ジャック・ロンドゥン『マーティン・イーデン』ほか

ジャック・ロンドゥン郵便切手

 『鉄道』The Road

 鉄道の発展と共に、1875年(明治8年)以降のアメリカ連合国(United States of America)で、家をもたないホウボウ(hobo)、トゥランプ(tramp)と呼ばれる移動生活者が出現した。
 放浪者は路上をうろつき、 鉄道をタダ乗りした。
 ホウボウは定職を失い、放浪の旅に出て、必要に迫られた時だけ働き、ときには季節的な仕事につくこともある放浪者のことだ。
 放浪生活を送りながら、まったく仕事をしない放浪者がトゥランプと呼ばれた。

 アメリカ連合国西海岸の港湾都市サン・フランスィスコ(San Francisco)に生まれたジャック・ロンドゥン(Jack London、1876年1月12日~ 1916年11月22日)が17歳の時、船員として生まれて初めて訪れた外国は島国の大日本帝国だった。

 1893年(明治26年)1月23日から51日間を要したソフィア・サザランド号(The Sophia Sutherland)の船旅でロンドゥンは小笠原諸島に立ち寄り、10日間停泊し、さらに3か月間にわたってベリング海(Bering Sea)でアザラシ狩りに従事し、帰途には横浜に2週間滞在し、37日間かけて8月26日にサン・フランスィスコに戻った。

 『サン・フランスィスコ朝報(San Francisco Morning Call)』1893年(明治26年)11月11日号に、ジャック・ロンドゥン日本沖合の台風の物語」Story of A Typhoon off the Coast Japanが掲載された。
 これがロンドゥンの初の公刊された著作だった。

http://www.jacklondons.net/typhoon.html

 18歳のジャックロンドゥンは1894年(明治27年)に放浪者(tramp)として連合国とキャナダを放浪して回り、その体験をのちに、1907年(明治40年)2月刊の著書『鉄道』The Road(Macmillan Company)に記した。

 『鉄道』に加え、有名なホウボウ、Aナンバー1(A-No.1)ことリオン・レイ・リヴィングストゥン(Leon Ray Livingston、1872年7月16日~1944年12月8日)の1917年(大正6年)刊の『ジャック・ロンドゥンとの大陸横断』From Coast to Coast with Jack London(Erie)を下敷きにしたアメリカ映画に、ロバート・オルドゥリッチ(Robert Aldrich、1918年8月9日~ 1983年12月5日)監督、リー・マーヴィン(Lee Marvin、1924年2月19日~ 1987年8月29日)主演の『北極の帝王』Emperor of the North Pole(118分)がある。

  『北極の帝王』の撮影は1972年(昭和47年)7月11日から10月半ばまでおこなわれた。

 1973年(昭和48年)5月24日、ニュー・ヨーク・スィティ、ブロードゥウェイのUAリヴォリ(UA Rivoli)、イーストゥ・サイドゥのコロンビア1(Columbia 1)、ロング・アイランドゥのウォルトゥ・ウィットゥマンショッピング・センター(Walt Whitman Shopping Center)のセンチュリーズ・ウィットゥマン(Century's Whitman)、ニュー・ジャーズィのUAスィネマ46(UA Cinema 46)で『北極の帝王』が先行公開された。

 1973年(昭和48年)12月22日、丸の内東宝、新宿ビレッジⅡ、池袋劇場、江東リッツ、渋谷宝塚で、『北極の帝王』Emperor of the North Poleが『北国の帝王(エンペラー)』の題名で公開された。

 『鉄道』の日本語訳に、以下のものがある。

 1992年(平成4年)5月発行、ジャック・ロンドン著、辻井栄滋(1944年6月21日~)訳『アメリカ浮浪記』(新樹社、2,500円)。

 1995年(平成7年)4月発行、「地球人ライブラリー」14、ジャック・ロンドン著、川本三郎(1944年7月15日~)訳『ジャック・ロンドン放浪記』(小学館、税込1,500円)。

 2005年(平成17年)10月25日発行、辻井栄滋訳『決定版ジャック・ロンドン選集3太古の呼び声・アメリカ浮浪記』(本の友社、本体6,000円)。

 ジャック・ロンドゥンは19歳になる1895年(明治28年)1月に、オークランドゥ高校(Oakland High School)に入学し、同校の文芸誌『イージス(The Aegis)』1895年(明治28年)4月19日号に横浜滞在記「サカイチョウ、ホナ・アジ、ハカダキ」Sakaicho, Hona Asi and Hakadakiを寄稿した。

 筆者は片言のアングル語(English)を話す人力車の車夫サカイチョウの自宅に招かれ、彼の妻ホナ・アジと彼らの息子ハカダキと会う。筆者は横浜を去る直前、ホナ・アジとハカダキの葬儀に出くわす。サカイチョウの自宅周辺に火事があり、ホナ・アジとハカダキは亡くなっていた。

http://www.jacklondons.net/writings/ShortStories/sakaischo.html

 この短篇の日本語訳「人力車夫堺長と妻君と、二人の息子の話」は、2011年(平成23年)1月発行、ジャック・ロンドン著、辻井栄滋芳川敏博(1949年~)訳『ジャック・ロンドン多人種もの傑作短篇選』(明文書房、1,600円)に収められている。

 24歳のジャック・ロンドゥンは1901年(明治34年)8月1日の社会主義民主制党(Socialist Democratic Party)で「私はどうやって社会主義者になったのか」How I Became A Socialistと題する演説をおこなった。

 『野生の欲求』The Call of the Wild、『白牙』White Fang

 ジャック・ロンドゥンは下層階級から上層階級に上昇するため、作家となった。
 1902年(明治35年)、ボウア戦争(Boer Wars、1899年10月11日~1902年5月31日)の取材のため、連合王国のロンドゥンに渡った25歳のジャック・ロンドゥンは、電報で取材を解約されたが、貧民窟イーストゥ・エンドゥ(East End)に潜入した。

  『土曜夕報(Saturday Evening Post)』1903年(明治36年)6月20日号から7月18日号までの5週にわたって、1897年のキャナダのユーコン(Yukon)を舞台に、飼い慣らされた大型犬バック(Buck)が野性に回帰するまでを描く、27歳のジャック・ロンドゥンの中篇小説『野生の欲求』The Call of the Wildが連載された。

