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きえたかったあの頃


新しい生活が始まりまして、それに関する楽しいやら面白いやら、大変やら悩むやらという話をするための、leleとは別のツイッターアカウントをつくろうとしていました。

メールアドレスから作ってアカウントを作るのは面倒なので、昔少し使って放置していたアカウントを再利用しようかと思い、ログインして手動で全削除した先日。

全削除は終わったけど、以前から何度も考えている、新しいアカウントをつくろうとしてやっぱりやめるというループから、今回も抜け出せませんでした。


思い出したくない記憶はすぐに忘れようとする人間なので、過去のいちばん仕事が嫌だったときに、仕事を頑張るために作ったアカウントのツイートを全削除したことは正しいと思っているのですが、

私にとってはツイッターは良いも悪いも自分の言葉や考えを記録しておくために使っているので、一時期の嫌な感情ばかりだったとはいえ、全削除をしたことがすこーーし寂しくて。

私がそういう人間だったと証明するものをひとつ消してしまったことが、今後、似たような感覚を持っている人と出会った時に、話をわかりますと言える証拠がなくなってしまったな、という勿体なさというか。

かといって、あの言葉たちをそのまま公開するわけにもいかないので、全削除をしながら目に止まったものを引用する形で、少し残しておこうかな、なんて考えました。

これは私のためだけの記録。
のちのちに必要になるかはわからないし、必要にならないかもしれないし、読みやすいものでは全くないと思うけど。(思い出せるままに書き連ねようとおもいます)

ツイートするにはあまりにも長くなりそうだったので。

ネガティブワード読みたくない人はここまでで。











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・きえたい
・全てを手放していなくなりたい
・人に期待されるようには私はできない
・私にはむり
・早く無理になって終わりたい
・見放されれば楽だろうか
・やる気でないんだからしょうがないよなー


半年ちょいくらいで560ほどツイートしていたもの、もう消してしまったのでほとんど思い出せないのですが・・・

最初は、仕事に関する勉強をするために、いつも開くツイッターで、そういう場所をつくった方が捗るかと思って、はじめました。それほどに、普段の生活の中で仕事のことを考えなかったのです。仕事はしたくないもの、考えたくもないもの。普段から嫌なことはなるべく考えないようにしていた私という人間は、仕事が好きじゃなさすぎて、ずっと思考をそらしていました。だから、そろそろいい加減ひとりだちしなければならないという時期にも、できないことや自信のないことが多すぎて、先輩たちに心配されたり、迷惑をかけてしまったり、迷惑がられたりしました。

やる気はないけど、やらねばならぬ、仕事だし。と思って作ったこのアカウント、初めの方は何度か、自分の勉強用のメモをしているのですが、まあ続かない。笑。普段使うアカウントとは別にしていたので、アカウント切替なければ思いださないのだし、当然です。笑。

それでも仕事のイヤイヤを吐き出すために、普段の鍵をかけてないアカウントでは言いづらいことを時々呟くようになって、半年ほど使っていました。

勉強しよう、のツイートは序盤にすぐ終わってしまいます。中盤は、ここまでできるようにならないといけないのに、なぜできないんだ〜何を改善すれば自分は仕事ができるようになるんだ〜と悩んでいる様子がありました。
そして終盤には、ほとんど、愚痴。笑。
やる気ないけどやらなきゃ→やる気ないからできなくて当然(諦め)→早く見放されたい→見放されたら働きづらいかも、それも嫌だな→やる気なくてもやる気あるように魅せればよいのか→それができたら苦労ない、できないからこんなことになっているんだ→じゃあどうすれば→もう全て手放していなくなりたい→→・・・の繰り返し。
あとは、何度考え直しても、仕事続けなきゃいけないから、どうやり過ごすか、ということをずっと考えてましたね。
ずっと、嫌な気持ちを抱えながら、でも環境を変えるという選択肢を選べないまま、居続けなければならない。いつまでかかるかわからない時期には、自分としては絶望的で、毎日、沈んでました。(仕事以外は楽しんでたと思うけど笑。いや、でもひどい時には好きな音楽さえ聴けなかったから、何も楽しめない時期もあったか…)しばらくその時期を過ごしてから、あと二年!と腹を決めた時には、かなり前向きに、やる気がなくても働き続ける覚悟をできるようになった、記憶があります。

最後の方のツイート、すごく良いことを言っていた気がするんだけど、もう忘れてしまった。残しておこうか、と迷うツイートもいくつかあったのだけど、残すものと残さないものを分別するのが私には苦手すぎて判断できる気がしなかったので、全削除を選びました。

