーション・サイズ・色彩)、解像度(1:言語・2:平面・3:立体)、成り立ち(ブール値:true/false) という属性があり、コストと時間が抵抗値となる。
 仮に一つの椅子をつくることを考えてみて以下の3つの方法でプロトタイピングを試みるとする。

 -どのような物になるか言葉で表現する。
 -どのような部材の取合いになるか図面やスケッチで表現する。
 -どのような形や色になるか模型で表現する。

 それぞれの属性は以下のような状態になる。

そのマケットを早くつくれ!_fig_1

そのマケットを早くつくれ!_fig_2

そのマケットを早くつくれ!_fig_3

 解像度が上がると、プロトタイプが表現できる情報の精度が上がっていく。必然的にそれは、抵抗値たるコストや時間が増えていくことになるので、表現する物体性、物質性に制限をかけて抵抗値を抑えていくことになる。
 成り立ち、というのは単純にそれが、目指すべきものであるか、ないかをブール値として抱えている。どういうことかといえば、先ほどのように椅子をつくることを目指し、目指したものと同等につくればtrueとなるが、同じ椅子をつくっていても、目指しているゴールがその椅子が描かれた油彩画なのだとしたらそれはfalseになる。
 ここで映像研のもう一つ面白い構造に気づくことができる。原作者の大童氏がとあるインタビュー*2で映像研の連載がスタートしたきっかけをこう語っている。

もともとアニメーションが作りたくて個人制作をしていたんですけど、2年間で2分ぐらいの動画しか作れませんでした……。ただ、1シーンをこんなに枚数描かなきゃいけないんだったら、絵コンテをマンガ風に分割すれば、その時点で作品になって効率がいいのではって思ったんです。

それで同人誌を描いてコミティアに出たら、今の担当編集さんにスカウトされた、というのがきっかけです。

 原作の映像研とはマンガを目指し描かれたものではなく、アニメをつくるためのプロトタイプとしての絵コンテにマンガの体裁を与えたものだったのだ。これは属性で表現すると以下のようになるのではないか。

そのマケットを早くつくれ!_fig_4

 これは成り立ちのハッキングである。falseであったのものをtrueへと誤認識させている。
 前章では映像研のなかの妄想世界という浅草たちのプロトタイピングに「最強の世界」を見出したが、大童氏のこのハッキングにもプロトタイピングの際限ない可能性を感じさせられた。

4.プロトタイピングのこれから

 私が物をつくるということに関して、おもしろいと思っていること、それはやはり過程にある。イメージしたものが、何を駆使して、どうしてやったら実現が可能なのか、妄想を膨らませていく過程。その妄想を膨らませていくトリガーになるものは、ブリコラージュ的にプロトタイプを通して目の当たりにすることにある。この過程、つくるという営みが楽しいという感覚は、共有可能な感覚であるはずだ。人はどんな形であれ、どんなものであれ、つくるという営みを行なっている。どんなにつくることと縁遠いと感じる人がいたとしても、それは単純につくるという営みを“つくっている”という実感を伴って体験していないからなのではないだろうか。
 映像研にあった浅草たちの生み出す妄想世界は、そういったつくるという営みを自分ごととして認識することを知らず知らずのうちに敬遠しているような人たちをも強制的に巻き込むことが可能だ。プロトタイプとしての最高の質の物を、抵抗値を一切無視して目の前に現前させることができるというのは理想だろう。
 どうしても無視することのできない抵抗値という障害を、どう乗り越えていくかという点については、先ほどの成り立ちのハッキングによって抵抗値の感覚を誤魔化すことができるという手法は素晴らしいものだった。
 もう一つの事例として、株式会社VUILDがローンチしたEMARF3.0*3というサービスを紹介したい。
 EMARF3.0はコンピューター上で、2Dや3Dの図面などを作成するCADソフトウェアの機能を拡張するプラグインである。CADでデザインされた物をプラグイン上で直接入稿し、コンピューターで自動化された木材加工機械であるCNCルーター(ShopBot)を備えた全国の提携加工工場で加工してくれ、オンラインものづくりの実現をしている。ここで興味深いのは、プラグインにより加工時間、材料費、加工費の見積もりをその場で確認できることである。
 加工される物の実現性と、抵抗値であるコストと時間を即時にモニタリング可能にすることによって、プロトタイピングの障壁に対して一つの自由度を与えている。さらには出力されてくる物に十分な強度等が担保できることから、それ自体をゴールとすることもできる、成り立ちのハッキングが行えるものでもある。抵抗値として設定はしていなかったが、プロトタイピングを行う上でもう一つの問題となる、場所や機材といった問題にも、加工技術や機材、場所を所有している人たちをクラウド的に接続することで、誰にでも手に届くようになっていることも、非常に優秀で興味深いサービスであると感じた。