「野生の欲求」イラスト

 1903年(明治36年)7月、ジャック・ロンドゥン野生の欲求』The Call of the Wild(Macmillan Company)1万部が刊行された。

 1903年(明治36年)10月発行、ジャック・ロンドゥン奈落の人びと』The People of the Abyss(Macmillan Company)が刊行された。

 27歳のジャック・ロンドゥンは、1904年(明治37年)1月22日に再び横浜を訪れ、日露戦争の間、『サン・フランスィスコ調査員(San Francisco Examiner)』紙の戦争特派員として日本軍に従軍した。
 1904年(明治37年)2月15日に仁川(インチョン)に着いたジャック・ロンドゥンは以後、4月30日から5月1日の鴨緑江(ヤールージャン)会戦の現場まで、黒木為楨(くろき・ためもと、1844年5月3日~1923年2月3日)大将率いる第1軍に従軍し、同年6月中旬に横浜から帰国の途についた。

   1981年(昭和56年)11月30日発行、中田幸子(1932年~)『ジャック・ロンドンとその周辺』(北星堂、3.000円)、Ⅶ「ロンドンとアジア」、「日本へ来たロンドン」より引用する(302~303頁)。

さて漸くのことで、下関・釜山・仁川と、海路によって大陸入りしたロンドンは、仁川からは馬で二週間かけて平壌に着いた。大変な苦難の旅だったが、その甲斐もなく、彼は最前線から他の記者たちの集っている京城へ後退させられ、四月半ばまで足留めされた。彼による「『イグザミナー』記者京城へ送還される」の記事は、三月二十八日に書かれている。四月二十五日にこれは掲載されたが、同日同紙第一面には「嫉妬深い従軍記者たちの犠牲ジャック・ロンドン。機敏さの故に罰せられる」という別の記事も出ている。だがロンドンはこの時最前線まで行った数少ない記者の一人であり、彼が撮った写真は、この戦争をアメリカに伝えた最初のものであった。
 ロンドン自身は京城に釘付けされているというのに、彼の馬五頭と通訳は仁川に、仕事道具一式は平壌に、郵便物は安州に散らばっている有様だったというから、彼が「わたしは二度と再び東洋人共の戦争には行かない」と怒ったのも無理はない。万事遅延し、怠惰の中でいらいらさせられるばかりだった。見方によっては、東京に残されている大部分の仲間より運が悪かった。京城にあるのは連日の晩餐会ではなく、不安と、戦時価格と称してしょっちゅう物の値段を上げるホテルの責任者だけだからだ。
    身体はとても元気です。しかし軍のやり方には全く腹が立ちます。何か         月もこんな所でいらいらして得たものといえば、アジアの地理とアジア         人の性格が良く判ったということです。(五月、チャーミアンあてのノ         ート)
 ここで追い打ちをかけるように、又不幸な事件が起った。馬の飼い葉をめぐるいざこざで、ロンドンが日本人馬丁を撲ったことから、第一軍参謀長藤井茂太少将の命令で逮捕され、軍事裁判にかえられることになったのである。この時ロンドンは二十八才、少将は五十四才であった。まだ東京にいた友人のリチャード・ハーディング・デイヴィスがルーズヴェルト大統領に電報で急を知らせ、ロンドンは大統領の抗議を得て難を免れることができ、すぐさま帰国の途に着いた。五月二十二日の(チャーミアンあての)手紙には、「合衆国へ、神の国へ、白人の国へ」帰る喜びが書かれている。同じく六月四日(G・P・ブレットあて)の手紙にも「白人の国へ帰ったら……」という語句がある。

 黒木為楨とジャック・ロンドゥンについては、2014年(平成26年)12月29日発行、森孝晴(1955年~)『ジャック・ロンドンと鹿児島その相互の影響関係』(髙城書房、本体2,000円)で研究されている。 

 『野外活動雑誌(The Outing Magazine)』1906年(明治39年)5月号から10月号まで、ユーコンで生まれ、狼犬の母と狼の父をもつ「白牙(White Fang)」を主人公とする、ジャック・ロンドゥンの中篇小説『白牙』White Fangが連載された。
 1906年(明治39年)11月、ジャック・ロンドゥン白牙』White Fang (Macmillan Company)が刊行された。

 『マーティン・イーデン』Martin Eden

 ジャック・ロンドゥンは1906年(明治39年)頃から、自分の好みに合うよう設計した船スナーク号(The Snark)を7千ドルで建造し、それによって太平洋の諸島を7年かけて巡航しようと計画した。
 紆余曲折を経て、ロンドゥン夫妻は1907年(明治40年)4月22日に出航した。
 ロンドゥンが長篇小説『マーティン・イーデン』Martin Edenを構想したのはこの船上においてだった。

 『太平洋月刊雑誌(Pacific Monthly Magazine)』1908年(明治41年)9月号から1909年(明治42年)9月号まで、ジャック・ロンドゥンマーティン・イーデン』Martin Edenが連載された。
 1909年(明治42年)9月、ジャック・ロンドゥンマーティン・イーデン』Martin Eden(Macmillan Company)が刊行された。
    元船乗りのマーティン・イーデンは、金持ちの令嬢ルース・モース(Ruth Morse)と出会い、上流階級に憧れ、ハーバートゥ・スペンサー(Herbert Spencer、1820年4月27日~1903年12月8日)の道徳理論の影響を受けた著作で作家として成功する。

 19世紀末の日本の進歩的な読書教養人が熱狂的に学んだ、当時の最新思想を説く、ハーバートゥ・スペンサーの論文は、2017年(平成29年)12月6日発行、「ちくま学芸文庫」、62歳の森村進(1955年6月15日~)訳『ハーバート・スペンサー コレクション』(筑摩書房、本体1,400円)にまとめられた。

   1913年(大正2年)12月7日、ジャック・ロンドゥンの小説『シャチ』The Sea Wolf(1904) に基づく、46歳のホウバートゥ・バズワース(Hobart Bosworth、1867年8月11日~1943年12月30日)制作・監督・主演の活動写真劇『シャチ』The Sea Wolf(7巻)が公開された。この活動写真劇は現存しない。

 1914年(大正3年)7月、ジャック・ロンドゥンの小説『ジョン・バーリーコーン』John Barleycorn(1913)に基づく、46歳のホウバートゥ・バズワース制作・監督、24歳のエルマー・クリフトゥン(Elmer Clifton、1890年3月14日~1949年10月15日)主演の活動写真劇『ジョン・バーリーコーン』John Barleycorn(6巻)が公開された。この活動写真劇は現存しない。

