見出し画像

高円寺は雨。

わたしが高円寺に訪れる日って、雨に降られることが多い気がするな。ふと気付きながら歩く。

予定が無くなって一日中寝るつもりが、昼から予定が入ってゆったりおしゃべり。それが終わって迷ったけど、雨だと知りつつ高円寺へ行く気分になった。いつもの本屋さんに直行しても良いけど、たまには古着屋歩いてみよう、ついでに3年くらい欲しくて買えてない春コートでも探してみよう。
こうやって、ぶらぶらしちゃおうって思えるくらい、少し落ち着けたんだなぁ。こんなに近いのに、まだあんまり行けてないのがすごくもったいない。

満足に歩いて、いつもの本屋さんへまっすぐ向かう。私は、あの空間に、そこに居る人と話すことに、癒されに行きたいのだ。

今日も新しく目についた、絵本を数冊手に取ったりして、いつものように軽い気持ちで話しかける。また興味深い話をたくさん聞かせていただき、本当に楽しい時間を過ごした。雨が降り出して、土砂降りになって、過ぎ去るほどの時間が経っていた。

ほんとうに面白くて、文字にして、みんなに知らせたい!と思ってしまうほどなんだけども、文字にすることも、それを多くの人に知らせることも、正解とは言えない。
文字にすることで伝わることもあるけれど、文字にしないからこそ伝わることもある。言葉にしてしまった時点で意味が変わってしまうものとか。

お話を聞きながら、自分にも似た考えがあることに気付いたり、掘り起こされたりすることが度々ある。だから私はこの人とお話することが好きなのか、と改めて気付く。

たくさんのことを考えている人と話すのは楽しい。気付けば最近話す人はみんなほとんど、いろいろなことを考えている人ばかりで、私が考えていることも聞いてもらえる人ばっかりだ。

物事はいつだって流動的で、人も、環境も、ずっと同じものはない。その中で、自分の軸を見つけることは、簡単ではないとは思うけど、見つけられている人は強い。揺れ動き変わり続ける世界の中で、自分の感情や感覚に素直に過ごすこと。そのための環境をつくること。

じんわり思い出しては、ひそかにニヤニヤ。あー、ほんとうに面白かったな。私には考えつきもしない観点、共感できる考え方。言葉の不便さ。誰かに伝えたいけど、伝えきれない。みんな、お店に行ったら良いよ。またお話できる日が楽しみだなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?