5.「最強の工房」プロトタイプ

 それでは私にとっての「最強の工房」とはどんなものなのだろうか。今一度プロトタイピングを試みたい。
 先ほどからの議論で言えば、私が理想とするのは、常に解像度のもっとも高い状態のプロトタイプを制作できる状況にいたい。それは、映像研を参照すれば明らかなように、他者とのコミュニケーションにおいては常に齟齬が発生するため、祖語の発生する可能性の低いもっとも解像度の高い状態をコミュニケーションの土台としたいからである。
 そのとき工房という場所にあって欲しいのは、「私は今からなんでもつくり始めることができる」という全能感である。
 どんなことをしようか、計画を練れるための場所。どんな素材がこの世に存在するのか俯瞰できるライブラリーのようなもの。どんな素材でも、簡単な加工ならすぐにでも取りかかれる、基本となるツールが一通り揃っている。やりかけのことは、やりっ放しにできるだけの広さ。やり方がわからないときに相談できる様々な専門家とのコネクション。そんなものが揃った空間を目の前にしたら、感じないだろうか、全能感を。
 そんな場所は実はすでに存在しているかもしれない。アーティストが自分で持っているアトリエはオーダーメイドの自分の全能感を湛えた場所だろう。しかし私が欲しいのは、何かに特化する前に、何にでも取り組めるという状態である。木材に取り組んでいるときに、鉄のピースが必要となったときに、すぐに用意できる状態が欲しい。その分野横断的な状態は、クリエイティビティにも影響する。ある分野の専門技術は、実は別の分野にも転用可能なことに、専門分化が進みすぎている昨今は、とても無頓着だ。
 場所性というのも非常に重要である。これをつくるんだ、とつくるものが明確に定まった状態では、その制作が可能な場所は、どれだけ不便な場所であろうが構わないかもしれない。しかし、まず何かを試したいというその時に、それができる場所まで行くのに苦労するのはクリエイティビティに影響する。様々な想像力のトリガーとなりうる情報が集まっているという面でも、私は都市に存在する必要があると思っている。ライフスタイルの転換を考えなければならない昨今ではあるが、それでも都市であることは必要なのではないだろうか。都市に暮らしている人が多い以上、つくるために郊外へ大移動するよりも、都市の中で初期のプロトタイプが作られ、検討されて、本制作は遠方でも設備や環境の整っているところに発注する。プロトタイプがすでにきちんとあれば、その伝達はより容易に、オンラインだけでも可能になるかもしれない。その方が、トータルとして、人の大移動は少ないのではないだろうか。
いつかは、その最強の工房が各都市部にものづくりインフラとして点在し連携された時、工房の湛える全能感はさらに拡張し、ものづくりへの態度が変わる。生活とつくることが身近になり、必要な物は買うのではなく、つくるということも起こってくるだろう。
建築設計の手法も変わってくるかもしれない。それは形式化された模型や図面といった手法ではないやり方から検討され、専門外のクライアントも検討過程に容易に関与できるようになるのではないか。
 最強の工房でなら、そのマケットは早くつくれる。

注釈
*1
新建築 2020年 5月号
2020.05.01
継ぎ目がないのに切れている
p.60

*2
コミスペ!
2018.06.27
【インタビュー】『映像研には手を出すな!』大童澄瞳「そもそも僕にはマンガ的手法のいろはがひとつもない」
https://media.comicspace.jp/archives/5399

*3
株式会社VUILD
2020.05.27
日本初のクラウドプレカットサービス「EMARF3.0」がローンチ
https://vuild.co.jp/media/emarf3-0emarf3-0をローンチ致しました。/




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