 欧州大戦勃発直後の1914年(大正3年)8月16日、ジャック・ロンドゥン原作、47歳のホウバートゥ・バズワース制作・脚本・監督、ロレンツ・ペイトゥン(Lawrence Peyton、1895年1月27日~1918年10月10日)主演の活動写真劇『マーティン・イーデン』Martin Eden(6巻)が公開された。全6巻のうち、第1、第2、第5、第6巻のみプリントが現存する。

  大東亜戦争中の1942年(昭和17年)2月26日、ジャック・ロンドゥン原作、30歳のスィドゥニ・サルコウ(Sidney Salkow、1911年6月16日~2000年10月18日)監督、25歳のグレン・フォードゥ(Glenn Ford、1916年5月1日~ 2006年8月30日)、31歳のクレア・トゥレヴァー(Claire Trevor、1910年3月8日~2000年4月8日)、エヴリン・キーズ(Evelyn Keyes、1916年11月20日~2008年7月4日)主演のアメリカ映画『マーティン・イーデンの冒険』The Adventures of Martin Eden (87分)が公開された。
   撮影は開戦直前の1941年(昭和16年)11月4日から12月5日におこなわれた。追加撮影は12月7日の開戦の10日後の12月17日からおこなわれた。撮影監督は47歳のフランツ・F・プラナー(Franz Planer、1894年3月29日~1963年1月10日)だ。

 1957年(昭和32年)3月刊、57歳のウラジーミル・ナボコフ(Vladimir Nabokov、1899年4月22日~1977年7月2日)の小説『プニン』Pnin (Heinemann)には、主人公のラッスィーア語教授プニンが書店で『マーティン・イーデン』Martin Edenを買おうとするが、書店員は誰もこの本のことを知らず、ジャック・ロンドゥンの著書は最初の短篇集『狼の息子』The Son of the Wolf(1900)しか置いていないという描写がある。

 1971年(昭和46年)4月発行、ウラジーミル・ナボコフ著、大橋吉之輔(1924年11月27日~1993年11月2日)訳『プニン』(新潮社、700円)が刊行された。

 2012年(平成24年)9月発行、ウラジーミル・ナボコフ著、大橋吉之輔訳『プニン』(文遊社、2,800円)が刊行された。

 1974年(昭和49年)10月15日発売、24歳のトム・ウェイツ(Tom Waits、1949年12月7日~)のアルバム『土曜の夜の心』The Heart of Saturday Night(Asylum Records ‎– 7E-1015)に収録された「こりゃおったまげたぜ」Shiver Me Timbersにマーティン・イーデン(Martin Eden)への言及がある。

   1976年(昭和51年)、ワーナー・パイオニアから、「アサイラム・キャンペーン」第1回発売として、『土曜日の夜トム・ウェイツ・セカンド』The Heart Of Saturday Night のLP盤(P-10243Y、2,500円)が発売された。「シヴァー・ミー・ティンバース」Shiver Me Timbersも収められた。
 解説は麻田浩(1944年12月25日~)だ。

 「こりゃおったまげたぜ」と譯しておいた"Shiver me timbers"は、つくり話に登場するブリトゥンの海賊の決まり文句で、ロバート・ルイ・スティーヴンスン(Robert Louis Stevenson、1850年11月13日~1894年12月3日)の冒険小説『宝島』Treasure Island(1883)の海賊船長、のっぽのジョン・シルヴァー(Long John Silver)の台詞として有名になった。

マーティン・イーデンも今の俺を誇りに思うはず
それに、これまで海に魅せられてきた多くの先人が
マストの上の見張り台で、こう歌いかける
「こりゃおったまげたぜ」、俺は船で遠くに行く
And I know Martin Eden's gonna be proud of me  
And many before me, who've been called by the sea 
To be up in the crow's nest, and singing my say 
Shiver me timbers, I'm a-sailing away

  1984年(昭和59年)5月23日、キャンヌ国際映画祭で上映された、55歳のセルジョ・レオーネ(Sergio Leone、1929年1月3日~1989年4月30日)監督、40歳のロバートゥ・デ・ニーロ(Robert De Niro、1943年8月17日~)主演のアメリカ映画『むかしむかしアメリカで』Once Upon a Time in America(229分)の1920年(大正9年)の少年時代のヌードゥルズ(Noodles)はトイレで便座に掛け、マクミラン社(Macmillan Company)の1916年(大正5年)版の『マーティン・イーデン』Martin Edenを読んでいる。

 この版はインターネット・アーカイヴで読むことができる。

 1984年(昭和59年)10月6日、有楽町マリオン11階から13階にオープンした日本劇場1(座席数944)のこけらおとしで、『むかしむかしアメリカで』Once Upon a Time in Americaの短縮版(144分)が『ワンス・アポン・ア・タイムイン・アメリカ』の題名で公開された。

 2004年(平成16年)5月刊、72歳のウンベルト・エコ(Umberto Eco、1932年1月5日~2016年2月19日)の自伝的長篇小説『女王ロアーナの神秘の炎』La misteriosa fiamma della regina Loana (Bompiani)にも『マーティン・イーデン』Martin Edenへの言及がある。

 2018年(平成30年)1月18日発行、ウンベルト・エーコ著、65歳の和田忠彦(1952年3月6日~)訳『女王ロアーナ、神秘の炎』上・下(岩波書店、本体各2,400円)が刊行された。

 2015年(平成27年)10月15日発行、61歳の柴田元幸(1954年7月11日~)責任編集による文芸誌『MONKEY』(スイッチパブリッシング)Vol.7(本体1,200円)「古典復活」特集掲載の、66歳の村上春樹(1949年1月12日~)と柴田元幸の対談「帰れ、あの翻訳」で『マーティン・イーデン』Martin Edenは高く評価されている。

 『マーティン・イーデン』Martin Edenの日本語訳に以下のものがある。

 1956年(昭和31年)11月発行、ジャック・ロンドン著、斎藤数衛(1916年~)、木内信敬(1917年~1997年8月7日)訳『絶望の青春マーチン・イーデン』(新鋭社、260円)。

 1986年(昭和61年)2月20日発行、辻井栄滋訳『ジャック・ロンドン自伝的物語』(晶文社、3,600円)。
 表紙帯に「19世紀末のサンフランシスコ――そこが彼の戦場だった。」「『野性の呼び声』の作家が、若き日の夢と恋と闘いをみずみずしく描く。」とある。