そのアカウントをすっかり使わなくなっていたのは、状況が変わってからだと思います。

それまでは、仕事して、その愚痴やら反省やらをひとりで悶々と考え、そのアカウントにツイートしてみたり、紙の日記に書いてみたりして、結局どう改善すればいいかもわからないまま、次の出勤をして、たまにどうにもならなくなって泣いたり、そんな感じで、ずっとどうにもならないままでした。

ある時、そういえば今月まだ15日くらいなのに、今月入ってから3回も泣いてる・・・?と気づいた時に、これはそろそろ一回誰かに相談してみた方がいいのかもしれない、と思いました。(程度としてはまだ軽いですが、身体に現れているという事実に気付いて、手遅れになる前に、何か対策をした方がいいと考えました。)
人に相談する、なんて重い話を自分からするのは苦手だった当時の私。手始めに、学生時代からのなんでも話しやすい唯一の友人に相談してみました。それで、職場の話せそうな人に相談できるならした方が良い、とアドバイスをもらい、職場で唯一相談を聞いてくれそうな先輩に、相談しました。
(同期というものはいなかったし、職場で気軽に自分の話をできる人はいなかった。むしろ職場では、「自分」というものを出さないぞ!という意地すらあった。なぜかは忘れてしまったけど、プライベート楽しんでる自分を知られたくなかった。正直な自分を知られてしまったら仕事が余計にうまくいかなくなると思っていた、かも。抱え込んでダメになるとはこういうことか、と後からわかりました。)

その相談をきっかけに、わたしが落ち込んでた理由は、自分の仕事のできなさだけでなく、他の要因もあったことがわかり、自分だけのせいじゃなかったんだ、と思えたり、むしろ絶対負けずに見返してやるんだぜと思えたり、などなど・・・人の意見が入ることで、自分の中の考えもはっきりしたり、変わってったりしました。人に話すって大事、と初めて実感したのはこの時でした。


まあ、こんな話をしたかったんじゃなくて、嫌なことばかりだった時期に生まれたツイートたちも、なかなか良い(私が好きな)ツイートもたくさんあって、ちょっともったいなかったな、という淡い後悔のお話でした。そういう状況だからこそ生まれる言葉ってのがあるんだなっていう。

どうよかったのか、具代的な内容、思い出せないのがちょっとくやしいな〜やっぱり引用しておくべきだったか?いや〜部分で引用しても伝わらんしな・・・という優柔不断。

まあ、過ぎてしまったことはしゃーない。
また新しい良いツイートを生み出していこうね。

全削除しながら、した後も、上記のような流れや感情の記憶を思い出して、懐かしさに浸っていました。当時のあのぐちゃぐちゃな感情、時間がたったのもあるけど、そんなに感情乱されずに思い出せるってすごいな〜と思う。

今は、あの、何度もきえたいしにたいいなくなりたいを考え続けていた、あの時期を乗り越えたから今の楽しい自分がいるんだなと思っていて、当時の自分、長いこと耐え切ってくれてありがとうって感じです。(当時応援してくれた人や支えてくれた人のおかげですが。)


ところで、そんな風に仕事というものを毛嫌いしていたわたしですが、やる気のでる仕事を見つけた現在、おちんぎんは安いけど、めちゃくちゃ楽しくてびっくりしてる!!!まだ1週間しか経ってないけど!!!笑

ちょっとでもやってみたいことをやって、それでお金が発生するってすごく嬉しいな?!?!?!ってなってます。まだ1週間しか経ってないけど!笑

嘘をつくのが苦手な人間が、やる気のない仕事をしてうまくいくわけがないな〜って改めて思いました。やる気がないのを隠せる人だったり、やる気に関係なく仕事ができる人だったら、なんら問題ないと思うけど、私にはそれが向いてないってことがわかりました。

本当に、環境って、状況って大事ですね。最近は好きなこととかやりたいことしかしてないので、当時のように抱えこんで落ち込むことはほとんどないし(人に相談するという知恵も得たのでw)楽しい!と感じる日の多さよ。いや、ちょっとでもやる気のでる仕事、楽しいと思う部分のあることを仕事にするって、こんなに楽しいのか!!!となってます。

時々どうしようもないほどの沈みもあるけど、まあ、そんなに時間かからず乗り越えてますね。あれってどうしてやってくるんだろう〜とおもうけど、最近は、疲れややることが溜まってきた時にやばい・・・となりがちなので、なんにもやらないで寝るか、その時にやりたいと思うものを探して気分転換をするか、ってかんじですね。

ひとそれぞれの生きづらさがあるなかで、みんな工夫して生きていて、えらいな〜〜〜
軽率に自分を褒めて生きようね。

おわり。

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