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対話と調停(記憶)

 今朝、身支度を整えていると、筋肉痛があることに気がついた。太ももの芯に走る疼痛が、普段の何気ない身体の動きをぎこちなくさせる。この久々の筋肉痛に日々の生活態度をチクリと指摘される。

 ここに2枚の曲面がある。それは形のそれぞれ異なる2枚のガラス。それを1つの箱に納めて保管するため、スペーサーを作ることになった。それぞれが箱の中で干渉しないようするためのスペーサー。2枚の異形の曲面が、整形な直方体の中で固定されるために、スペーサーは複雑な形状になった。3Dモデルで箱内部での位置を予測する。くるりくるりと回転させながら、箱やもう一方の曲面との干渉を確認する。本来はこんなに自由に動かせないはずの2枚のガラスは、右手に包まれている小さなマウスの微小な動きによって大胆に踊る。3D空間の中では衝突したはずのもの同士が、なんのリフレクションも返さず衝突したままになっている。
 スペーサーの形状を割り出すと、型紙がデータとして書き出される。コンビニに向かうとそれは紙の上にインクのシミとして私の目の前に差し出される。差し出された紙を全部広げてみると、サブロクのサイズからだいたい切り出せることがわかる。材料は緩衝と、加工性と、軽さ、総合的にスタイロフォームをホームセンターで見繕う。大きいものを気安く買ってしまうが、移動には毎回困る。

 久々にアトリエに向かった。4人でシェアして、私には7平米分が与えられている。少し手狭だと思っている。 自分とほぼ同じ高さのサイズから取り回しが効くように1部材に必要な長さを残して裁断する。切り出す位置を決めるために立ったり、座ったり、全体のサイズを身体の移動範囲で実感する。限られた広さでやっと作業幅を取れるほどのサイズになり、平置きしながら、型紙を片面ずつ貼っていく。大まかに裁断した型紙を、仮に並べていき、作業上の余白を取りつつ、端材がなるべく少なくなるように熟慮して並べる。それを貼り付けた後、大まかなラインどりしかしていない型紙を、実際の加工ラインを繊細に追って、紙だけを切り出す。スタイロには体重をかけられないので、それを避けながら限られた位置に足を置く。脚の筋肉を引き締め、上半身を安定させつつも力を抜いて柔らかく動かし、カッターを曲線に滑らせる。その後型紙に沿うようにヒートカッターで曲面を切り出していく。

 頭の中で描いた工程は、それを実行するときに、自分の所有している空間や素材、道具、身体との対話をしながら、即座に再調整を繰り返していく。繊細な加工やパワーのある加工を操作する右手と、右手の加工をサポートし素材を押さえたり、適度な力加減と、精緻な角度で固定しておける左手。右手の延長線上にある道具の切っ尖感じる抵抗感を私は知らないが、鈍い重みだけを感じる。これ以上は進めない、多分刃先がこぼれるだろう。両腕を柔軟に動かすために求められる上半身の脱力と緊張のバランス。それら上半身の活動を空間との制約の中でも行えるよう安定させるための両脚や腹筋。それを保証してくれる建物の硬い感触。私の神経のおよび知らない所にある、壁や天井と、まさに加工されようとしている素材の衝突。その素材は私の片腕で持ち上げるのが容易なほど軽い。細長い素材はちょっとそこに立っていてと言っても、一人では立っていられないらしい。重力。

 紙を一枚カッターで切るだけでもこれらの対話は膨大に行われる。作業後ふとした時に振り返ると自分がどうやってそんな膨大な素材や空間や身体からのリフレクションと対話できたのか不思議に思うことさえある。ただ、作業中の脳みそはいやにクリアなことだけを思い出す。

 翌朝はしばらく「作ること」を疎かにしていた懲罰としての痛みがクリアに脳みそに伝わってくる。他者との調停にかまけていると、脳みそが私を支配して、私を「作ること」に向かわせていた本質を見失わされる。

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