 2006年(平成18年)4月25日発行、辻井栄滋訳『決定版ジャック・ロンドン選集4マーティン・イーデン』(本の友社、本体6,000円)。
 表紙帯に「生まれも育ちもまったく異なる上流階級の女性に心奪われた貧しい若者が、職業作家を志すに至る自伝的ロマン」とある。

 2018年(平成30年)9月18日発行、「エクス・リブリス・クラシックス」、ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳『マーティン・イーデン』(白水社、本体3,600円)。
 表紙帯に「絶望の青春」「ジャック・ロンドンの自伝的物語」「船乗りマーティンは上流階級の女性と出会い、新しい世界へ足を踏み入れる。野心を胸に作家を目指す若者の不屈の戦いを描いて、読者の心を揺さぶり続けてきた名作。」とある。

 2019年(令和元年)9月2日、ヴェネーツィア国際映画芸術祭で、ジャック・ロンドゥン原作、43歳のピエートゥロ・マルチェッロ(Pietro Marcello、1976年7月2日~)監督、34歳のルーカ・マリネッリ(Luca Marinelli、1984年10月22日~)主演、イターリアとフランスの合作映画『マルティン・エーデン』Martin Eden(129分)が公開された。
 「赤い二年(Biennio Rosso)」と1970年代の間の時代を超えたナーポリ(Napoli)の船員マルティン・エーデンを主人公とする。

 2020年(令和2年)9月18日、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかで、映画『マーティン・エデン』Martin Edenが公開された。

 『野性の呼聲』The Call of the Wild

 1916年(大正5年)11月22日、40歳のジャック・ロンドゥンはグレン・エレン(Glen Ellen)の農園の自室でモルヒネを飲み自殺した。

 ジャック・ロンドゥンが日本で大流行したのは、ロンドゥンの没後、欧州大戦終了後、世界体制が更新され、西洋の伝統教養への懐疑が強まった時代だった。
 そのきっかけとなったのは、ジヤツク・ロンドン著、堺利彦(1871年1月15日~1933年1月23日)訳『野性の呼聲』だった。『野生の欲求』The Call of the Wildの初の日本語訳だ。

 1991年(平成3年)4月発行、中田幸子父祖たちの神々ジャック・ロンドン、アプトン・シンクレアと日本人』(国書刊行会、3,700円)が刊行された。

 欧州大戦中の1917年(大正6年)10月、31歳の内藤民治(1885年10月28日~1965年7月15日)が創刊した月刊の総合雑誌『中外』(中外社)第1号から第8号まで、ジヤツク・ロンドン著、堺利彦訳『野性の呼聲』が連載された。
 辻潤(1884年10月4日~1944年11月24日)もこの連載を愛読していた。

 1919年(大正8年)5月、ジャック・ロンドン著、堺利彦訳『野性の呼聲』(叢文閣、80銭)が刊行された。
 あとがきは41歳の有島武郎(1878年3月4日~1923年6月9日)が書いている。
 有島は1908年(明治41年)に東北帝國大學農科大學で『野生の欲求』の原書を英語(English)の教科書として使っていた。

 2010年(平成22年)10月7日発行、52歳の黒岩比佐子(1958年5月1日~2010年11月17日)『パンとペン社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、本体2,400円)、第八章「多彩な出版活動」、「ジャック・ロンドン『野生[ママ]の呼声』」を引用する(334~336頁)。

 堺が『中外』に発表した作品で注目すべきは、第一号から第八号に連載したジャック・ロンドンのThe Call of the Wild(『野性の呼声』)の翻訳だ。これは、一九一九年五月に叢文閣から単行本が刊行されているが、堺が手がけた翻訳作品のなかでも、多くの人々に愛読されたものだといっていい。
 同じくジャック・ロンドンのWhite Fangを訳した「ホワイト・ファング」(『白い牙』)も、雑誌『改造』に連載したのち、同じく叢文閣から刊行された。堺が説明しているように、この二つの作品はジャック・ロンドンの小説のなかでも、動物心理の考察、犬と狼の生活、およびそれと人間との関係を描写した珍しいもので、一対の姉妹編となっている。
 『野性の呼び声』は、南国の飼い犬が北地へ行って橇(そり)犬となり、ついに山に入って狼の群れの首領となる話であり、『ホワイト・ファング』は山中に生まれた狼の子が、橇犬となり、闘犬となり、最後には南国に移って、主人に忠誠を極めた飼い犬になるという物語だ。二匹の犬、あるいは狼がまったく逆のルートで、数奇な運命をたどっていくところが興味深い。
 ジャック・ロンドンと堺利彦については、英米文学者の中田幸子氏が『父祖たちの神々――ジャック・ロンドン、アプトン・シンクレアと日本人』でくわしく述べている。同書を参考に、堺がこの作品を訳した理由を考えてみたい。
 中田氏によれば、ジャック・ロンドンを初めて本格的に日本に紹介したのは堺利彦で、日本人の多くは堺訳『野性の呼声』を経由してジャック・ロンドンという作家を知った。『野性の呼声』で人気を得たロンドンは、大正期後半の日本で大流行することになる。
 木村毅の『日米文学交流史の研究』に「ジャック・ロンドンと日本」の章があるが、それによると、ロンドンは少年時代に船員として初めて日本に来て、日露戦争の際には、新聞社の特派員として日本軍に従軍したこともある。社会主義者であるロンドンは、帰国後も日本の社会主義運動の動向に関心をもち続けていた。一九一一年一月二十一日付『大阪朝日新聞』は、大逆事件で幸徳秋水らが死刑の判決を受けたのに対して、ロンドンが抗議の運動を準備中だと報じている。
 木村毅は、ロンドンのThe Call of the Wildを最初に読んだ日本人として、『ジャパン・タイムズ』編集部にいた花園兼定の名前を挙げている。花園は一九一二年ごろにアメリカから原書を取り寄せて読んだらしい。花園はロンドンの短篇が好きで、自分で訳してもいたようだが、The Call of the Wildの翻訳には至らなかった。一方、堺はロンドンを社会主義者として知ったと思われる。
 堺は『野性の呼声』の序文で、雑誌『中外』が創刊されるときに同誌主幹の内藤民治から、何か奇抜で面白い翻訳小説を載せたいという相談を受け、躊躇なくこの作品を推薦したと述べている。さらに、自分がこの小説を翻訳することを提案すると、内藤も大賛成したという。
 また、同書には有島武郎によるあとがきがある。それによると、有島が札幌で英語の教員をしていたとき、ふと思いついて教科書に採用したのがThe Call of the Wildで、学生たちはその時間を待ち遠しがり、小説の題から取った「ワイルド会」というものができたほどだったという。札幌の学校とは、有島の母校の東北帝国大学農科大学(旧・札幌農学校)である。
 有島はそれまでジャック・ロンドンの作品を読んでいたわけではなく、たまたま広告文を見てアメリカから取り寄せて読んだにすぎなかった。しかし、この作品が学生たちに与えた影響は大きく、有島の教え子の一人である市岡猛は、この作品で自分の人生観が一変したと感じて、ついに全部を訳してしまった。市岡からその翻訳原稿を受け取った有島は、できれば本にしてやりたいと思い、いくつか出版社に当たったが、訳者が無名であるためどこも引き受けてくれなかった。また、市岡の訳がまずい部分もあり、それを訂正するのも面倒なので、そのままになっていたのだった。
 その後、『中外』に堺訳が載るようになって、有島がやきもきしているうちに完結する。堺に会ったとき、有島が市岡の翻訳原稿のことを話すと、堺は参考にしたいので見せてほしいといい、有島は原稿を堺に貸す。その後、多少参考になったという境に、有島が市岡のことをどこかに明記してほしいと頼み、堺はそれを快諾した。その約束通り、堺は『野性の呼声』の序文に、自分より早く市岡がこの作品を全訳していたことを書いている。

