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ひとり徘徊部

紙の日記を書こうと思ったんだけど、漢字って書くの時間かかるなっておもってやめちゃった。

全部手放したい期がきて。朝くらいから。
毎日パソコンさわっていることとか、ずっと考えていることとか、全部手放したくなった。かといって、結局パソコンでこれを書いているけど。
後回しにしたいことがあって、動けなくなってきて、どうせ動けないなら好きなことしよう。ってことで、帰りに駅降りてそのまま図書館へ直行してみた。ひとり徘徊部開催。知らない道たのしい。いきたいお店が増えた。木蓮、すきなのにいつもうまく撮れない花。いろいろな花が咲いている時期だね、気持ちいいね。急に春めいてきて、春物の上着を持っていないまま何年もすごしている私は、まってまって、まだ春の心の準備ができていない!と思う。毎年。

随分と人通りの少ない道を歩き続けて、たどり着く図書館。陽が落ちると、入り口前の道もけっこう暗くて笑っちゃった。
最近、多分読んだことのない「はてしない物語」とか、もう一回読み直したい「モモ」とか、本屋さんで気になっている瀬尾まいこさんの本とか読みたいな、と思って、図書館で見つかればあわよくば。と思ったけどなかった。私にとって図書館は、探しに行っても見つからない場所なんだよな。(探すのが下手なのと、取り寄せを待つのが苦手)諦めて、今日読めそうな本を探してまわる。どうせ借りて帰っても読みきれない人間なので。

どれを読もうかと探していて、私が惹かれるのはやっぱりハードカバーの単行本が並んでいるあたり。特にヤングアダルトとかの、見覚えのある背表紙やタイトルが並んでいるコーナーは、自分が小学生時代にも、こうやって背表紙を眺めて内容を想像したり、次はどの本読もうと考えたりと楽しんでいたことを思い出して嬉しくなった。
そうやって本棚をながめていると、自分の好きな厚さとサイズで、すきな装丁をして表紙だけ作って、まだ実在しない空想のタイトルをつけるみたいな、架空の本をつくりたくなってきた。でもそれって、後からでも中身を考えてページを埋めれば立派な本だし、小説とかってそうやってできる場合もあるかもしれない。もっと気楽に空想を形にすればいいんだろうな、なんてことを考える。

作者は知っているけど、タイトルは知らない本。表紙のイラストがかわいいし装丁もかわいい。中身は見た目によらず、グサグサくるタイプで、う〜と思いながら読んでたけど、1冊読みきれたので満足。

帰り道、すっかり暗くなっていて、これぞお皿のような細い三日月。
ひとりでも徘徊部ができるんだぞ〜、大人の特権。こどものような感性で居続けたい気持ちもあるけど、大人なら自分のやりたいことが実現しやすい。こどもより大人の方が私はやっぱり楽しいな。

川のにおい、生活の音。
闇にまぎれてサギみたいな鳥もいた!

引っ越した町は人がすごく多いわけでもなくて、新しくて可愛らしい小さなお店もあれば、昔からあるような八百屋さんやお肉屋さんもあるし、今は使われてなさそうなお店の独特な看板とか、古いけどまだ使えそうな建物とか。川もあるし神社もあるし公園もある。人通りの多い道もあれば全然人のいない道も。全部取りで楽しいな、まだまだ飽きずにいられそう!

先日とても良い記事を読んだ。ほっこりして心が温まるような。そういう記事を私に書けるかといったら、どちらかというと私の文章は暗いよな〜。暗いというか、う〜ん、自分で読み直してみると、地味にじんわりとくるものはあるけど、はつらつとした明るさはまあ無いよなあ、なんて、自分で自分の文章について評価するのも変な感じ。

誰に読んで欲しいわけでもないけど、定期的に書きたくなってしまうの、なんなんだろう。でも、書きたいと思った時に書ける時間をつくれるということが、今の私には大事な気がしている。
空腹も、喉が乾いていることも放置して、本を読んだし、これを書いている。いつか架空の本を形にする時に、材料があった方がいいしな。需要はないかもしれないけど、また日記まとめた本でもつくろうかな。

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