    さらに引用する(339~340頁)。

 辻潤も『中外』で読んだ堺訳の「野性の呼声」に夢中になり、ついには『中外』の発行を待ちきれず、原書を古本屋で購入して読んだ。その後。辻潤はジャック・ロンドンが自分の作品のなかで最高傑作と信じていた『奈落の人々』の翻訳を始める。また、一九〇二年に来日して日本で二十代の日々を過ごしていた魯迅も、『野性の呼声』を読んで感銘を受けている。
 中田幸子氏によれば、魯迅はアメリカ留学中だった友人に、ロンドンの作品を中国に移入することを促し、その結果、一九二〇年代の終わりごろから、中国でもロンドンの作品が訳されるようになったという。中田氏は「堺の翻訳は遠く大陸にまで影響を及ぼしたことになる」と強調している。
 堺利彦が亡くなったとき、棺のなかに納められたものは、妻の為子と愛娘の真柄の写真、そして、最新刊の堺訳『野性の呼声』一冊だった。

 2013年(平成25年)10月16日発行、「講談社文庫」、黒岩比佐子パンとペン社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、本体1,010円)も刊行された。

 『改造』(改造社)1919年(大正8年)7月号に、ジヤツク・ロンドン著、34歳の辻潤譯『どん底の人々』が掲載された。『奈落の人びと』The People of the Abyssの日本語訳だ。

 1920年(大正9年)4月23日発行、JACK LONDON著、37歳の宮原晃一郎(1882年9月2日~1945年6月10日)訳『野性より愛へ』(叢文閣、1円40銭)が刊行された。『白牙』White Fangの日本語訳だ。

 1920年(大正9年)6月10日発行、「労働文芸叢書」第3編、ジヤック・ロンドン、32歳の和氣律次郎(わけ・りつじろう、1888年1月29日~1975年5月22日)譯『奈落の人々』(叢文閣、1円50銭)が刊行された。

 1925年(大正14年)10月21日発行、ジヤツク・ロンドン著、堺利彦訳『ホワイト・フアング白牙』(叢文閣、1円60銭)が刊行された。

 「はしがき」の追記より引用する(3頁)。

▲『野性の呼聲』では『ワイルド』といふ原語を主觀的に見て『野性』と譯し、時としては『山野』とも譯して置いたが、この書では更にそれを『蠻地』或は『蠻氣』とも譯し、時としては單に『山』とした所もある。『野生』とした所もある。何しろこの『ワイルド』といふ言葉には非常に困つた。その外、これに類した困難や、苦心や、まづさや、もどかしさは到る處にある。間違も必ずあるだらう。殊にスラング(俗語)の多いのには閉口した。十分明瞭でないのを、その上よく調べる暇を得ないで、止むなくその儘にしたのも幾箇所かある。
▲若し讀者諸君の中、それらの誤譯、拙譯の箇所を指摘して、敎示を賜はる方があれば、譯者は大いに喜びます。譯者の住處は東京麹町八ノ二四。

 1929年(昭和4年)2月3日発行、「改造文庫」第二部・第五十三篇、ジヤック・ロンドン著、堺利彦譯『ホワイト・フアング』(改造社、30銭)が刊行された。

 1929年(昭和4年)12月発行、「改造文庫」第二部・第百十三篇、ジヤック・ロンドン著、和氣律次郎譯『奈落の人々』(改造社、30銭)が刊行された。

 1931年(昭和6年)12月6日発行、「世界文學全集」第2期・第9巻(第14回配本)『ジェニー・ゲルハート白い牙』(新潮社)が刊行された。
 ドライサー(Theodore Dreiser)著、40歳の高垣松雄(1890年12月13日~1940年9月13日)譯『ジェニー・ゲルハート』Jennie Gerhardt(1911)、ジャック・ロンドン著、33歳の北村喜八(1898年11月17日~1960年12月27日)譯『白い牙』が収められた。

 1932年(昭和7年)12月29日発行、「世界名作文庫」425、昭和7年、ジャック・ロンドン作、堺利彦訳『野性の呼聲』(春陽堂、20銭)が刊行された。表紙等の表記は『野性の叫聲』となっている。

 「まへがき」より引用する(5頁)。

 原書の表題はThe Call of the Wildといふので、Callは『招き』と譯するが適切かと思はれる節もあり、又Wildは『原始』と譯するがよからうと云ふ説も聞いたが、本文中の詞など彼是と考へあはせて、結局『野性の呼聲』とした。又この言葉は多分何か出處のあるものと考へて、色々調べても見、人にも聞いて見たが、いまだに分らぬ。

 1935年(昭和10年)8月9日、ジャック・ロンドゥン原作、38歳のウィリアム・ウェルマン(William Wellman、1896年2月29日~1975年12月9日)監督、33歳のクラーク・ゲイブル(Clark Gable、1901年2月1日~1960年11月16日)主演の映画『野生の欲求』The Call of the Wild(89分)が公開された。 
 撮影は1934年(昭和9年)12月14日から1935年(昭和10年)3月18日までおこなわれた。追加撮影は1935年(昭和10年)3月23日におこなわれた。撮影監督は49歳のチャールズ・ロウシャー(Charles Rosher、1885年11月17日~1974年1月15日)だ。

    1936年(昭和11年)1月29日、本郷座、道元坂キネマ、昭和館、芝園館、淺草日本館で、アメリカ映画『野生の欲求』The Call of the Wildが、『野性の叫び』の題名で公開された。
 同時上映は、日本劇場で1月6日に封切られた、サム・ウッドゥ(Sam Wood、1883年7月10日~1949年9月22日)監督、リチャードゥ・アーレン(Richard Arlen、1899年9月1日~ 1976年3月28日)主演『暗黒街全滅』Let 'em Have It (96分。1935年5月17日公開)だった。
 淺草日本館では、バスター・キートゥン(Buster Keaton、1895年10月4日 ~1966年2月1日)監督・主演『キートンの脱線水兵』Tars and Stripes(20分。1935年5月3日公開)も上映された。

 2020年(令和2年)7月9日発売、『冒険映画 コレクション 密林の黄金』DVD10枚組 (ACC-192、コスミック出版、本体1,800円)に、『ガンガ・ディン』Gunga Din(117分。1939年)、『世界を彼の腕に』The World in His Arms(104分。1952年)、『雷鳴の湾』Thunder Bay(103分。1953年)、『野性の叫び』Call of the Wild(81分。 1935年)、『蛮地の太陽』White Witch Doctor(96分。1953年)、『キング・ソロモン』King Solomon's Mines(102分。1950年)、『海底の大金塊』City Beneath the Sea(83分。1953年)、『密林の黄金』Mark of the Gorilla(68分。1950年)、『無限の青空』Ceiling Zero(91分。1936年)、『モロッコへの道』Road to Morocco(82分。1942年)の10作品が収められた。

 『馬上の水夫』

 1938年(昭和13年)1月、34歳のアーヴィング・ストウン(Irving Stone、1903年7月14日~1989年8月26日)による『馬上の水夫ジャック・ロンドゥン伝記』Sailor on Horseback: The Biography of Jack London (Houghton Mifflin)が刊行された。

   1943年(昭和18年)12月24日、日露戦争までのジャック・ロンドゥンを描く、47歳のアルフレッドゥ・サンテル(Alfred Santell、1895年9月14日~1981年6月19日)監督、37歳のマイクル・オウシェイ(Michael O'Shea、1906年3月17日~1973年12月4日)、26歳のスーザン・ヘイワードゥ(Susan Hayward、1917年6月30日~1975年3月14日)主演の反日宣伝映画『ジャック・ロンドゥン』Jack London(94分)が公開された。
 35歳のサミュエル・ブロンストゥン(Samuel Bronston、1908年8月7日~1994年1月12日)の制作した最初の映画だった。
撮影は1943年(昭和18年)7月14日から9月21日にかけておこなわれた。
ヘイワードゥは、後にロンドゥンの二番目の妻となる秘書チャーミアン・キトゥレジ(Charmian Kittredge、1871年11月27日~1955年1月14日)を演じた。
 1時間を過ぎたところで。日本の城の外見に「君が代」を編曲した伴奏音楽が流れる。
 1904年(明治37年)、日本海軍の士官が奇妙な日本語で旅順口攻撃での成果を外国人の特派員たちの前で報告する。「外国の??達よ、朝日の??があぐろー。乃木大将はこの??を??した。この軍隊は(……)ロシアの全艦隊を撃沈した(万歳)みんな**の寄宿舎へ行け」
 「君が代」の編曲はこのあとも街道をラッスィーア兵の捕虜を連れた日本軍の行進場面でも使われる。
 ジャックと知り合うオクスフッドゥ大学(University of Oxford)卒の田中大佐(Captain Tanaka)を35歳のレナードゥ・ストゥロング(Leonard Strong、1908年8月12日~1980年1月23日)が演じる。
 田中によると日本の韓半島征服は日本の東アジア支配の第一歩に過ぎないという。

映画「ジャック・ロンドゥン」の田中

 日本軍の大砲の写真を撮ったジャックは逮捕され、ラッスィーア兵の収容された劣悪な待遇の収容所に連行される。収容されたジャックが窓越しに見守る中、収容所で水を与えられていなかったラッスィーア人たちが、建物の外に出て、水道に殺到すると、日本兵が機関銃をもって現れ、嬉しそうに笑いながらラッスィーア兵を皆殺しにする。

 『ミステリマガジン』(早川書房)1966年(昭和41年)4月号から1967年(昭和42年)8月号まで、ストーン著、橋本福夫(1906年3月4日~1987年1月13日)訳『馬に乗った水夫』が連載された。

 1968年(昭和43年)5月15日発行、「ハヤカワ・ノンフィクション」、アーヴィング・ストーン著、橋本福夫訳『大いなる狩人、ジャック・ロンドン馬に乗った水夫』(早川書房、480円)が刊行された。
 帯に「放浪と冒険、文学と革命の生涯!」「わずか15歳にしてカキ密漁界に君臨して以来の、幾度かの生死を賭けた放浪と冒険のなかで20世紀文学の先駆的作品『野性の呼び声』『白い牙』を創造し、燃ゆる炎のごとく、鮮烈に、壮大に生きた男ジャック・ロンドンを描く」とある。

 1977年(昭和52年)7月15日発行、「ハヤカワ文庫NF」7、アーヴィング・ストーン著、橋本福夫訳『ジャック・ロンドン、創作と冒険と革命馬に乗った水夫』(早川書房、450円)が刊行された。
 カヴァー裏表紙より引用する。

1914年11月21日夜、生涯最後の傑作、壮麗なる王城“狼城”の炎上とともに衰弱した精神に耐えきれず、20世紀初頭の生んだ天才作家ジャック・ロンドンは一薪の炎が燃え尽きるようにみずからの命を絶った……。1876年、博学の占星術家と移り気で分裂症的な女性を両親として生まれた彼は、絶望的な貧困の中で苛酷な労働に耐え、その強靭な肉体と精神をもって、わずか15歳でカキ密漁界の無法者たちに君臨する。以後、彼はその生涯を、アラスカ放浪、南太平洋への航海など幾多の放浪と冒険、そして文学と革命の中に極限まで燃焼し尽くしたのだった。内より湧き上がる行動への渇望のままに峻烈に生きた冒険家であり、社会的名望家に仮借ない批判を浴びせた社会主義者であり、そして『野生の呼び声』『白い牙』などで絶賛を博した20世紀文学の先駆者だったジャック・ロンドン。その波瀾の生涯を、著者アーヴィング・ストーンが簡潔な文体で見事に浮き彫りにする不滅の伝記文学!

 単行本のカヴァーの長い惹句では、「生命力を喪失した19世紀文学と訣別して、鮮烈な内容と新しい文体をもった20世紀文学の先駆的な作品『野性の呼び声』『白い牙』『マーティン・イーデン』を創造したベストセラー作家」とあったが、短縮に際し、『マーティン・イーデン』が削られた。

   1979年(昭和54年)1月、ラス・キングマン(Russ Kingman、1917年~1993年)『ジャック・ロンドゥンの写真で見る生涯』A Pictorial Life of Jack London (Crown)が刊行された。

    1989年(平成元年)9月発行、ラス・キングマン著、辻井栄滋訳『地球を駆けぬけたカリフォルニア作家 : 写真版ジャック・ロンドンの生涯』(本の友社、6,000円)が刊行された。

    2004年(平成16年)5月22日発行、ラス・キングマン著、辻井栄滋訳『地球を駆けぬけたカリフォルニア作家 : 写真版ジャック・ロンドンの生涯』改訂版(本の友社、本体6,000円)が刊行された。

 2006年(平成18年)6月30日発行、「ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース」、アーヴィング・ストーン著、橋本福夫訳『馬に乗った水夫ジャック・ロンドン、創作と冒険と革命』(早川書房、本体2,500円)が刊行された。

  戦後の日本と『荒野の呼び声』

 日本がアメリカ連合国との戦争に敗れ、アメリカの軍事・経済支配化に置かれ始めた時代、日本でよく知られたジャック・ロンドゥンの著作は、児童向けの翻案を中心とする動物小説『野生の欲求』The Call of the Wildと『白牙』White Fangに限定された。 
 『野生の欲求』は『荒野の呼び声』、『白牙』は『白いきば』もしくは『白い牙』の題名で日本の小学生に親しまれるようになった。

 1946年(昭和21年)5月25日発行、野村愛正(1891年8月21日~1974年7月6日)著、ジャック・ロンドン原著『猛獸冒險白い牙』(偕成社、40円)が刊行された。挿絵は山川惣治(1908年2月28日~1992年12月17日)だ。

 1950年(昭和25年)3月発行、飜譯權取得、ジャック・ロンドン作、山本政喜(やまもと・まさき、1899年4月20日~1960年4月7日)譯『白い牙(ホワイトファング)(完譯)』(万有社、190円)が刊行された。
 表紙帯に「荒野の主、神を畏れぬ逞しき野性の描寫。その中にひそむ人間社會への痛烈な批判と諷刺は、われわれの魂と感情をゆさぶらざには措かない。」とある。

 1950年(昭和25年)6月発行、飜譯權取得、ジャック・ロンドン作、山本政喜譯『野生の呼び声』(万有社)が刊行された。
 表紙カヴァーに「零下50度――氷雪に被われたユーコンの荒野を舞台に、奇才ジャック・ロンドンが描く逞しき野性の物語。思想と國境を超越して全人類に愛讀せられる世界永遠のベストセラー!」とある。

 1950年(昭和25年)11月1日発行、ジャック・ロンドン作、山本政喜訳『奈落の人々』(万有社)が刊行された。

 1953年(昭和28年)4月5日発行、「角川文庫」589、ジャック・ロンドン著、山本政喜訳『荒野の呼び声』(角川書店)が刊行された。

 1954年(昭和29年)2月28日発行、「講談社版世界名作全集」69、ロンドン原作、野村愛正訳、古賀亜十夫(1905年~2003年)絵『白いきば』(大日本雄弁会講談社、200円)が刊行された。

 1954年(昭和29年)12月5日発行、「岩波文庫」5313、ジャック・ロンドン作、56歳の岩田欣三(1898年2月5日~1986年6月5日)訳『荒野の呼び声』(岩波書店)が刊行された。

   1955年(昭和30年)12月15日発行、「世界少年少女文学全集」36(第39回配本)、『アメリカ篇6ジャック・ロンドン作『荒野の呼び声』ウェブスター作『あしながおじさん』他』(東京創元社、380円)に、ジャック・ロンドン著、阿部知二(1903年6月26日~1973年4月23日)訳『荒野の呼び声』、ウェブスター(Jean Webster)著、川端康成(1899年6月14日~1972年4月16日)、野上彰(1909年2月15日 ~1967年11月4日)訳『あしながおじさん』Daddy-Long-Legs(1912)、 サンドバーグ(Carl Sandburg)著、新庄哲夫(1921年10月28日~2006年1月10日)訳「黄金のアコーデオン」The Potato Face Blind Man Who Lost the Diamond Rabbit on His Gold Accordion(1922)、 サロイアン(William Saroyan)著、斎藤襄治(1917年8月26日~2007年6月12日)訳「美しき白馬の夏」The Summer of the Beautiful White Horse(1940)が収められた。

    1956年(昭和31年)9月15日発行、「講談社版世界名作全集」148、ロンドン原作、岩田良吉(岩田欣三)訳、村上松次郎(1897年11月27日~1962年4月27日)絵『荒野の呼び声』(大日本雄弁会講談社、200円)が刊行された。

 1950年代から1960年代にかけて、ジャック・ロンドゥンの影響を受けて、日本語で動物小説を書き続けた児童小説作家、椋鳩十(むく・はとじゅう、1905年1月22日~ 1987年12月27日)と戸川幸夫(1912年4月15日~2004年5月1日)の野生動物を主人公とする小学生向けの小説が多く読まれた。
 25歳の椋鳩十は1930年(昭和5)5月に種子島の中種子高等小学校代用教員となり、同年8月に鹿児島県の町立加治木高等女学校教師になり、以後17年間勤務したが、この頃から主な作品を書き始めた。
 椋は敗戦後の1947年(昭和22年)11月に鹿児島県立図書館長となった。

 『別冊文藝春秋』(文藝春秋新社)1955年(昭和30年)7月号、8月号に、43歳の戸川幸夫爪王」が掲載された。
 発行月未確認だが、1956年(昭和31年)発行、戸川幸夫日本動物誌』(文藝春秋新社)が刊行された。  

 『毎日新聞』夕刊に1956年(昭和31年)12月15日から1957年(昭和32年)12月まで、 大雪山連峰と東川町を舞台に、オオカミと猟犬の混血犬キバを主人公にした、戸川幸夫作、佐藤泰治(1915年1月13日~1960年3月11日)挿絵『山のキバ王』が連載された。

  1957年(昭和32年)10月発行、戸川幸夫牙王物語』上巻(角川書店、240円)が刊行された。『山のキバ王』の改題版だ。
 1958年(昭和33年)1月5日発行、戸川幸夫牙王物語』下巻(角川書店、260円)が刊行された。

 1963年(昭和38年)12月、「少年少女教養文庫」2、椋鳩十著、須田寿絵『少年少女動物文学孤島の野犬』(牧書店)が刊行された。

 1998年(平成10年)7月発行、森孝晴椋鳩十とジャック・ロンドン』(高城書房、本体1,800円)が刊行された。

 1972年(昭和4 7年)11月30日、イターリアで、ジャック・ロンドゥン原作、57歳のケン・アナキン(Ken Annakin、1914年8月10日~2009年4月22日)監督、48歳のチャールトゥン・ヘストゥン(Charlton Heston、1923年10月4日~2008年4月5日)主演の欧州六か国合作映画『野生の欲求』Il richiamo della foresta(The Call of the Wild)(103分)が公開された。
 撮影は1972年(昭和47年)3月27日から5月2日までおこなわれた。屋外場面はスオーミ、ノルゲ、エスパニアで撮影された。撮影監督は、47歳のジョン・カブレラ(John Cabrera、1925年1月14日~2014年4月18日)だ。

 1973年(昭和48年)3月24日、丸の内ピカデリーで、欧州合作映画『野生の欲求』The Call of the Wildが『野性の叫び』の題名で公開された。

    1973年(昭和48年)3月30日26刷、「角川文庫」、ジャック・ロンドン著、山本政喜訳『野性の叫び』(角川書店、140円)のカヴァー表紙には映画『野性の叫び』のスチル写真が用いられた。

 発行月未確認だが、1973年(昭和48年)発行、「潮文庫」、J・ロンドン著、新庄哲夫訳『奈落の人びと』(潮出版社、190円)が刊行された。

 1974年(昭和49年)12月25日、日本テレビの21時30分から22時56分までの『水曜ロードショー』で欧州合作映画『野性の叫び』日本語吹替え版が放映された。
 チャールトン・ヘストンの吹き替えは45歳の納谷悟朗(なや・ごろう、1929年11月17日~2013年3月5日)だった。

 児童向けのテレビ雑誌『テレビマガジン』(講談社)1976年(昭和51年)12月号、1977年(昭和52年)3月号から5月号のふろくに、ジャック・ロンドン作「野性の呼び声」1903年より石川球太(1940年1月16日~2018年10月15日)の感動動物まんが『ほえろ!バック』が連載された。

 1977年(昭和52年)6月15日発行、「講談社コミックスTVマガジン」KCT813、原作/ジャック・ロンドン石川球太荒野の呼び声』1、「講談社コミックスTVマガジン」KCT814、原作/ジャック・ロンドン石川球太荒野の呼び声』2(講談社、各350円)が刊行された。『ほえろ!バック』の改題版だ。

 1981年(昭和56年)1月3日、フジテレビで、14時35分から16時までの『日生ファミリースペシャル』で、ジャック・ロンドゥン原作、森下孝二監督のテレビアニメ『荒野の呼び声 吠えろバック』(115分)が放映された。

 1982年(昭和57年)5月5日、TBSで、15時30分から16時55分まで、ジャック・ロンドゥン白牙』White Fangを原作とするテレビアニメ『白い牙ホワイトファング物語』(75分)が放映された。
 演出は39歳の神田武幸(1943年8月11日~1996年7月27日)、脚本は萩原市郎、監督・絵コンテは35歳の吉川惣司(1947年2月22日~)、キャラクターデザインは34歳の安彦良和(やすひこ・よしかず、1947年12月9日~)だ。

 1985年(昭和60年)11月発行、「現代教養文庫」、ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳『どん底の人びと』(社会思想社、520円)が刊行された。

    1986年(昭和61年)1月11日、アメリカで、ジャック・ロンドゥン生誕110周年の前日、「偉大なアメリカ人(Great Americans)」シリーズの1枚として、ジャック・ロンドゥンの肖像画の25セント郵便切手が5,985万枚発行された。

 1995年(平成7年)10月16日発行、ジャック・ロンドン作、行方昭夫(なめかた・あきお、1931年9月14日~)訳『どん底の人びと : ロンドン1902』(岩波文庫、税込670円)が刊行された。
 表紙カヴァーに「1902年夏、エドワード七世の戴冠式でにぎわうロンドンのイースト・エンドの貧民街に潜入したジャック・ロンドン(1876 - 1916)が、「心と涙」で書き上げたルポルタージュ(1903)。救世軍の給食所での不衛生な食事、小さな靴工場の悲惨な労働環境――苛酷な世界に生きる人びとの姿が迫真の筆致で描かれる。著者撮影の写真数点を収録。」とある。

 2005年(平成17年)10月発行、辻井栄滋訳『決定版ジャック・ロンドン選集1野性の呼び声・どん底の人々』(本の友社、本体6,000円)が刊行された。

 2020年(令和2年)2月21日、アメリカ連合国で、ジャック・ロンドゥン原作、56歳のクリス・サンダース(Chris Sanders、1962年3月15日~)監督、76歳のハリスン・フォードゥ(Harrison Ford、1942年7月13日~)主演の映画『野生の欲求』The Call of the Wild(100分)が公開された。
    主要な撮影は2018年(平成30年)9月からロサンジェレスでおこなわれ、屋外場面にはCGIが用いられた。

 2020年(令和2年)2月28日、日本で映画『野生の欲求』The Call of the Wildが『野性の呼び声』の題名で公開された。 


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ジャック・ロンドゥン『マーティン・イーデン』ほか

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